幸せに生きる(笑顔のレシピ) & ロゴセラピー 

幸せに生きるには幸せな考え方をすること 笑顔のレシピは自分が創ることだと思います。笑顔が周りを幸せにし自分も幸せに!

両陛下、ベトナム残留日本兵の家族と対面「平和が大事」 "国の象徴として平和活動を一歩一歩”

2017-03-03 09:51:58 | 社会
http://digital.asahi.com/articles/ASK2Q6VXZK2QUTIL07F.html?rm=504
ハノイ=島康彦、鈴木暁子2017年3月2日 天皇、皇后両陛下との接見後、涙ぐむ元残留日本兵家族のグエン・ティ・スアンさん=2日午後1時4分、ハノイ、代表撮影


 ベトナムを訪問中の天皇、皇后両陛下は2日、終戦後も日本に帰らずベトナムの独立運動に関わった「残留日本兵」のベトナム人妻ら家族と首都ハノイのホテルで対面した。60年以上、生き別れた日本人の夫や父を思い続けた家族に、天皇陛下は「やはり平和が大事ですね」と繰り返し述べた。
特集:皇室とっておき
 「コンニチハ」。元残留日本兵の妻グエン・ティ・スアンさん(93)は両陛下に日本語であいさつした。「体がとても弱っていますが、初めて両陛下が訪問して下さったので頑張ってここまで来ました」。天皇陛下は腰をかがめて耳を傾け、「いろいろご苦労もあったでしょう」と話した。
 スアンさんは夫との間に4人の子をもった。だが1954年、夫はひとりで日本に帰国。スアンさんは農業や売り子をして働き、子どもを育てた。
 皇后さまは涙ながらに話すスアンさんの前にしゃがみ込み、ずっと手を握って話を聞いた。「苦労していた日々のことを新聞で読みました」と言い、歩み寄って小さな体を抱きしめた。後ろに立っていた長女のフオンさんにも「長い間お母さまをお助けになって」とねぎらった。スアンさんも帰り際、皇后さまに「アリガトウゴザイマス」と言って駆け寄り、抱き合った。
 残留日本兵の父を持つゴー・ザ・カインさん(72)は東日本大震災のとき、ベトナムで支援活動に動いた。皇后さまに「祈ってくださったのですね」と声をかけられると、涙があふれて言葉が出なくなった。
 「我々は常に日本のことを考えております」と話すカインさんに、天皇陛下は「平和というものが大事だと思います」と話した。陛下は、日本ベトナム友好協会顧問を務める杉原剛さん(95)の息子クアンさんらに対しても、この言葉を繰り返した。
 両陛下は予定の15分の倍近くの時間をかけ、すべての家族に言葉をかけた。
 最後に残留日本兵の父をもつチャン・ドク・ヒエウさんが「ベトナムの日本兵の家族に特別な感情をもっていただき心から感謝します。子孫まで伝えます」と話すと、両陛下は静かにうなずいた。
 懇談後、スアンさんは記者団に「とても感動的でした。戦争を経て様々な困難にあいましたが、両陛下に感謝します」と話した。(ハノイ=島康彦、鈴木暁子)
     ◇
 〈ベトナム残留日本兵〉 1945年の終戦時にベトナムには約8万人の日本軍人がいたが、うち約600人は帰還せず、フランスの再統治に抵抗する「ベトナム独立同盟」(ベトミン)に協力、戦闘力強化を指導した。残留兵の多くはベトナム人の女性と家族をもったが、54年以降、東西冷戦を背景に旧日本兵は日本へ送還される。だが当初家族帯同が認められず、多くの家族が引き裂かれた。

両陛下、ドクさんと面会=「ベトちゃんドクちゃん」弟
http://news.goo.ne.jp/article/jiji/nation/jiji-170303X897.html

 【ハノイ時事】ベトナムを公式訪問中の天皇、皇后両陛下は2日夜、滞在先のハノイのホテルで開かれた日本大使夫妻主催のレセプションで、結合双生児として生まれた「ベトちゃんドクちゃん」の弟、グエン・ドクさん(36)と面会された。
 ドクさんは1981年、米軍がベトナム戦争中に枯れ葉剤を使用した地域で、兄ベトさん=2007年死去=と下半身がつながった状態で生まれた。日本の支援もあって88年にベトナムの病院で分離手術を受け、現在はその病院で事務員として働いている。
 ドクさんと対面した皇后さまは「お元気でいらっしゃることをみんなどれだけ喜ぶことでしょう。ご家族一緒にお元気でね」とほっとした様子。天皇陛下もドクさんや同席した妻テュエンさん(34)と笑顔で握手を交わし、「ベトさんが亡くなったことは残念なことでした。しかし、ドクさんがこうして元気にされていることをうれしく思います」と伝えた。
 「自分は日本とベトナムの懸け橋として、両国間の交流の強化に貢献できればと願っています」と両陛下に伝えたというドクさん。日本への思いを込め、双子の子供にフー・シー(富士)とアイン・ダオ(ベトナム語で桜)と名付けたことを振り返り、「両国関係のためにこれからも頑張っていきたい」と力を込めた。 

感想
天皇陛下が考えられている”国の象徴”としての活動を実践されているのだと思います。
それができなくなったら、退位したいとのお気持ちなのだと思います。

平和を維持する。それは武力で国を守ることではなく、国と友好関係を築くことなのだと思います。
武力では国家間の問題は解決できず、多くの死者と破壊になります。
歴史は繰り返しています。
歴史から学ぶことをせずに、また戦争ができる国に変えようと政府はしています。
また戦争で多くの人が亡くなってしか気づかないのでしょうか。

天皇陛下の地道な平和活動、戦争を二度と起こさないための活動、それを実践されたいのだと思います。
そのお気持ちをもう少し、有識者会議や政府が考えて貰えると良いのですが。
皇太子がやればよいとのことですが、やはり天皇と皇太子では重みが違うと思います。
とても残念です。
変えるには、やはり一人ひとりが声を上げないとダメなんでしょうね。


波瑠主演のドロドロ母娘 「今、同じ状況です」掲示板が異例の事態に… 「言えずに苦しんでいた人」の声  ”母を棄てる”

2017-03-03 09:20:28 | 生き方/考え方
http://www.msn.com/ja-jp/news/entertainment/%e6%b3%a2%e7%91%a0%e4%b8%bb%e6%bc%94%e3%81%ae%e3%83%89%e3%83%ad%e3%83%89%e3%83%ad%e6%af%8d%e5%a8%98-%e3%80%8c%e4%bb%8a%e3%80%81%e5%90%8c%e3%81%98%e7%8a%b6%e6%b3%81%e3%81%a7%e3%81%99%e3%80%8d%e6%8e%b2%e7%a4%ba%e6%9d%bf%e3%81%8c%e7%95%b0%e4%be%8b%e3%81%ae%e4%ba%8b%e6%85%8b%e3%81%ab%e2%80%a6-%e3%80%8c%e8%a8%80%e3%81%88%e3%81%9a%e3%81%ab%e8%8b%a6%e3%81%97%e3%82%93%e3%81%a7%e3%81%84%e3%81%9f%e4%ba%ba%e3%80%8d%e3%81%ae%e5%a3%b0/ar-AAnJl4K?ocid=spartandhp#page=2

 「母娘問題」に切り込んだNHKの連続ドラマ「お母さん、娘をやめていいですか?」(毎週金曜午後10時)。波瑠さん演じる娘と、斉藤由貴さん演じる母が火花の散るようなバトルを繰り広げる中、異例の盛り上がりを見せているのが番組掲示板です。自分の体験談を吐露したり、悩みを打ち明けたり……。出演者へのエールが多い番組掲示板とは異なる展開を見せています。(朝日新聞名古屋文化グループ記者・原知恵子)

「結婚するなら縁を切る」
 「幼い頃から母親から行動をコントロールされたり、気に入らないことがあると罵声を浴びせられてきました」

 「『結婚するなら縁を切る』という言葉しか言われないまま4年交際し…いつ結婚に踏み込めばいいのか悩む日々です」
 掲示板には、母との関係に悩む娘たちからの長行の投稿があふれています。
 「ドラマ制作に25年以上関わってきましたが、こんな形の反響は異例」。演出を手がけたNHK名古屋放送局の笠浦友愛(ともちか)エグゼクティブ・ディレクター(55)は、そう言います。

 一般的に、ドラマの掲示板は感想や出演者・登場人物へのエールが多いもの。でも、ここでは実体験を交えた切実な内容が多く、なかでも40、50代の投稿が目立ちます。

脚本は「14才の母」の井上由美子さん
 ドラマは、母(斉藤由貴)と恋人のように仲良しだった25歳の娘(波瑠)が、母の顔色をうかがって生きてきたことを自覚し、「呪縛」から逃れようとするも、母が暴走していく――というストーリー。

 「14才の母」(2006年)や「昼顔~平日午後3時の恋人たち~」(14年)など、社会を映した作品を多く手がけてきた井上由美子さんのオリジナル脚本です。
 母娘関係の悩みはここ数年、女性誌や情報番組でもたびたび特集が組まれ、当事者が発信する本も多数出版されてきました。子にとって害悪となる行動を繰り返す親を指す「毒親」という言葉も広まっています。
 ただ、娘を苦しめるのは暴力や暴言のような行為ばかりでなく、過干渉や依存など「見えにくい」事象もあり、十分に認識されているわけではありません。
 ドラマでは、当事者らへの取材や臨床心理士の信田さよ子さんの臨床心理考証などをもとに、「コーディネートを母に決めてもらう」「娘の日記をチェックする」――など、さりげない言動を積み重ね、見えにくい不健全な密着の姿を浮かびあがらせました。

「言えずに苦しんでいた人が大勢いる」
 番組には「私のことかと思った」という声も多く寄せられています。

 笠浦さんは掲示板の反響について、「周りには『仲良し母娘』に映っていたり、家族のことを悪く言うことをタブー視する風潮があったりして、言えずに苦しんでいた方がそれだけ大勢おられるということではないか。ドラマが『私だけじゃない。苦しいと言ってもいいんだ』と応じてもらえるきっかけになったとしたら、それだけで制作した意義があった」と語ります。
 直近の第7話は、開始以来、最高となる7.6%(関東地区、ビデオリサーチ調べ)を記録しました。

最終回は「家族の絆」で終わらない?
 ドラマは残り1話。娘に暴走をとがめられても「娘のため」「私が悪いの?」などと返す母の姿は「悪役」そのものです。でも、母もまた母(祖母)との関係に悩んできたことや、夫(父親)が家庭にあまり目を向けてこなかったいきさつなどを知ると、母の苦しみや必死さもわかります。

 気になる結末について笠浦さんは「家族にまつわるドラマは最終的に家族の絆に答えを見いだすのが定番だと思うのですが、このドラマは、それでは終わりません」と断じます。
 その愛や絆こそが、裏をかえせばお互いを苦しめているからです。笠浦さん自身も「母には私の苦しさは一生わからないと思う。夫が理解してくれていることで救われているが、それで母の重さが解消されるわけではない」などと語る当事者と会い、問題の根深さを痛感したそうです。
 「母娘問題はそれぞれ個別で、万人に通じる正解は出せません。このドラマなりの母、父、そして娘の決断を見届けてもらえれば」と話します。

感想;
この番組を見ています。
少し大げさでは?と思いながら見ていますが、それがリアル感があるのでしょう。

先生に向いていないと思いながら先生をしている。
確かに、先生として?と思う行動が多々あります。
母親が先生になることを希望したから、母親が喜ぶために先生になった。
母親は、それが娘の幸せのために良かれと思って勧めてきた。
娘の本当の幸せではなく、母親が思い描く娘の幸せを求めてきた。

娘は自分の人生を生きていません。
娘は母親の希望することが自分の幸せと思い込んでいます。
これまでも、母親のために、それが自分のためと思いこまされていたのでしょう。
臨済宗に”人惑(にんわく)”という言葉があります。
人は自分の考えだと思っていることが、実は小さい時から親や先生など周りから言われ、あたかもそれが自分の考えのようになって、自分を惑わしている。それから自由になりなさいと。

母と娘は多くの人が悩み続けています。
佐野洋子著「シズコさん」
 長女の洋子さんは、母親と縁を切りたいけど、長女としての責任があり切れない。
 母親がヨーロッパ旅行に行きたいと。行きたくないけど連れて行かないといけないと思い、出かけたが楽しくない。
 次女は「一緒に行きたくない。お金だけ出す」
 三女は「一緒に行き、母親と楽しく旅行をエンジョイしている」

中山千夏著「幸子さんと私」

 この本を出すことによって、ようやく母と気持ち的に離れることができた。

遠野なぎこ著「一度も愛してくれなかった 母へ、一度も愛せなかった男たちへ」
 母をようやく棄てることができて、心の苦しみから解放された。

では母親と息子の関係はどうなのでしょう?
母親は娘は同じ女性としてある程度分かったつもり、しかし、男性はわからないのでとても気を使っているのではないでしょうか。
息子にはまた期待をしています。
前に家庭教師で娘と息子を教えたことがあります。
その時、その母親が、息子にはしっかりして欲しいと息子への期待をよく口にされていました。
娘への期待は聞きませんでした。

別の家庭の娘と息子を教えたことがあります。
娘は勉強がよくでき、息子はいまいちでした。
母親の言葉「頭の良さが娘と息子が入れ替わってくれてたらよかったのに」

息子は母親に親切でなくても、母親は息子を思い続けているのではないでしょうか。

母と娘、永遠の課題なのでしょう。
その関係の苦しみを抱えている場合の解決法は、やはり自分の人生を生きる。
母親の希望する人生ではなく、自分の人生を生きることなのだと思います。
それが、本当の親の期待する娘の幸せなんだと思うのですが・・・。
それをするために、時に母の要求にNo!と言う勇気も必要なのだと思います。