幸せに生きる(笑顔のレシピ) & ロゴセラピー 

幸せに生きるには幸せな考え方をすること 笑顔のレシピは自分が創ることだと思います。笑顔が周りを幸せにし自分も幸せに!

「福祉の町 ベーテル ヒトラーから障害者を守った牧師父子の物語」橋本孝著 "希望を持つ”

2017-03-20 11:46:36 | 本の紹介
ボーデルシュヴィング(父)は、貧乏人は心も貧しいし、人間の誇りを失ってしまっていることを適切に感じ、この人たちには、夢中で働けるような仕事を与えなくてはならないことを、身をもって体験したのだった。
飢えに苦しんでいる子どもたちの父親を捜してお金を与えたところ、父親はお金を飲み代に使ってしまった。目に見える援助だけでは意味がないことを思い知らされた。
 
4人の子どもたち全員をジフテリアで亡くした。4人の子どもたちの墓ところに妻のためにベンチをこしらへ、神は自分たちにこのような苦難を通して何を言おうとされているのかを、じっくり考えた。彼は後に「当時、神は人間に対して何と過酷なのだろうということに、はじめて気づきました。そして、そこから私は他の人への慈愛を持つようになりました」と告白している。
ボーデルシュヴィング夫妻は心の底から揺り動かされ、弾劾から突き落とされてしまった。
その後、4人の子どもたちに恵まれた。
 
初めてベーテルを訪れた留岡幸助は日記にベーテルの当時の様子を詳細に紹介している。
ベーテル院には「祈れ、働け!」という言葉があり、自立できるように、皆がそれぞれ自分にあった職を身につけるための訓練所があるのだ。彼の日記には、例えば浴場館、肉類販売館、煉瓦工場、病院などの仕事場が紹介され、今はその浴場館はないが、すでに2,564種類の職種の仕事ができるようになっている。
 
障害者たちの受難の道
1939年5月15日ニュールンベルグで党(ナチス)大会が開催され、いわゆるニュールンベルク法が決議された。この法律の中身は純血保護法とライヒ市民法、すなわち「ドイツ人の血とドイツ人の名誉を保護するための法律」である。その法律には「不治の病をもてる者は、安楽死が与えられる」との条項があった。
ヒトラーは、アーリヤ人こそ、優秀な民族で、これが世界を制覇すれば、地球は繁栄すると考えた。こうして、ユダヤ人迫害という人種差別が、いわゆるホロコーストが行われた。このホロコーストは、実は優生学や安楽死と関係があるのだ。すなわち、国家にとって無用な人たちや足手まといになる人たち、劣等な因子をもっている人を抹殺することは、優秀な民族を残すことに不可欠であるという考え方だ。
 
ブランド教授(障害者の安楽死推進者)とフリッツ(息子)との会話
「抹殺されなければならないのは、もう社会に適応しなくなった者です」
(フ)「教授どの、社会に適応しないという意味はあいまいです。私だって、他の人と比べて社会に適応するかどうか、あやしいものです。それに、私は社会に適応しない人にこれまであったことがありません」
「そのような不治の病をもったまま生きることは本人たちにも不幸せなのです。安楽死によって、彼らは幸せになるのです。それに、身内や親戚の者だって幸せなのです。されに国のため、多くの国民のためには足手まといになってしまうから、国にとっても良いことなのです」
(フ)「この世の中には、生きるに値しない人とか、社会に不適応な人はおりません。神は決してそのような人間をお創りになりませんでした。国家にとって有用か、国家の目的に合うかの問題は人間個性の尺度にそぐわないのです。人間というものは生存目的に適うようにだけ生きているのではありません。安楽死は紙の掟に反します。それにキリスト教徒にとってこのような安楽死は非難されるべきです。なぜなら、イエス・キリストは一番悲惨な人のために十字架に架かり、復活されました。国民を助けるために、何千という人々を犠牲にしてはなりません。それは大きな間違いです。他の健常な人たちを助けるという大義名分で、非人間的なことをすることは何人にも許されません」
 
何時間だったのだろうか。フリップ牧師の話は続く。ブラントは弁明するが、その誤記は次第に迫力を欠いてゆく。フリッツの声はますます明晰に現状を分析する。
 
(フ)「あなた方は世界のクリスチャンの信をなくします。もっと見えない敵が増えていきます。ドイツだけでなく、世界の信者が敵になります」
 
この言葉はブランドの心に響いた。彼は反論するすべを失った。
 
ブラントはベーテルの障害者を安楽死することはなかったが、他ではヒトラーの意志を実践した。戦後、彼の罪を問う裁判で、ブラントは弁明している。
「命令と服従という二つのことが重くのしかかってきて、任務上やむを得ずとった処置だったというのが私の弁明です。・・・私はあの時、唯一本気で警告してくれた方(フリッツ)で・・・。私の人生で一番重い闘い(フリッツとのやり取り)でした」
 
ブラントは絞首刑の判決を受け、1948年6月2日処刑された。
 
1993年に天皇皇后両陛下がベーテルを訪問された。美智子皇后のたっての希望でした。それから10年かけて、日独の多くの人たちの善意で、日本庭園(枯山水庭園)が出来上がった。

感想
浦河に統合失調症の人々が共同生活するべてるの家があります。
べてるとはヘブライ語で神の家との意味です。
そのベーテルの家はドイツのベーテルから名前を取られています。

いろいろ考えさせられた本でした。
自分の考え方の持ち方がどう生きるかにもつながるように思いました。

ロゴセラピー 心と身体は病んでも精神は病まない。
ベーテルは当初てんかん患者さんのための施設として始まりました。