たくさんの優しさ

大好きなもの・・・音楽、木村君、うちのニャンコ。

スマスマとか

2011年04月26日 18時40分51秒 | 日記
昨日のスマスマはすごく楽しかったです。
久しぶりに(笑)大笑いしながら見ました。
「ちょっとだけ会いたい人」
以前田中さんのことを、「オレ、この人苦手・・」と言っていた夫まで、顔が崩れるほど爆笑してました。
顔は元々崩れてますけど。(笑)
拓哉君の笑顔・・・かわゆい!
その後で照れるところが、またまたかわゆいのです。
拓哉君って恥ずかしいとほっぺたに舌をやって膨らましますよね?
これが可愛くってね。(笑)
のっちさん夫婦のところでも、夫婦の言動&行動を見ている拓哉君の反応がちゅぼで、そちらが面白かったです。

ビストロもそれなりに楽しかったです。
一番嬉しかったのはビストロ本の発売告知でしたが。(笑)
歌もトークも大満足!
新曲・・・結構好きです。
今度の曲はメロディーが簡単なので覚えやすいです。
採譜もすごく楽。
複雑なところが無いんです。
「野太郎♪」とか言われているそうで、これには笑いました。
確かにそう聞こえる。(笑)

日曜日に中居君が地元に来てくれました。
私は知らなかったのですが、複数の拓友さんからメールが来て知りました。
知って間も無く「終わったみたいよ。」とのメールが届いたので行く事は叶いませんでした。
残念!!
中居君が炊き出しをした場所は私がここ数年コンサートをしていた馴染みのホール。
職業柄、色んな用事で頻繁に足を運ぶ所です。
車で行けば直ぐです。
避難している身ではないので頂くことはしませんが、遠くからでも見ていたかったなあ。
ホールの周りは大きな公園になっていますから。
終わって1時間後は雷雨になりました。
雷雨の前に終わって良かったです。

今度の震災で、初めて被災地側の立場に立ちました。
色々な芸能人の方や著名人の方が慰問に来てくださっています。
これがすごく嬉しいいのです。
こんなに嬉しいものなんですね。
ニュースなどで他所でも同じようなことが行われたという映像をよく見ます。
さかな君やミッキー達が来て大喜びしている子供達。
温かいぜんざいやおでんを嬉しそうに食べるおばあちゃん達。
見ている私まで温まりました。
こういう映像は毎日のように流れています。
その度に笑顔になれるんです。

そして・・・見えない所で力になってくださっている方もいます。
より一層の感動を覚えます。
支援の仕方はそれぞれ。
皆様に感謝!
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ワッツとか

2011年04月22日 18時39分38秒 | 日記
24時25分・・・また揺れました。
震度4ですって。
強い地震が続いたので、震度4くらいでは驚かなくなってしまいました。
「震度4?・・・弱かったね。」なんて。

3月11日以来、震度5以上(震度6弱は3回)が何回も続いたので、我が家の屋根が少しですが壊れ始めています。
来週応急処置をします。
まだ余震も続いているし瓦の製造も追いつかないとかで、本格的な修理はまだまだ先になりそうです。
うちで頼んだ瓦屋さんは良心的ですが、悪質な業者もいて、シートをかける応急処置だけで30万円取られたなんて話も聞きました。

福島県人に対する差別も有るようですし、日本人も「いい人」「美談」ばかりじゃないですね。
差別はショックです。
地震にも原発にも負けない気力が有りましたが、差別はこんな私でもへこみました。
特に子供達が可哀想で・・。
そんな中、ワッツの掲示BANG!でくりりんが一喝してくれたのはすごく嬉しかったです。
一喝と言っても、ワッツの仲間には差別する人なんていないでしょうけど。
くりりんの人間性は素晴らしいと思います。
拓哉君と共通するところが多々有って、きっとお互い尊敬し合っているんだろうなあ・・・って思っています。

関東在住の拓友さんから、「スーパーに行ったら若い男の人達が福島のお酒を買おう!って言いながら探していたよ!」
なんてメールを頂き、これを読んだら涙が止まらなくなっちゃって・・・。
結構傷付いてたんだなあ、私・・・なんて思いました。(笑)
原発、早く治まって欲しいです。
避難している人達が可哀想でなりません。

地元でも色々有るんです。
避難した人達が会社を回顧されたり、社内でも白い目で見られたりしているんです。
避難しないで頑張っていた人達から見ると卑怯者なんでしょうね?
避難できた身としては、申し訳ないと思う気持ちが有ります。
でもやっぱり悲しいなあ。
夫の会社は自宅待機でしたから、そういう状態にはならなくて恵まれていたと思っています。

旦那様が東電に勤めていた友達がいます。
この友達ですが、「申しわけない。」という気持ちを強く持っていて、それはそれは良くして下さるんですよ・・。
もうもう、ありがたいなんてもんじゃないんです。
私にだけじゃなく、色んな所で動いてくださっています。
大大大好きな友達なのですが、益々好きになりました。
本当に素晴らしいご夫婦です。
友達夫婦は何も悪くないのに・・。
苦しんでいる東電の方も沢山いらっしゃると思います。
腹の立つこと(東電に)も多いけど、みんな苦しいんじゃないかな?
そんな思いも持っています。

今夜のワッツも良かったなあ。
ジュニアの子たちの話も面白かったです。
同じ事務所にいても、やっぱり拓哉君やスマップは特別なんですね。(納得ですけど)
「本物だあ・・・」なんて、私達と同じ感覚なのにちょっと笑いました。
これが結構な快感で。(笑)
岡本君の話やマッチさんの話も嬉しかったです。
壇上に居ることに違和感を感じた拓哉君。
こういうところも大好き!
新曲にも馴染みました。
心地良かったです。
ありがとう 拓哉君!
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素敵!!

2011年04月17日 18時38分29秒 | 日記
日記を書こうと毎日思っていたんですけど、地震後、どうしても真面目な話題に行きそうで、どうしたもんかと・・・。
私らしくもない。(笑)
なんか笑えるネタは無いか?と、日々ネタ探しの旅に出ておりました。
拓友さんと電話で笑い転げたりもしてました。
こんな時でも、ふざけた奴です。(笑)

そうしたら、拓友さんから動画紹介のメールが届きました。
それは、拓哉君のキスシーン集!!
ぐふっ!!
見入ってしまいました。
ついでに色んな拓哉君を観賞。
「空星」なんてエロくてエロくて・・・。
発情しそう。(笑)

私も以前似たようなビデオを作ったんですけど、技が無いので、そのまま編集しただけ。
台詞を入れないで綺麗な音楽がバックに流れると、美しさが増すように感じました。
ファンタジーの世界です。
素敵!
拓哉君、最高!!

それにしても、ほんと、「空星」は凄かったなあ。
あの頃頻繁に通っていた大好きなサイトの盛り上がりようは凄かったっけ。(笑)
みんな発情したに違い無い。(私とオーナーさんと○るみちゃんだけだったりして。笑)
特に厨房でのシーンは話題沸騰。(笑)
「何故にエプロンを外す?」なんて。
その後を妄想して興奮したっけ。(笑)
今でも語りぐさになっております。

またああいうのを見たいなあ。
キスシーンなんてちょろいもんじゃなくて、もっと大人なやつ。
やって欲しいなあ!
やって!!
やれ!!・・・なんちゃって。(笑)
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一緒に前へ進める喜び

2011年04月12日 18時36分44秒 | 日記
震災1ケ月後の昨日、震度6弱の余震が起きました。(今日のはもっと強かったです。)
本震より時間は短かったのですが、強さは増していたように感じました。
物の落ち方と倒れ方が激しかったのです。
直下型だからだと思います。

夕方の5時過ぎで、Yちゃん(小3)のレッスンが終わり、玄関を出た直後でした。
雷も激しく鳴っていたのでYちゃんの怖がりようがすごく、玄関先でママにしがみついていました。
「早く家の中に入って!」と私が言っても身体が固くなったまま動けなくなっておりました。
どうにか家に入ったYちゃんは直ぐテーブルの下にもぐり震えていました。
直ぐ停電になり、雷も激しくなりました。
私とママは急いでトランジスターラジオとワンセグのテレビでニュースを聴きました。
津波警報発令に、あの時の悪夢がよみがえりましたが大事に至らなくて良かったです。

頻繁に余震がきたので二人をキッチンまで連れて行き、テーブルの下に入ってもらいました。
私と息子っちは懐中電灯で照らしながら家の中の点検。
パソコンまで落ちていて焦りましたが大丈夫でした。

そんなことをしていたら今度は落雷です。
物凄い音に益々怯えるYちゃん。
ママと二人で「大丈夫だよ!」と慰めていた時、息子っちが一つのビンを持ってきてくれました。
ビンの中に入っていたのはお菓子のラムネ。
白、ピンク、クリーム色、水色で、ビー玉のような形をしている綺麗で可愛いラムネです。
懐中電灯で照らしながらお皿に乗せ、Yちゃんにすすめるとニコニコしながら食べてくれました。
やっと笑顔になったYちゃん。
嬉しかったなあ。

この時、瞬時に思い出したことがありました。
それは拓哉君が幼かった頃のエピソード。
激しい雷が鳴り、怖がる拓哉君にママがとった行動です。
ハチミツをたっぷり塗ったフレンチトーストを作ってあげたら、みるみる拓哉君が笑顔になって落ち着いたという話。
親ばかですけど、私はYちゃんにラムネを持ってきてくれた息子っちの気持ちがすごく嬉しかったです。
笑顔が戻ったYちゃんに、私もキャラメルコーンを一袋、お土産にあげました。
嬉しそうなYちゃんを見て、停電で真っ暗でしたけど心はパア~っと明るくなりました。
心もあったかくなりました。

1時間くらいで電気が付き、家のポストに行ってみました。
そうしたら「smap」と書かれたJ事務所の水色の封筒が入っていました。
開けてみると、そこに入っていたのはSMAPさん達からの被災者向けのメッセージでした。
A4サイズの濃いめの水色の紙。
可愛いピンクの桜の花びらに囲まれた5人からの温かいメッセージが書かれていました。
それぞれの言葉が温かい。
拓哉君は、希望を持って一緒に前へ進もう!!と、心の強さを表すような力強い字で気持ちを伝えてくださいました。

嬉しくて嬉しくてウルウルしました。
拓哉君と一緒に前に進める喜び。
勇気と温かさと優しさが、どれだけ心強いことか・・・。
ありがとう!拓哉君!!
ありがとう!スマップ!!
きっと沢山の被災地の方が喜んでいると思います。
被災地ではない皆様にも、拓哉君から頂いた飛び切りの「優しさ」をお裾分けしたくて。
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避難生活

2011年04月10日 18時35分14秒 | 日記
原発に詳しい友達の旦那様からとても親切にご指導を頂き(個人的に)、避難するまでもないと思っておりました。
友達ご夫妻には、ものすごく感謝しています。
でも日に日に悪化する状態に多少の不安はありました。
不安の原因は地元の人達の噂。
事実を知らされていないのでは?と沢山の方が疑い、恐ろしい噂があちこちで飛び交っていたんです。

16日の午前9時前。
市内で小学校の教師をしている義妹(夫の弟の奥さん)から電話がかかってきました。
かなり焦っておりました。
勤務している小学校に避難している双葉町(原発が有る町)の人達が「ここも危ない。」と言って出て行ってしまったと。
「私達には知らされていないけど現実はかなり危ない状態みたいなの。だからお母さん(義母)を連れて横浜に避難して!」と言われました。
姉に電話をしたら、姉の一族も母を連れて神奈川県に避難したとのこと。
どうしたらいいのか・・・。
そんな時テレビをつけたら、原発の広報の人が「それを言ったらパニックになるので言えません。」なんて言っているではありませんか!
(後になって冷静に考えたら、これが原発のことなのか計画停電のことなのか、よく分らないんですけどね。)
この一言で恐ろしくなり、我が家にも緊張感が走りました。
そうしたら甥から電話がかかってきて、通行止めだった高速が臨時で無料開放になっていると知らされました。
これはやっぱり大変なことになっているのかもしれない(原発が)ということになり、急遽避難することにしたのです。

急いで色々な準備をして母を迎えに行き、横浜に向かいました。(地元の義妹も埼玉県に避難)
高速に入ってから何回も緊急地震速報が鳴り、怖かったです。
東京に入ってからは通行止めになっている所が有り、迷子になってしまいました。
浦安の辺りをウロウロと。(笑)
家を出たのは午前11時過ぎで、横浜に付いたのは夕方の5時過ぎでした。

避難した所は夫の妹のマンションです。
横浜「みなとみらい駅」近くの高層マンションです。
30階建ての15階。
これがなんとも素敵なマンションで、田舎っぺの私達家族3人は「すご~い!」って雄叫びをあげてしまいました。
避難民なのに。(笑)

面白いライフスタイルをおくっている義妹。
夫と息子は綱島の別のマンションで暮らし、娘は目黒のマンションで生活しています。
家族の仲はすごく良くて、それぞれここに何回も通ってきています。
という訳で一人暮らしなのです。
お陰で私達家族3人は一部屋ずつ与えて頂けて快適でした。

小学校の教師をしている義妹は大の家事嫌い。(笑)
なので炊事と掃除は私の担当になりました。
これが結構大変なのでありました。
数人の友達から何度か「会いませんか?」とお誘いを頂いたのですが、義母もいたので出かけられる雰囲気ではなかったです。
これが残念でしたけど避難民なのでしょうがないですね。
義妹も出かけて欲しくないような感じでしたので。

快適でしたし義妹もすごく良くしてくれました。
でも問題が一つ!(笑)
更年期障害で体調が今一な義妹(私と同い年)は夜の9時に寝るんです。
音がすると眠れないと言うんです。
だから私達も9時に寝るしかないんです。(笑)

毎晩25時半に寝ていた私には、これがとてもきつかったんです。
ベットに入っても眠れないのですよ。
仕方無く、毎晩睡眠導入剤を飲んで寝ておりました。
テレビが見れないのも寂しかったなあ・・。
21日の「スマスマ」は何故か見れたんです。
この日は甥が来ていて、寝る(義妹)のが遅かったから。
この日以来、拓哉君にオンタイムで会うのは無理でした。
スマスマもワッツも、親切な拓友さんのお世話になりました。
ありがたくてありがたくて、どれだけ嬉しかったこか・・。
皆様、ありがとうございました。
本当に本当にありがとうございました。

日中、炊事と掃除と買い物以外は暇でした。
何もすることが無い時間が何時間も有り、家族3人と義母で、ただボ~っとしておりました。(笑)
「何もすることが無いって案外苦痛だね。」なんて4人で話してました。

楽しい事も沢山有りました。
義妹の家族と一緒に台湾料理を2回食べに行きました。
近くの大和市に避難している甥の家族と合流して、短時間ですが遊園地(コスモワールド)に行きました。
姉一家が避難している大和市の姪のマンションにも家族で遊びに行きました。
でも一番嬉しかったのは拓友さん達からの電話とメールでした。
これが嬉しくて、どれだけ励して頂けたことか。
夜は布団をかぶってメール打ってました。(笑)
避難生活の生き甲斐になっていたような。(笑)
ありがとうございました。
感謝感謝です。

プチ嬉しかったこと。
義妹のマンションで、「Drink SMAP」の拓哉君うちわと「HERO」のDVDを見つけたこと。
姪が好きみたい。

「みなとみらい」は素敵な街でした。
でも海が近いので、津波がきたらどうしようと、ちと怖かったです。
車は ヨコハマ グランド インターコンチネンタル ホテルの地下駐車場に止めておりました。
これがなんと!1日200円なのですよ。
お薦めです。

以上、私の避難生活でした。
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拓哉君からのメッセージ

2011年04月08日 18時34分13秒 | 日記
昨日、J事務所から被災地向けのメールが届きました。
そこに書かれていたスマップメンバーからのメッセージ。
5人それぞれの温かい言葉が綴られていました。
一人一人の優しさが嬉しかったです。
私は拓哉君のファンなので、やっぱり拓哉君からのメッセージが一番心に響きました。
優しさの中にも深さが有って、ズシンと心に入ってくるのをリアルに感じました。

嬉しかったです。
私には家族がいる。
家も有る。
被災地の人間ではあるけど、どれだけ恵まれていることかと思っているんです。
それなのに涙が溢れたんです。
張り詰めていたのかな?
こんなでも、ちょっとは頑張っていたのかな?

拓哉君の優しさに包まれながら、温かい胸に抱きしめてもらっているような気持ちでした。
涙を流したおかげで新たに元気が出ましたよ。
拓哉君に「ありがとう!」と伝えたいです。

今日は新曲のお知らせが有りました。
早く聴きたいなあ。
すごく楽しみです。

帰宅後、やっと開いた書店に3回ほど足を運びました。
残念なことに、震災後に出た雑誌は入荷できていないとのことでした。
「開放区」が読みたかったのですが、もしかしてこのまま手に入らないで終わってしまうのだろうか・・?
なんて、気になるところです。
テレビ誌だけは数誌入荷していたので、ガイドは買えました。

仕事のこと。
今月はレッスンが出来ないものと思っておりました。
ところが、楽しみにしてくれていた生徒が沢山いて、先週の木曜日から再開しています。
まだ避難中の生徒2人以外、みんな来てくれています。
避難していた時も練習していた生徒が多く(みんな親戚の家に避難していたので)、
「ピアノを弾くのが楽しみでした。」なんて言われて、どれだけ嬉しかったことか・・。
みんな笑顔なのも、すごく嬉しかったです。
これから先も、子供達から沢山元気がもらえそうです。

今夜はワッツ。
拓哉君の声が聞ける喜び。
楽しみでしょうがない。
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ありがとう!

2011年04月03日 18時32分41秒 | 日記
帰宅して4日経ちました。
やらなくてはいけない事が溜まっていて毎日バタバタしています。
帰宅した日の明け方から水が出るようになり、それがきっかけでスーパーも開き始めました。
ガソリンもどうにか入れられました。
溜まっていた洗濯物も、やっとこれで洗える。
食料もゲットできる。
調理もできる。
トイレも・・・。
一番不自由だったのは水が出なかったこと。
これが一番大変でした。
水が出ないと、こんなに困るんだなあ・・・って、しみじみ思いました。
息子っちが、「今回の震災で、水の怖さとありがたさを同時に感じた。」と言っておりました。
正しくその通り。

私の母
高齢で一人暮らしをしている母が心配でした。
地震から何分か経った時、継らない状態だった電話がかかってきました。
隣にある郵便局の局長さんが来て下さって、郵便局に避難させてくださったそうです。(津波の心配有りの地域)
こういう所の電話は緊急でも使えるらしく、そこからかけてきたのでした。
電話の内容は、これからタクシーで私の所に行くとういものでした。
ところが、待てどくらせど母は来ず、電話も継らない。
もしや津波が・・・と、不安は募るばかり。
母の無事を知ったのは、この日の夜10時頃でした。

甥(姉の次男)が18時頃母の所にに行き、自分の家に連れていってくれていました。
どんなに安堵したことか・・。
母は次男(甥)の家で4日暮らしましたが、今度は次男の家が原発避難区域(30キロ)ぎりぎりに!
次男の家族は母を連れて原発から約50キロ離れている姉の家に移動。(ここで1泊)
ところが姉の長男は被害妄想的にネガティブになっており、神奈川県の姪(長女)のマンションに避難すると・・・。
5歳の娘が心臓に大きな障害を持って生まれたので、心配も大きかったのだと思います。
16日に母を連れて神奈川県大和市に行きました。
高齢の母がここで12人で暮らすのは大変だったようで、19日(土)に千葉県市川市に住む兄が迎えに行き、移動しました。
今もここで過ごしています。
兄の家には母の部屋が有るので、さぞほっとした事と思います。

私が帰宅した次の日に、家族3人で母の家と義母の留守宅に行ってきました。
私の母の家は、中がめちゃくちゃになっていました。
特にガラスの破片が酷く、3人で片付けました。
お母さん、怖かっただろうなあ・・・。
なんだか泣ける・・・。

母も義母も元気になりました。
ほっとしています。

昨日、ホームセンターに買い物に行きました。
レジで私の前に並んでいたおじさんが、ポイントカードの申請の件で住所を聞かれていました。
「家を流されちゃって避難所で暮らしているんです。だから住所が分らない。」・・・と。
涙が滲んだけど、何も出来なかった。
なんと声をかけたらいいのか・・・気持ちは有るのにどうしたら良いのか分からなくて・・・。
無力な自分が恥ずかしかったです。
沢山の方にこんなに支えて頂いたのに・・・
これからは頂いた気持ちから蓄えられた元気を被災地(者)に向けて、出来ることから使わせて頂きたいと思います。

地震、津波、原発、風評被害
4重苦と言われ、すっかり有名になってしまった我福島県I市。
ミヤネ屋で何度か取り上げてくださり、ありがたいと思っています。
ここ数日で大分良くなってきました。
スーパーがあちこち開き始め、ガソリンスタンドも同じです。
まだ断水の所も多いですが、希望は見えていると思います。
地震後、自宅待機状態だった会社が多いのですが、新年度と同時に動き始めているようです。
避難していた人達もぞくぞく戻ってきているようです。
嬉しいことです。
I市民として、誇りを持って頑張ります。

地震後、初めて生で聴いたワッツ。
拓哉君の優しさと温かさが沁みて沁みて、泣きました。
「♪旅立ちの日に」なんてもう・・・。
拓哉君、ありがとう!

昨夜の「SMAPがんばります!」も素晴らしかったです。
笑って、感動して、どれだけ嬉しかったことか。
拓哉君のファンになれて、本当に良かった。
拓哉君を好きになってから、どれだけ私は幸せな気持ちを頂いただろう?
沢山の素晴らしい友も出来ました。
拓哉君を大好きな仲間は優しくて温かい人ばかり。
「ありがとう!」のこの気持ち、拓哉君にも伝えたいなあ。
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