「兄貴の嫁さん 柔らかい太もも」(2001『義姉さんの濡れた太もも』の2004年旧作改題版/製作:多呂プロ/提供:オーピー映画/監督:荒木太郎/脚本:内藤忠司/撮影:前井一作/編集:酒井正次/助監督:森山茂雄/出演:時任歩・佐倉萌・前野さちこ・西川方啓・木立隆雅・縄文人・入月謙一)。
亡き夫の遺した山間の温泉旅館・水上荘を、女将として切り盛りする菜莉(時任)。一方東京、エグいものを撮る、と定評のある女流AV監督の真木子(時任歩の二役)。寝て起きる毎に、菜莉は真木子の夢を見て、真木子は菜莉の夢を見る。菜莉は密かに想ひを寄せられ寄せる、亡き夫の弟・幸二(西川)を追つて東京に、真木子はいよいよ挑戦する劇場本篇のロケハンの為に、プロデューサー(木立)を伴ひ水上荘に向かふ。
二つの全く異なる人生が巧みに交錯する物語(『薔薇の眠り』《2000/米/監督:アラン・ベルリネール/脚本:ロン・バス/主演:デミ・ムーア》の翻案、らしい)は、抜群によく出来てゐる。脚本も、さりげなくも見事にダブル・ロールを演じ分ける時任歩にも文句の付け所がない。もう、全く素晴らしい出来であつたのだ、途中までは。
何故にそのシーンをわざわざ8ミリで撮る必要があるのか。しかも何故にその8ミリの映像を加へてチカチカ早回しとし、折角のこれまでの映画のリズムを自ら乱してしまふ必要があるのか。物語の重要な分岐点で鳴る、効果音の調子を意図的に外す必要が一体何処にあるのか。即ち最終的には、荒木太郎の映画を好む向きのいふところの荒木調、あるいは荒木節。然れども当サイト断罪するところの荒木臭、によつて丹念に積み上げられて来たものが全て台無しにされてしまふ一作である。エンド・クレジットも、あれでは殆ど判読出来ない。
もう一度、改めていふ。作家性、だなどといふ至らぬ要らぬものに色気を出すのは、商業映画のフィールドでは全うな娯楽映画を全うに撮り上げることが出来てから初めて、にするべきではなからうか。折角途中まで見事に撮り上げられて来た映画を、自らの拘りによる瑣末な、そして全く不要な意匠によつて全て御破算にしてしまふなど、それこそ全く言語道断である。何時も何時も同じやうなことばかり荒木太郎の映画に関してはいつてゐるやうな気もしないではないが、それは毎度毎度同じやうな映画ばかりを荒木太郎が撮り散らかしてゐるからである。
佐倉萌は水上荘の仲居、この人は劇中設定年齢に沿つて、適宜演じ合はせることが出来る。前野さちこは、真木子の撮るAVに出演するAV嬢。ビデオ画面越しの出演が殆どなので、顔がよく判らない。縄文人は水上荘の常連、物書き。入月謙一は、真木子が部屋に呼ぶ出張ホスト・健也。
最終的には一刀両断にしてしまつた感も漂ふ今作であるが、時任歩を堪能するには正しく極上の一本である。人格レベルからの様々な全盛期の姿が、たつぷりとフィルムに刻み込まれてゐる。
以下再見時の付記< 巧みに交錯する時空を越えた二つの記憶が、終にひとつに交はるまでは本当に奇跡的に、感動的に素晴らしく出来てゐたのに、いはゆる荒木調、改め荒木臭が映画全体と観客のエモーションとのスムーズな着地を妨げてしまつてゐる、やうにしか見えなかつた。ここは池島ゆたかにでも撮らせてゐれば、要らぬ工夫などせぬ分おとなしく傑作たり得てゐたのかしらん、とも思つたがその場合、五代暁子は決してこれだけの傑作脚本を書上げはしないであらう、といふ別種の現実的な障壁に直ぐに思ひ至つた。
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