真夜中のドロップアウトカウボーイズ@別館
ピンク映画は観ただけ全部感想を書く、ひたすらに虚空を撃ち続ける無為。
 



 「《生》異常性体験 淫婦たちの群れ」(1990『超アブノーマル・ペッティング 異常快楽』の1994年旧作改題版/製作:多分旦々舎/配給:新東宝映画/監督:山崎邦紀/脚本:山崎邦紀/撮影:稲吉雅志・青木克弘・伊東信久/照明:秋山和夫・谷博文/音楽:藪中博章/編集:金子編集室/助監督:広瀬博己・山村幸司/制作:鈴木静夫/スチール:岡崎一隆/作画協力:ゴブリン森口/録音:ニューメグロスタジオ/現像:東映化学/出演:栗原早記・原ひとみ・小雪・石原まりえ・山瀬みち・池島ゆたか・芳田正浩・栗原良)。チーフ助監督の広瀬博己は、当方が仕出かした博巳の誤記ではない。

【早速面目ない前書】 要は大間抜けの節穴がクレジットにまんまと釣られ、「DMM荒野篇」は初戦にして早くも木端微塵に粉砕されてしまつた。コメント欄も必ず併せてお読み頂きたい、といふか、寧ろ本文に目を通す必要がないのか。本来ならば全面的な改稿を施さねばならないところが、面倒臭さよりも正直打ちひしがれたといふ無力感の爆裂する理由で、最早直さない、恥を曝す。但し、バラエティに富んだ濡れ場の海に最終的には沈みがちに、魅力的な筈のエモーションの前髪を掴み損ねてしまつた。とした大枠自体に改める要をこの期に臆面もなく認めないことに関しては、決して開き直つてみせるつもりではない。全く以て、コメを頂戴する度に愕然としてばかりの、東洋一粗忽で打たれ弱い管理人である   >思ひ上がるな銀河系一だボケ

 最初に白旗を揚げさせて貰ふと、栗原早記以外の女優部の特定に清々しく手も足も出ないことを予めお詫び申し上げる。
 二十年勤務した「ブランココーヒー販売」を退職した小熊幸太郎(栗原良)が、自宅居間にて鹿を始め諸々の動物のスケッチに熱中する。達者なスケッチの主である、作画協力のゴブリン森口といふのは要は森口抜きのあのゴブリンなのだが、地味に侮れぬ地力に感心する。ここからエロマンガを描くとああなるのが、逆に不思議だ。小熊は会社を辞めることにした自身と、元同僚の小鹿由美子(栗原早記)との別れを惜しんだ社内での情事を想起。次の仕事を探すでもなく、絵なんぞ描いて油を売る亭主に邪険に接する妻・美登里(ビリング推定で恐らく原ひとみか小雪)の顔見せ挿んで、再び同趣向の、牛島香澄(同じく小雪か原ひとみ)との社内情事の想起に及んで、二戦は事実の回想ではなく、小熊の切ないイマジンであることが明らかとなる。「そんな楽しいことがあつたら、会社辞めてないか」、といふ小熊の独白は何気に泣かせる名台詞。その夜、逆ギレした小熊がコーヒー豆を持ち出す流石に非現実的な夫婦生活噛ませて、日を改め昼下りの公園、小熊は公衆電話から由美子に接触を図つてみる。したところが予想外に常識的には気色の悪い誘ひに乗つた由美子は、直近の日曜日に会ふや、いきなり小熊を同僚四人で借りる自宅に招く、自発的な社宅か。仕事以外に大切なものを忘れて来た、会社にはもつと美しいものがあつたのではないか云々と突然の退社を振り返る他愛ない遣り取りを経たところで、由美子はお願ひと称して藪から棒に種々の淫具を持ち出すと、生理不順を理由とする診察、その前に検温を小熊に求める。といふ訳で大胆な流れから流麗に、左から早記の尻、続いて右からは恐々と体温計を手にした良といふダブル栗原フレーム・インは、この時点での山邦紀の手法の確立を窺はせる。それ以上はお預ける事後、由美子は小熊に、「貴方の置き忘れて来た、会社の美しい部分を見せてあげるは」と妖しく誘(いざな)ふ。
 配役残り、由美子は休んだのか翌月曜日の午後三時、再び四人宅に由美子と小熊が潜む中現れるだからビリング推定で石原まりえか山瀬みちと池島ゆたかは、由美子のルームメイトで人妻、兼拷問マニアの白鳥玲子と部長。部長は玲子が川島に色目を使つたと因縁をつけ、スパンキング・首から上まで含め文字通りの全身タイツ責め・乳首責め・鼻フック等々と手の込んだ一戦を長尺も費やし披露、物語の進行を願ふと、若干中弛む。くどいが山瀬みちか石原まりえと芳田正浩は更に次の夜に狭い世間で乱れる、アナル拡張マニアの鮎川瞳と猪又。然し川島のことは忘れると動物園のやうな会社だ、社長の名前は志々雄ならぬ獅子緒か何かか?
 「DMM荒野篇」初戦は、ずつと観たかつた山邦紀デビュー作!DMMさん本当に有難う、個人的にはこの一本に三千円でも元は取れる。因みに、十二月の今作に遡る一月公開の「アブノーマル・ペッティング」(1990/監督:浜野佐知/脚本:山崎邦紀/主演:大沢裕子)なる姉妹の姉作も存在するのだが、内容的には色んなセックスが開陳される点を除けば特段も何も掠りもしない。話を戻すと、話の基本線としては、足場の揺らいだ中年男が彷徨ひ込む、といふかより直截には引き摺り込まれる性の魔宮。一見攻撃的な強面にも見えて、実は磐石の受けの芝居を誇る栗原良(a.k.a.リョウ・ジョージ川崎、更に相原涼二)を絞り取る、もとい迎へ撃つは展開の牽引力に富む栗原早記―それと忘れてはならないのは、キャラクターは薄いが香澄役はプロポーションが理想的に素晴らしい―を筆頭に、処女作祝儀か全員脱ぐ女優陣が通例六割六部増しの豪華五人態勢。尤も、加へて様々なアブノーマル・プレイを繰り広げるに至つては、諸刃の剣といふ評価も否めなくはない。バラエティに富み過ぎた絡みの数々を消化するのに手一杯で、“置き忘れて来た美しいもの”なる如何にも魅力的なエモーションの前髪を提示しておきながら、結局はそれが深化されることはなく濡れ場の海に沈んでしまつた印象は強い。再び尤も、開巻に連なるオーラス、鳴り続ける電話に出ることすら叶はずに、「どうしたらいいんだ」と力なく逡巡するほかはない小熊の情けない姿には、既定の着地点も透けて見える。結局は始終を通過した主人公が、より一層途方に暮れるといふオフ・ビートは、ある意味山邦紀らしい捻くれた結末であるといへるのではなからうか。小熊の動物スケッチが何時しか交尾のものばかりに変つてしまつてゐるのも、さりげない笑ひ処だ。


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コメント
 
 
 
これは? (ヤマザキ)
2013-03-09 03:47:07
せっかく観てもらったのに水を差すようだけれど、デビュー作と言われても、まったく記憶にない。早瀬理沙さんと石井基正君で撮った『超わいせつ 息づかい』(新東宝)が最初の映画のはずだけれど、誰が作ったか知らないわたしのフィルモグラフィーなるものを見たら、確かにこれが第1作となっている。
実は、わたしのデビュー作は、新東宝映画ではなく、かつての新東宝ビデオが窓口だった。その頃はビデオ部門のプロデュースする新東宝映画もあって『超わいせつ 息づかい』の打ち上げでは、映画部門の田中プロデューサーと口論になった覚えがある。
当時、旦々舎はエクセスをメインにする一方で、新東宝ビデオの仕事も受けていたので、おそらくは浜野監督に来た依頼をわたしに回したものだろう。
その2年前らしいこの『超アブノーマル・ペッティング 異常快楽』は、もしかしたら浜野監督に来た依頼を浜野監督が撮り、名義だけわたしにした可能性がある。当時は競合他社の作品を撮ることはタブーみたいな雰囲気があった。エクセスをメインとする旦々舎としては、浜野佐知監督名義で新東宝作品を撮ることはできなかったろうと思う。
実際、わたしが初めて大蔵映画を撮った時にも(これも三条まゆみプロデューサーから浜野監督に依頼があリ、わたしが代打ちとなった)エクセスに対する配慮から、当時わたしの監督作で使っていた脚本名義の「的場千世」(監督と脚本が同じでは安っぽいというエクセス小松さんの指令による)を監督としてクレジットした。催眠をテーマにしたものだったが、前述のフィルモグラフィーには当然載っていない。
自由に撮らせてくれる大蔵映画の作品を別名にするのは気分が悪く、第2作以降は浜野監督の反対を押し切ってわたしの実名とした。余談になるが、その後、浜野監督が新東宝で撮る時に「的場千世』名義を使い始めたので、マニアの間でも混乱が生じた。
『第七官界彷徨 尾崎翠を探して』で大阪に行った時、月岡さんという女性ライターと延々と噛み合わない話になったのも、この「的場千世」名義の恣意的な使い方が一因していた。
長々書いてしまったが、旦々舎が量産体勢にあった頃は毎日がドンチャン騒ぎで、名義がどうであろうとまったく気にしないというのが実状だった。往事茫々ではあるが、ほっとけばよい墓を、わざわざ掘り起こして来る貴君の、誰のためにもならない難業苦行に敬意を表して、記憶を辿ってみた。
 
 
 
>これは? (ドロップアウト@ピンクス無職)
2013-03-10 00:35:55
 やあみんな、ピンクを見てても仕出かす全方位的な役立たずだお(*´∀`*)   >もうヤケクソ

 自棄はさて措き、書き足した前書を以て返答とさせて頂きます。
 横着をお許し下さい、貴重な逸話を有難う御座いました。
 
 
 
追伸 (ヤマザキ)
2013-03-11 03:29:46
今日、浜野監督に確認したら、あっさり「まったく覚えてないけど、それは多分自分の監督作だろう」と言ってた。「(ピンクリンクの)太田君がフィルモグラフィー作ってくれてるけど、こうなると怪しくなるね(=「浜野佐知」名義だけでは収まらない)」と笑っているのはどうかと思うが、当時のエクセスをめぐる状況を考えると、新東宝作品をわたし名義にしたのは、まったく不思議でないということだった。

この件に関するわたしの考えについては、貴君への以下のツイートを収録しておきたい。

「 jmdbって日本映画データベースのことなのね。ピンクまで網羅するのは難しいでしょ。それに、映画において固有名詞のクレジットについては、若干疑問もある。わたしが深く関わった旦々舎作であることは間違いないし、名義に固執するつもりはまったくないので。」

集団製作である映画において、固有名詞に固執しても仕方がない気がする。この作品でも、ゴブリン君に協力してもらっているように、相当わたしも肩入れしていることは間違いない。納得して監督をわたし名義にしたので、何も覚えていないのだろう。

この当時から浜野監督とわたしは初号試写のたびに喧嘩するほど意見が対立していたが、集団の中に固有名詞が埋没しても構わないと、わたしは考える。一方、わたしの監督作を「浜野佐知監督作品」としたら「ふざけるな!」と浜野監督は叫ぶに違いない。「私はそこまで下手じゃない」と言うだろう。

監督というのは特殊な人種だと思う。わたしがこれまで何十本監督したか数えたことはないが、いまだに自分を「監督」と自称したことはない(はずだ)。

 
 
 
>追伸 (ドロップアウト@ピンクス無職)
2013-03-11 08:59:25
 重ね重ね恐縮です。

>まったく覚えてないけど、それは多分自分の監督作
>これまで何十本監督したか数えたことはない

 その辺りの、量産型娯楽映画の頓着なさはしなやかさと同義であるかとも思はれますが、
 何はともあれ「山邦紀デビュー作発見、ヤッター!」だなどと嬉々とした挙句に、
 まんまと喰はされた己の浅墓さが情けない次第です。

>この作品でも、ゴブリン君に協力してもらっているように

 言ひ訳でしかありませんが、その点にも眩まされました。

 何はともあれ、上手く行かないのは私のターン、
 これからも性懲りも臆面もなく追ひ駆けて行きます。
 
 
 
訂正 (ヤマザキ)
2013-03-20 23:17:19
たびたび申し訳ない。わたしのコメントに明らかな記憶違いがあった。

大蔵映画で最初に使った拙作の名義は「的場千世」ではなく「水元はじめ」で、4作品この名義で撮ったようだ。5作目からが実名。
「的場千世」はエクセスの拙作脚本名義で、浜野監督の新東宝での名義は「的場ちせ」と平仮名となる。

奈良の研究家が調べてくれたのですが、どうやらこれが正確だと思われる。まことにアバウトな話で、まるで貸本劇画みたいと思ったけれど、まあ、わたしの杜撰な気質に起因しているね。

追伸:「和服夫人の身悶え」のデタラメな俳句を起こしてくれたのは有り難う。PGの諸君と揉めた頃の作品で、わたしは愛着があるが、もちろん評判は悪い。
 
 
 
>訂正 (ドロップアウト@ピンクス無職)
2013-03-21 12:07:30
>たびたび申し訳ない

 とんでも御座いません。

>わたしのコメントに明らかな記憶違い

 奈良氏は私もフォローしてますから、御二方の遣り取りはこちらのTLにも表示されます。
 開き直る訳ではありませんが、何だかもうキリがないので、
 手当たり次第片端から攻めます。見れるものは、全部取りに行けばいい。

>「和服夫人の身悶え」の俳句を起こしてくれた

 それがDMM戦の醍醐味です。
 私もリアルタイムでは正直ナンジャコリャ?でしたが、
 改めて再見してみたところフィニッシュに捻じ込まれた穏やかな
 エモーションに、不可思議な感銘を受けました。

 昔話も兎も角、最新作評判の御様子。
 当地に来るのは大概先ですが、楽しみに待ちます。
 
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