真夜中のドロップアウトカウボーイズ@別館
ピンク映画は観ただけ全部感想を書く、ひたすらに虚空を撃ち続ける無為。
 



 「三十路の性欲 手抜きはイヤ!」(1996『離婚妻のぬれ襦袢』の2004年旧作改題版/製作:プロダクション鷹/提供:Xces Film/脚本・監督:珠瑠美/撮影:伊東英男/照明:矢竹正知/音楽:プロ鷹選曲/美術:衣恭介/効果:協立音響/編集:田中編集室/助監督:加藤健二/出演:江本友紀・岩下あきら・谷口みずほ・鈴木英和・竹田雅則・樹かず)。無頓着にもポスターには加藤健二の名前が、出演者のところに並ぶ。
 裕子(江本)は恣なフリーセックス時代を通り抜けて、ひとまづ相坂勇作(鈴木)と期限付きの契約結婚する。その間裕子は更に思ふ存分セックスを貪るつもりであつたが、勇作の精力の限界に満ち足らず、仕方なく自慰に耽る日々を送る。とはいへそんな中、勇作は酔ひ潰れた上司の堀川(樹)を送り届けた先で、亭主とは冷戦状態にあるといふ細君・妙子(岩下)から誘惑されるや、ポップに据膳を頂戴する。一方、裕子は裕子でストレートに男根目当てで、四年前陵辱で裕子の処女を散らした、現在は司法試験に合格し検事補の結城(竹田)に連絡を取る。就職活動中の結城の義妹・松田洋子(谷口)が、勝手に持ち出した義兄の名刺を勇作が勤める会社に持ち込んだ弾みで、結城の名前が裕子の目にも触れたものだつた。
 登場人物の各々が、性的な側面に限らずともそれなりに繋がつてみせるのが関の山で、十全な起承転結も、そしてそれを統べる物語も、共にてんで存在する訳ではない。十八番の闇雲な、しかも意味がまるで判らないことの方が多い、イメージ・ショットの連打も影を潜めると明後日なヒット・ポイントにすら欠け、一言で片付けるならばルーチンな裸映画といふほかはない。とはいへ、新田栄のことが頭にあるからさうも思ひ込みがちになるだけで、案外この辺りが水準といへるのかも知れないが、女優三本柱の粒は全く綺麗に揃つてゐることと、谷口みずほの占める比重の軽さにさへ目を瞑れば、延々と連ねられる濡れ場濡れ場の、それぞれのテンポはそれでも決して悪くはないだけに、細かな詮索は放棄し腰から下で味はふものと割り切つてしまへば、これで結構楽しめぬでもない。主演の江本友紀が、確かにひとまづの美人としては要件を満たす反面、フワフワとした覚束なさも漂はせる一方、素の芝居に関しても芯の通つた強さを感じさせる、アクティブなショート・カットが堪らない岩下あきらの印象が一際強い。ピンク映画に何を求めるのかと問はれた際には、俺はまづ女の裸と答へることにしてゐる。それは決して、為にするポージングではないつもりだ。映画であれ何であれ、例へば盆栽でも鉄道でも何でも構はないが、男が何か好きなものがあるとして、通常女の裸はそれ以前に好きだらう。ならばピンク映画といふジャンルは、そのそれ以前に大好きなものと、後天的に好きなものとが融合してゐるといふ次第である、それを麗しき幸福と言祝がずして何といはう。

 一箇所爆発的にチャーミングなのが、勇作が身支度を整へながら裕子と会話も交しつつ、出勤する場面。結び途中のネクタイが、ワイシャツ右襟の上に出てしまつてゐる。しかも、当人としては当然ともいへるが面白いのが、顔色を窺ふに江本友紀は兎も角、鈴木英和はネクタイが襟の下を通つてゐないことに気付いてゐる。にも関らず、そのことを知つてか知らずか、珠瑠美は当該カットにオッケーを出してみせる。結果的な実際の映像としては、勇作は「しまつた、ネクタイがちやんと結べてねえぞ」といふ表情を見せながらも、段取りに従ひ仕方なく退場するのである。何だそりや、そんな天衣無縫な映画初めて観たよ。何だか逆に、実は芳醇な世界であるのかも知れないやうな錯覚すらして来た。観る者の脳髄を別の意味で蕩けさせる、ある意味危険な一作である。
 中身の全くないストーリーから、如何なる表題を捻り出したものか苦戦の跡も窺へる新旧タイトルではあるが、ところで“三十路の性欲”といふのは、一体誰の性欲のことなのか。劇中―公称スペックを真に受けた場合にも―裕子は二十一歳で、洋子も就活中の女子大生か短大生である。間違ひなく院生ではあるまい。妙子にしても、別に三十には見えないのだが。何故ここに来て、藪から棒にといふか薮蛇といふか、ともあれ逆サバを読まなくてはならないのか、何処から何処までファンタスティックなのだ。


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