真夜中のドロップアウトカウボーイズ@別館
ピンク映画は観ただけ全部感想を書く、ひたすらに虚空を撃ち続ける無為。
 



 「をんなたち 淫画」(2007/製作配給:国映株式会社・新東宝映画株式会社/製作協力:Vパラダイス/監督:大西裕/脚本:西田直子・加東小判/企画:朝倉大介/プロデューサー:衣川仲人・森田一人・臼井一郎/音楽:窄《GYUUNE CASSETTE》・モッシュルーム《殺害塩化ビニール》/撮影:田宮健彦/撮影助手:河戸浩一郎・北川?・増田貴洋?/助監督:海野敦・菊地健雄・山口通平・伊藤一平/編集:酒井正次/録音:シネ・キャビン/現像:東映ラボ・テック/協力:朝子賀子・飯岡聖英・石川二郎・?森博之・?谷?子・末武和之・躰中洋蔵・戸部美奈子・新里猛・遊佐和寿・ファン・ムービーキング/出演:花村玲子・宮崎あいか・吉岡睦雄・川瀬陽太・伊藤猛・細江祐子・小谷可南子・岩田治樹・今岡信治・永井卓爾・貝原亮・山口一平)。出演者中小谷可南子と、永井卓爾以降は本篇クレジットのみ。今岡信治が、ポスターには羅門ナカ。それとポスターにのみ、ポスター写真:AKIRA。
 多分脚本用の原稿用紙に、万年筆で手書きのオープニング・クレジット。作家の自筆原稿でござい、といつた風情の読めさうで絶妙に読めない筆致は、狙つてゐるものなのかそれとも素の悪筆なのか。何れにせよ、当サイトの嗜好としては、観客がまともに判読出来ないクレジットは些かならず頂けない。これまで国映勢の助監督を主戦場にして来た、大西裕の監督デビュー作である。
 映画監督志望の助監督・有(吉岡)は三十歳までにデビューを果たすとはいひつつ、脚本の執筆は遅々と進まないまゝに、リミットの三十路を跨がうとしてゐた。サッカーのW杯を三度通り過ぎた腐れ縁のOL・ 遠藤(花村)といふ女がゐながら、最近では書店店員・愛(宮崎)との二股もスタートさせる。そろそろ後戻りも利かないお年頃の遠藤からは、まるで展望の開けぬ脚本の進捗具合を見切られ半分に日々詰られつつ、最近遠藤相手には勃たなくなつて来た有は、AVを見てはマスをかき、セックスしたくなれば愛の部屋へと向かつた。
 改めてみるまでもないが、有≒(大西)裕といふ寸法。創作者気取りの生活破綻者の、何十年一日かで都合のいゝばかりの序盤の展開には、臆面もなくこの期に、しかもデビュー作からいきなり私小説かよと元気な時ならば頭を抱へながら大いに憤慨してゐたところだらうが、偶さか鑑賞時は著しく疲弊してゐた折につき、へらへら、あるいはやれやれと力無く苦笑するばかりであつた。とうの昔に引き返し可能なモラトリアムも通り過ぎてしまつた、ダメ男の怠惰で停止した日常の描写には、救ひやうのないリアリズムならば余計に溢れてゐるが、劇映画として、連続したシークエンスとしての強度は欠片ほどにしか持ち合はせない。この袋小路なのかあるいは何もない荒野の耐へ難い空疎かが、このまゝ無間に続くのではあるまいかと途方に暮れさせられる。
 有の住む古アパートは、翌月の取り壊しが決まつてゐた。有との同棲生活を強引に始めようとする愛は、無断で箱詰めされた有の荷物を自室へと少しづつ運び始める。ある日有の部屋で、荷物を取りに来た愛と、有を訪ねた遠藤とが偶然鉢合はせる。一方有は、以前助監督でついてゐたピンク監督で、今は映画からは足を洗ひ環境保護運動家として活動してゐるとかいふ、“ベーさん”(と、呼称してゐるやうに聞こえる/川瀬陽太)から連絡を受ける。環境保護と称してはゐるものの、如何にも胡散臭いベーさんから、有は“決して開けてはいけない箱”を目出し帽を被つて短い距離を送り届ける、だけといふ、これまた如何にも怪しげな、かつ危なげな仕事を引き受けさせられる。しかもベーさんの車のダッシュボードからは、拳銃なんて出て来る始末。
 物語はベーさん登場から、一応映画らしく動き始める。ベーさんの助言を受け有が脚本執筆に繰り返し試行錯誤する件は、古事記を乞食と取り違へるといふギャグ・センスはどうなのよと思はぬでもないが、それなりにテンポ良く観てゐられる。そこからフラワーな時代の映画のトリップ・シーンにも似た、現実と幻想とが目まぐるしく判然としない混濁を経て、映画は衝撃的な終幕を迎へる。あまりのブツ切り、あるいはより直截には放棄具合には、かつて見たこともない惨状に、休憩時間に入つた小屋に灯りが点つた後も、映画が終つことが信じられなかつた。エンド・マークは明確に出てゐるのに、こんな感覚は初めての体験である。是非は問はない衝撃の大きさだけでいふならば、尋常ならざる、いはば事件の領域にすら突入した終幕とさへいへよう。無論、最大出力で悪い方の意味に於いてであるのはいふまでもない。尺が満ちれば起承転結を途中でもさつさと撤収してみせる、大御大・小林悟の方が余程理解出来、まだしも映画だ。何かを壊してゐるのは恐らく間違ひないが、その壊したものが―商業―映画であるといふことさへ、この際認めたくはない。国映の遣り口をこの期にあれこれいふのも些か初心(うぶ)に過ぎるとすれば、大人の事情といふ奴もあるのか知らんが、新東宝は国映に甘過ぎやしないか。そろそろ考へ時ではあるまいか、新東宝は国映と心中するつもりか。好き勝手するのは構はないにしても、それなら自主配給させろ。
 要は一言で木端微塵、といへば事足りる今作―“今作”といふ言ひ方すら憚られる―ではあれ、ひとつだけ得られた知見がある。それは、女と男、加へて車と拳銃とがあつても、必ずしも映画は成立しない。もうひとつ極私的には、ある一定以上に疲れると、最早どんなものを観たとて腹も立たない。

 何処にそんなに出てゐたのかサッパリ判らないが、俳優部が思ひのほか多数クレジットされる。一応ビリング順に伊藤猛・岩田治樹・今岡信治は、レス・ザン・ホームの皆さん。細江祐子は、愛から本を受け取つた有が店を後にしたところで、カウンター陰からいゝ感じで競り上がり姿を現す同僚店員。
 音楽のモッシュルームは、正確な用語の持ち合はせがないのは心苦しいが、メタルかノイズもしくはパンク系。何をいつてゐるのか全く判らない辺りが、どうしやうもなく門外漢じみて無様だ。殆ど脈略もなく、メンバーが登場するショットもあり。個人的には嫌ひな種類の音楽ではないのだが、藪から棒にけたゝましく鳴り響く喧騒は、劇伴としてどうかう以前に、従来のピンクの小屋の客層からは、相当に奇異に聞こえたにさうゐない。その辺を大西裕が考慮してゐる訳が恐らく積極的にない点も、改めていふまでもなからう。
 一応再見時の備忘録< 別の意味で衝撃の結末は、何時の間にか死んだ筈になつてゐるのはさて措き、三角関係をまるで整理する気のない有が、遠藤と愛に崖から突き落とされる。岩田治樹以下二名のアンダー・ザ・スカイ・ホームは撤収、昼夜のパン・ショットを噛ませて波打ち際にエンド・マーク、矢張りサッパリ判らん


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