真夜中のドロップアウトカウボーイズ@別館
ピンク映画は観ただけ全部感想を書く、ひたすらに虚空を撃ち続ける無為。
 

初恋  


 「初恋」(2006/監督:塙幸成/脚本:塙幸成・市川はるみ・鴨川哲郎/原作:中原みすず/主題歌:元ちとせ『青のレクイエム』/出演:宮あおい・小出恵介・宮将・小嶺麗奈・柄本佑・青木崇高・松浦祐也・藤村俊二、他)。
 昭和43年12月10日、日本信託銀行(現:三菱UFJ信託銀行)国分寺支店から東京芝浦電気府中工場に工場従業員へのボーナスとして現金輸送車で輸送中の現金三億円が、白バイ警官に偽装した何者かによつて強奪された、いはゆる府中三億円強奪事件。昭和50年公訴時効が、昭和63年に民事時効すらもが既に成立したこの事件は、日本犯罪史上最大のミステリーと呼ばれてゐる。今作は府中三億円強奪事件の実行犯は、当時18歳の女子高生であつた、とする中原みすずの同名小説の映画化である。初めにお断りしておく。私は原作小説は全く素通りしてゐる。以下はその限りに於いて述べるものである。
 兎にも角にも予告篇がヤバい。正確にいふとヤバかつた。草むらの中に停めた黒塗りの現金輸送車を前に、背中を見せて立つ偽白バイ警官。予告篇の締め括り、ヘルメットを脱ぎ頭を左右に振ると、纏めてあつた豊かな黒髪が零れる。そこに被るモノローグ、“あなたとなら、時代を変へられると信じてゐた”。少女は、初恋の相手と時代を変へる為に、三億円を強奪したのだ。そんな物語に、心がときめかない訳がない。震へない筈がない。
 内向的で孤独な少女、みすず(宮あおい)。幼い頃、兄だけを連れて出て行つた母親に捨てられたみすずは、叔母夫婦の家に引き取られてゐた。とはいへ叔母家族とも打ち解けず、学校にもみすずの居場所は無かつた。
 ある日学校帰りのみすずの前に、幼い頃離れ離れになつて以来の兄・亮(宮将@宮あおいの実兄)が不意に現れる。俺は此処に居る、と渡されたマッチを頼りにジャズ喫茶・Bを訪れるみすず。初めて足を踏み入れる夜の街、退廃的な店内の雰囲気にみすずはすつかり呑まれてしまふ。亮の仲間の一人で、仲間の輪からは離れて独りランボーの詩集に目を落としてゐた東大生・岸(小出)が、冷たく言い放つ。「子供が何の用だ」。みすずはおどおどと、然し決然と言ひ返す、「大人になんか、なりたくない」。
 みすずはBに居付くやうになる。時代は荒れてゐた。ある日、仲間の一人・ヤス(松浦)がデモの最中機動隊員から暴行を受け、半身不随の重傷を負ふ。敗北感に打ちのめされる仲間達。そんな中岸は、かねてから温めてゐた計画にみすずを誘ふ。三億円を強奪する、当然当惑するみすず。岸は言ふ、「お前が必要なんだ」。その一言に、みすずは心を動かされる。“あなたとなら、時代を変へられると信じてゐた”。少女は信じたのだ。
 結論からいふ。場内は賑つてゐた。今時の観客にはこの程度でも十分満足出来るのかも知れないが、個人的には全く不満であつた。宮あおいは、今回も宮あおいが内包してゐる筈のエモーションに見合ふ演出力には巡り会へなかつた。「ギミーヘブン」の、何かの間違ひのやうなラスト五分(だけ)は除く。常時ものいひ方をすると、相変はらず1980年代以降のラインのこちら側で安穏と手をこまねいてゐる映画であつた。何で塙幸成はかくもエモーショナルなプロットを手にしてゐながら、ずつとギアをニュートラルに入れ放しで映画を撮るのか。塙幸成がニュートラルぶりを最も露呈するのは、正に三億円強奪の実行シーン。降り頻る雨に阻まれ、みすずは計画されてゐたスケジュールを超過する。間に合はない。みすずは天を仰ぐ。何だよ、結局変へられないのかよ・・・・・。次のシーン、カットが変ると唐突に再び偽装白バイを走らせてゐるみすず。何故そこで、一旦諦めかけてしまつたところから、世界なんて矢張り変へられないんだと絶望したところから、否、違ふ。と再び心を、世界を振り切るシーンを挟まない。
 現にこの二千年、キリストがユダに売られたところから半歩も変はりはしなかつたこの世界、即ち近代。何も変はらなかつたぢやないか。そんなことはクズにでも言へる。結局変へられないのかよ、そんなことは腰抜けにでも言へる。何も変へられやしないことなど、最早初(はな)から判つてゐる。変はらないからこそ変へるのである。変はらないと判つてゐるからこそ、なほのこと変へようとするのである。人間の自由意志とは、さういふことである。その自由意志こそが、たとへ儚い敗北にしか通じてゐないとしても、エモーションの要であらう。何だよ、結局変へられないのかよ・・・・・。そこから、否、違ふ!と、変へるつたら変へるのだ、と再び折れた心を奮ひ立たせるシーンは絶対に必要なのだ。
 挙句再び走り始めたみすずの前に、これ又都合良く遅れてて呉れた現金輸送車がプラッと姿を現す。「嘘・・・」、とみすず。何だそりや。一応にしか単車を走らせない一連の実行シーンに、スピード感も緊迫感もまるで皆無な様も甚だしい。
 事件の後、岸は姿を消す。そこからエンドロールまで、映画は岸を失つたみすずの喪失感のみをちんたらちんたらと描く。宮あおいがスクリーンに映し出されてゐるだけでうつかり首を縦に振つてしまひさうにもなるが、正気を戻して思ひ留まる。初恋の相手が何処かに行つてしまつた喪失感もそれはそれでひとつのエモーションではあらうが、ところで世界を変へられなかつた敗北は何処に行つた。何も私は、現実的な敗北をスクリーンの中に観たい、などと申してゐるのではない。寧ろ真逆である。たとへどんなに不可避であつたとしても、現実的な敗北などスクリーンの中には見出したくない。美しくないものなんて、今既にあるありのままのこの世界で十分だ。ならば何が言ひたいのかといふと、今作のやうな無様な体たらくを晒すくらゐなら、正に全てを変へんとしてゐた高揚感の内に主人公が死んで行くニューシネマのやうなラストの方が、たとへその死がしばしばどんなに呆気なくとも、映画としては決定的に美しかつたのではないか、といふことである。

 宮あおい以外の主要若手キャストが、ほぼ全員見るに堪へない無様な醜態を晒す中(柄本佑が後の中上健次とはどういふ冗談だ?)、ピンクから殴り込んだ我らが松浦祐也は唯一健闘。踏んで来た場数から段違ひに違ふ。ハイライトに見合ふ芝居をしてゐたのは松浦祐也だけであらう。小嶺麗奈は雰囲気だけなら悪くなかつたが、少し声を張らせると途端に演技が崩れる。佐倉萌の名前がクレジットの中にはあつたのだが、迂闊にも確認出来なかつた。もう一度確認しに観に行く予定は全く無い。
 最後に、決して駄目な曲といふ訳ではないのだが、主題歌も頂けない。三億円事件の犯人の映画だぜ?主題歌といへば当然、ジュリーの「時の過ぎゆくままに」でなくつちや。


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