真夜中のドロップアウトカウボーイズ@別館
ピンク映画は観ただけ全部感想を書く、ひたすらに虚空を撃ち続ける無為。
 



 「絶倫玉さがし」(昭和53/企画・製作:新東宝興業株式会社/配給:新東宝映画/監督:栗原幸治/脚本:堀之内透/撮影:伊東英男/照明:磯貝一/音楽:鴾野稔/録音:福田伸/効果:サウンド184/編集:室田雄/助監督:成田裕介・磯村一路/撮影助手:倉元一人/照明助手:西池彰/スチール:田中欣一/録音所:ニューメグロスタジオ/現像所:ハイラボセンター/協力:目黒エンペラー Tel 494-1211・ホテルニュー足立 Tel 848-5151・銀座アラジン Tel 567-3623/出演:椙山拳一郎・杉佳代子・橘雪子・しば早苗・岡本五郎・永田道子・青山涼子・高島亜美・ちなみらら・国分二郎)。脚本の堀之内透は、栗原幸治の変名。ロケ先のラブホを電話番号までクレジットする、Win-Winの繋がりが麗しい。それと何気にでもなく、助監督が凄い面子。
 産婦人科医の遠山(国分)が、一回五十万成功した場合百五十万と割とでもなく高額な料金で、一発で妊娠させる男を顧客の下へ差し向ける、あちこち箆棒な要件の電話を横柄に受ける。ジャージ姿で強精料理を掻き込む、当の種馬氏・草野(椙山)にタイトル・イン。クレジット明け、亭主に余所の女を抱かせて平然としてゐる細君・キミコ(杉)登場。因みにこのお二人、昭和46年に結婚おしどりぶりで知られた実夫婦。普通の食事が摂りたいと目下の稼業に食傷する草野に、キミコがハッパをかける一幕。世界が天才ばかりになれば?といふ草野の問ひに対し、キミコの答へがズバリ「平和になるは」。そのココロは戦争も犯罪も馬鹿が起こすとのことで、まるで大雑把なニュータイプ思想の趣ではある。来宅してのクライアントを控へ、雑事はお手伝ひのトシコ(青山涼子/a.k.a.愛染恭子!)に任せ外出したキミコは、元々は草野の友人であつた遠山と逢瀬する。トシコの化粧があまりにも濃くて、改めて調べてみるまで全然気づかなかつた。不思議なことに、若い頃は訛もないし。
 配役残りまだ肉感的の範囲内に止(とど)まる橘雪子が、キミコと入れ違ふ形で草野家に入る台所でするのが好きな女。岡本五郎としば早苗は、交通事故で男性機能を失した十文字デパート社長令息と、その妻・ケイコ。問題が女優部残り三人に手も足も出ない、草野の一物を萎えさせる今でいふBBAと、穴が異常に小さいとの藪蛇な設定の、首から上も下も今でも全然通用する上玉に、産油国の皇太子と婚約させる女の子、を産ませるために草野と致す元華族の那須野千草嬢。この中で、草野と上玉が相見えるのは目黒エンペラー、ベッドに“MEGURO”と書いてある。
 DMMで名前も知らない監督の古いピンクをとりあへず見てみる、無造作な愉悦の過程で辿り着いた栗原幸治最終作。若くして亡くなつたらしく、既に故人の栗原幸治のザックリとすらしてゐない略歴としては、日芸経由の若松プロ出身、栗原姓の複数名義で活動した映画製作・配給会社「東京興映」(ex.小森白プロダクション)と命運をともにする格好で、昭和48年一旦キャリアが途絶える。昭和52年師匠のATG映画「聖母観音大菩薩」の助監督で現場復帰、栗原秀光名義の「痴漢特ダシ公園」(同/矢張り新東宝)を経て、今作に至る。
 映画の中身は草野が外で産ませた子供がことごとく天才児である事実に注目した遠山が、草野の種での一儲けを思ひたつ。なかなか豪快だか強引ともいへ、如何にも桃色の量産型娯楽映画に相応しい物語、かと思ひきや、これが案外一筋縄では行かない。元々夫婦の不仲の源が自らの不妊にあつたキミコが、草野に対する複雑な―殆ど前者を完全に抜いた―愛憎を滲ませる、ホテルニュー足立か銀座アラジンでの遠山との情事。正直煩雑さを覚えなくもないほどカットを結構割つてみたり、頑なに女しか抜かない濡れ場には決して裸は疎かにはしないまゝに、栗原幸治が映画に捧げた情熱を垣間見させて、おいて。続くその頃の草野家ではの草野と橘雪子の一戦に際しては、橘雪子の狂乱に連動して台所のザル篭を頓珍漢なSEとともに乱舞させる、グダグダといふかグジャグジャなコメディ演出を披露、もしくは仕出かす。出張しての対ケイコ戦では、全身を包帯でグルグル巻きにされる十文字デパート社長令息に、悲運の名馬・テンポイントを絡める謎モチーフ。正直少なくとも今となつてはあまりにもダサ過ぎて苦笑しか湧いて来ない、伊勢功一の「泣くな!テンポイント~涙で蹄を濡らすな~」をこの時代の大らかさで堂々と―ほぼフルコーラス―実曲使用してのけるのは寧ろ、しば早苗的には折角の見せ場を邪魔されたとさへいへるのではなからうか。ヤル気があるのかルーチンなのか、とかく安定しないトーンの果てに、終に観音様には勃たなくなつた草野が、種馬業の合間にトシコの菊門を無理から犯す地獄絵図を通過するや、今度は後者を殆どオミットした悲喜劇に真つ逆様。長閑な公開題には反し、ダークに片足突つ込んだペーソス漂ふラストには、あるいはかつて夢見たやうには恐らく戦へなかつた、栗原幸治自身の投影を勘繰り得るのかも知れない。


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