京都童心の会

ほっこりあそぼ 京都洛西の俳句の会
代表 金澤 ひろあき
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舞姫現代語訳21

2017-02-13 09:12:02 | 日記
『舞姫』現代語訳 第二十一段落     金澤 ひろあき
[要旨]
自分をとりまく状況に初めて気づく太田の自己分析・ロシアからの帰国
[現代語訳]
大臣はすでに私を厚遇してくださっている。しかし私の近眼(のような目の前しか身えない目)はただ自分がつくしている仕事だけを見ていた。私はこれ(つくしている仕事)に未来の望みをつなぐことになるというのは、神様も知っているように、私はまったく思いつきもしなかった。しかし今このことに気づいて、私の心はぞっとした。
先に友(相沢)がすすめた時には、大臣の信用は屋根の上の鳥のようにまだ遠くつかまえにくいような感じであったが、今はやや信用を手にいれたかと思えたようで、相沢がこの頃語る言葉のはしばしに、本国(日本)へ帰って後もともに一緒になどと言ったのは、大臣がこのようにお話しになったのを、友ではあるものの公の事であるので明らかには告げなかったのか。いまさら思うと、私が軽率にも彼に向かってエリスとの関係を断とうと言ったのを、早くも大臣に告げたのだろう。
ああ、ドイツに来た当初には、自分の本当の性質を悟ったと思って、また器械的な人物(人の命令どおり動く人物)にはなるまいと誓ったが、これは足を糸で縛られて空に放された鳥がしばらく羽根を動かして自由を手にいれたと思い誇っていたようなものではあるまいか。足の糸は解く方法もない。先にこれを握っていたのはある省の長官であって、今はこの糸はなんと、天方伯爵の手中にある。
私が大臣の一行とともにベルリンに帰ったのは、ちょうど元旦の朝であった。駅で別れを告げて、わが家をさして車を走らせた。ベルリンでは今も除夜には眠らず、元旦に眠る習慣であるので、どの家もひっそりとしている。寒さは強く、路面の雪は鋭い角度のある氷のかけらとなって、晴れている日の光に反射し、きらきらと輝いている。車はクロステル街に曲がって、家の入り口でとまった。この時窓を開ける音がしたが、車からは見えず、御者(ぎょしゃ 馬車をあやつる人)にカバンを持たせてはしごを上ろうとする時に、エリスがはしごを駆け降りるのに出会った。エリスが一声叫んで私の首もとを抱いたのを見て御者はあきれたような顔つきで、何か髭(ひげ)の中で言ったが聞こえなかった。
[ポイント]
1 太田をとりまく状況
太田の優秀さがわかる。→天方伯爵が部下として日本に連れて帰ろうとしている。まだ正式に天方伯爵が太田に告げたわけではないので言えないが、相沢は会話の中でほのめかしている。
2 太田の自己分析
やはり自分の性格・本質は変わっていない。器械的な人物
その比喩表現=足を糸で縛られた鳥
糸を握る者=支配者
昔…省の長官
今…天方伯爵
※今の支配者のほうがさらに権力をもっている。もう絶対逆らえない。
3 元旦にベルリンに帰る。エリスと再会。

※ちなみに鷗外はロシアに行っていない。友人の  が鷗外が日本に帰国した一年後、山県有朋とともにロシアへ行っている。『舞姫』のロシアのシーンは、親友から伝え聞いたものを参考にしたのだろうか。
参考までに年表を示しておきます。
明治21年 1888年 
7月5日  鷗外ベルリン出発
9月6日  横浜着

7月12日 エリーゼ ブレーメン港出発
9月12日 横浜着 鴎外の家族、特に母が結婚に反対。鷗外とエリーゼと直接会えず、鷗外の縁者などがエリーゼを説得。説得後、一回だけ鷗外とエリーゼは会った模様。
10月 エリーゼ帰国
 だから、「明治21年の冬」にはすでにエリーゼと別れていた。
明治22年 1889年
 3月6日 鴎外、赤松男爵の娘、登志子と結婚。(その後、離婚)
 3月18日~5月16日 天方大臣のモデル、山県有朋視察団 ベルリン着 この使節団には鴎外は参加せず。
 相沢のモデルと思われる賀古鶴所は同行 (エリーゼと会った可能性はある。もしそうならば、エリーゼは鷗外の結婚を知らされたのであろう。)


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