京都童心の会

ほっこりあそぼ 京都洛西の俳句の会
代表 金澤 ひろあき
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『猿蓑』巻六 芭蕉「幻住庵記」口語訳 1

2024-04-09 07:51:32 | 俳句
『猿蓑』 ノート おまけ
巻六  芭蕉「幻住庵記」 口語訳   金澤ひろあき

1 庵に入るまでのいきさつ
 石山の奥、岩間山のうしろに山があり、国分山という。その昔の国分寺の名を伝えているのだろう。ふもとに細い流れ
いる。を渡って、山の中腹に登ること、山道を三曲がり二百歩の所に、八幡宮がお立ちになっている。神体は阿弥陀仏の尊像とか聞いている。唯一神道家は、神仏混交をはなはだ嫌うことだが、両部神道では、仏が光をやわらげ、現世利益の塵を同じくされる(「老子」に説く和光同塵のようにされる)のもまた貴い。
 長い間、人が詣でなかったので、とても神さびて物静かなそばに、住み捨てた草庵がある。
よもぎ根笹が軒をかこみ、屋根は雨漏りし、壁は落ちてキツネ・タヌキが寝床にしていた。幻住庵と言う。
 主人の僧なにがしは、勇士菅沼曲水様の伯父でありましたのを、今は八年ほど昔になって、まさに幻住老人の名だけを残している。
私はまた江戸の市中を去ること十年ばかりで、五十歳にやや近い身(この時、芭蕉四十七歳)は、蓑虫が蓑を失い、かたつむりが家を離れるかのように、奥羽象潟の暑い日に顔を焦がし、高い砂丘の歩み苦しい北海の荒磯にかかとを破って(奥の細道の旅を行い)、今年琵琶湖のほとりに漂い着いた。
 鳰鳥の水上の巣が流れ着いた一本の葦の葉陰を頼みとしてとどまるかのように、この幻住庵を頼みとし、軒端をふき改め垣を結いつけたりして、四月の初め、ほんのしばらくの間と思って入った山が、そのまま出たくないとまでも思い始めてしまっている。
※写真は石山寺。