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小説家・李文烈の父親のこと、そして彼の今日この頃・・・・

2010-10-02 23:09:01 | 韓国の小説・詩・エッセイ
 一昨日の記事に関連して、小説家李文烈について調べたことと考えたことです。

 経歴をみると、彼の父親李元喆(イ・ウォンチョル)は社会主義者で、パルチザンとして北朝鮮に行ってしまった人です。朝鮮戦争当時ソウル人民軍治下にあった時、水原農大の学長として3ヵ月間在職していましたが、妻と子ども5人を残して越北したのです。
 残された家族の生活は苦労の連続で、先の記事に付した年譜を見ればわかるように、各地を転々としています。
 少年時代の李文烈も生活面・精神面ともに不安定だったようで、中学・高校・大学とも中退しています。

 とくに父親が<パルゲンイ(赤)>だったということは、80年代まで存続した連座制のため子どもの進路にまで影響を及ぼします。
 ※ドラマ「砂時計」の主人公テスも、そのために陸軍士官学校への進学の夢を絶たれる。

 李文烈の小説にも、そんな越北した父と残された家族の物語が取り上げられています。
「若き日の肖像」では、第1部「河口」。兄の仕事を手伝いながら受験勉強をしている「私」が遠くから来た友人と飲み屋で飲んでいると、友人は酒に酔って左翼活動中に山中で死んだ父親への恨みごとを語り始めます。士官学校を志願しても、連座制のため認められなかったのです。
 ところが、こちらの席に向ってきて、半ば狂乱状態の友人の頬を力一杯ぶん殴ったのが地元の大学生ドンホの父のソ老人です。
 「よく聞け、若造。人は死んだらそれまでだ。共産党(パルゲンイ[赤])が悪かったとかなんとか言ったところで、死んでしまったらそいつもやっぱり犠牲者ってことよ。罪は、わしらに力がなくて貧しかったことだけよ。」
 ・・・その後、このソ老人自身かつては<パルゲンイ>で、20年前に街の警察署を襲撃する事件を起こし、家族を打ち捨てて逃亡。過去を隠して江盡に隠れ住み、新しい所帯をもつこととなる、・・・という過去も明らかにされます。

 越北者あるいは<パルゲンイ>の残された家族の問題は、「若き日の肖像」の他、「英雄時代」「兄弟との出会い(아우와의 만남)」「辺境」でもに写実的に取り上げられています。

 1999年KBSテレビは<작가 이문열 아버지, 부르지 못한 이름(作家李文烈の父、呼べない名前)>という特別番組を組みました。
 その中で、その後の父の消息について明らかにされています。
 生死さえわからなかった李文烈が初めて父の消息に接したのは1987年。在日同胞の親戚から父の手紙を受け取り、さらにその後中国・延吉の朝鮮族を通して父の2通目の手紙を受け取ります。北で再婚して5人の子を持ち、農林省山河育種関係の専門家として暮らしていたが、引退して咸鏡北道漁郎郡に住んでいるという知らせでした。
 その時から小説家李文烈の父親探しが始まりますが、探しに行った延辺で、李文烈は父の死亡の知らせを聞くことになります。

 彼が各文学賞を受賞し注目されたのが1980年代。当時はやや衒学的な要素が当時の学生たちの支持を得たようです。
 しかし、近年の彼は保守論客の代表格として、マスコミで積極的に発言し、進歩派の批判・非難の的となってきました。
 たとえば、昨年のろうそくデモを批判したり、日韓合併を合法だと発言したり・・・。

 「若き日の肖像」の第2部「楽しからざりしわが若き日」に、大学に入った「私」と政治運動との関わりが(具体的ではないが)次のように記されています。

 「加入初期の群集心理にも似た熱情から覚めるにつれ、しだいにあらゆることが虚しくなってきた。私がそこで何か天賦の権利のように、あるいは自明の真理のように騒ぎ立てていたこてとは、突き詰めてみれば私たちが永いあいだ受けてきた国民形成教育の結果にほかならなかった。・・・それは私たちの信念体系全般に対する抽象的な懐疑であったが、当時私がしていたことに対する具体的な疑念へと急速に発展していった。・・・」

 前述のような自身の境遇、そして厳しい時代状況を生きてきた彼は<保守>といっても一筋縄ではいかない論客です。「中央日報」の2006年の記事で彼は「右派と左派」「進歩と保守」等についての考えを披歴していますが、論敵とするにはなんとも厄介な相手でしょう。

 ところが、最近安重根の生涯を描いた「不滅」という小説を発表しました。
 民族主義とは少し距離をおいているはずの彼がなぜ? ・・・と思いましたが、「韓国速報」の記事によると、昨年の講演で、李文烈は「安重根は日本帝国主義、共和主義者、民衆主義者、カトリック、革命論者、独立運動の各路線、民族主義者という7つの勢力によってそれぞれ必要な部分は浮び上がって、必要ない部分は抹殺、封印されてきた」とし、「歪曲・封印された安重根義士を生き返らせよう」と述べています。
 このあたりが彼ならではの立ち位置ということなのでしょう。

 また、今年3月に彼は、ネチズンたちと直接対話していますが、その「中央日報」の記事は私ヌルボも興味をもって読みました。
 韓国のネチズンといえば、盧武鉉前大統領の主要支持層だった進歩的・民族主義的傾向の強い若者が多く、まさにネット上で李文烈を非難してきた人たちです。
 その場で、李文烈は「過去あれこれ言っては争い、作家として失ったものも多かった。・・・。悪性の書き込みをする人であればあるほど、作品を読んでいない人が多く、このため作品に対する完全な疎通さえ難しかった」等々反省の弁を述べるとともに、
 「昨年末、村上春樹の「1Q84」を読みながら我に返りました。自分に近い年ごろの作家の作品なのに、急に彼と私の違いが何かを知らされたのです。私の作品には怒りがついているのが見えました」
 ・・・と発言。80年代までの政治や社会と格闘する小説、あるいはその中での自身の<身世>を綴った小説。そんな<重い>小説から、<軽い>小説の時代になり、エンタテインメント小説が大量に日本等から流入している中で、<軽くても深い>村上春樹の作品に李文烈は衝撃を受けた、という理解でいいのでしょうか?
 とすると、今後彼の小説はどう変わっていくのか? 注目していきたいと思います。(←手垢のついた結びだなー・・・。)

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