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児童書で学ぶ韓国史② 歴史法廷で裁かれる李承晩-「なぜ4.19革命が起こったのか?」

2015-06-09 06:22:50 | 韓国・朝鮮関係の知識教養(歴史・地理・社会等)

 2週間経ってしまいましたが、→<児童書で学ぶ韓国史 ①手っ取り早く朝鮮史の流れがわかる「こども 朝鮮王朝実録」全5巻>の続きです。

 元はといえば、4.19革命または許政(ホ・ジョン)関係の本をと頼まれ、読みやすそうな小学校高学年レベル(?)の本を見つくろって買ってきた本がこの「왜 4.19 혁명이 일어났을까?(なぜ4.19革命が起こったのか?)」です。です。ところが読み始めるとおもしろくて、注文主(近所の韓国オタク)のF氏に渡すのを待ってもらって読了しました。

 4.19革命、つまり1960年露骨な不正選挙で権力を保持しようとした李承晩政権が、独裁に反対する学生等の大規模な街頭行動により倒された革命です。この本はその背景や経緯が具体的に記されていますが、おもしろく読めたのは、何といっても歴史法廷という設定になっているからです。
 舞台は<歴史共和国>。あの世にある(?)仮想の国。冒頭は、病気のため若くして世を去った女性弁護士ハン・ミンジュ(韓民主と同音)の事務所を、ある日特別な依頼人が訪ねてきます。「もしかしてあの人は・・・」。そう、張勉(チャンミョン)氏だったのです。李承晩の独裁政権に抗して闘ってきた野党の指導者で、4.19革命の後は国務総理として国政を担当した人物。その彼が、「ずっと心に懸かっていたことだが4.19革命のしめくくりをつけたい」ということで提訴したいとのこと。相手はもちろん李承晩です。
 元大統領となると勝訴は容易ではないといいつつ、ハン・ミンジュ弁護士が李承晩側の弁護士の名を問うとイ・ナラ(「この国」と同音)とのこと。あ、生前からの(!)ライバルだ、よし! ・・・てなわけで裁判になります。
 被告の罪状は次の通りです。
  ①李承晩は独裁政権維持のため不正選挙を行い、反対する人々を過酷な弾圧により多数殺傷した。それさえもそれまでの長期政権の間行ってきた反民主主義的な独裁政治の断面にすぎない。
  ②李承晩政権が残した誤った政治は、混乱期を経て再び独裁政治を招く始発点になったるその政治文化はそのまま残存し、韓国の政治がまっとうなものになるのを妨げた。
 ここに李承晩政権により被害を受けた人々への補償と、その政治により発展が遅れてしまった韓国政治への賠償を要求する。


 初代大統領を被告としたこの裁判は人々の関心を集め、よく知られた独立運動家も傍聴しようと、傍聴席に姿を現しました。前でイ・ナラ弁護士が「李承晩大統領は時代の要求によって願ってはいない悪党の役割を果たしただけです」と弁舌を振るっている場面です。
 傍聴席最前列左から申采浩(シン・チェホ)金奎植(キム・ギュシク)金九(キム・グ)
 金九なんか、自分が李承晩を訴えたいところでは? 申采浩は「盗人たけだけしい」と怒っています。あの「歴史を忘れた民族に未来はない」という(韓国人向けの)言葉を残したという歴史学者でもあります。
 
 証人たちの証言を通して、李承晩の政権維持のための「強引」といった形容をはるかに越える非道なやり口が具体的に明らかにされていきます。たとえば、国会議員による間接選挙では大統領当選が危ういとみて国民による直接選挙に改めた抜粋改憲(1952年)(→ウィキペディア)、「現職大統領に限り三選禁止条項を撤廃する」ことをねらった四捨五入改憲(1954年)(→ウィキペディア)等々。どちらも改憲自体が恣意的な上、通常の議決なら否決されているのをとんでもない手段で成立させました。
 非道といえば、平和統一をスローガンに李承晩政権に対抗した進歩党の委員長・奉岩(チョ・ボンアム)をスパイの濡れ衣を着せて死刑に処したりもしています。
 この本では触れていませんが、大韓民国成立前後の政敵の「排除」や、朝鮮戦争勃発後の、犠牲者が20万人から120万人にも及ぶといわれる民間人虐殺事件(保導連盟事件.→ウィキペディア)等々、李承晩の悪業は枚挙にいとまがありません。もちろん李承晩ラインの設定と日本漁船への銃撃・拿捕、乗組員殺害等も含まれます。
 ※李承晩の「残虐非道」については、→コチラのブログ記事に詳しく書かれています。また4.19革命については→ウィキペディアにも詳述されていますが、要点は→コチラの記事に記されています。
 この「歴史法廷」では、原告側証人として1960年3月不正選挙に抗議して馬山でデモに参加し、官憲の弾圧で催涙弾が目にあたって死亡し、死体を海に遺棄された高校生・金朱烈(キム・ジュヨル)少年も証言しています。こうした事実を知ったのは収穫でした。
 被告側のイ・ナラ弁護士は、原告側の陳べる事実を「すべて認めます」という意表をつく戦法をとります。「しかし、当時の国内外の情勢ではやむをえなかった」、大統領の直接選挙制については「むしろ民主的」で「当時の国民の多数が李承晩大統領を求めていた」と主張します。李承晩も「当時のわが国は混乱した民主主義よりも安定した政治が必要だった」と陳述します。
 しかし裁判としてはどうみても原告勝訴だろうと見当がつきます。で、判決はと見ると原告の主張する犠牲者への補償と、政治文化発展の阻害したことに対する賠償を認める。ただし発展阻害に対する賠償は抽象的・精神的な部分であるので原告の一部勝訴と判定する。(主張に一理はあるが、推測と状況証拠によるのみで具体性に欠けると判断。)
 ・・・ということで一件落着。
 エピローグとして、後日ハン・ミンジュ弁護士の事務所を張勉の紹介で香水とワインとバラの花の入った箱を携えて青年が訪れます。今度は誰だかすぐにはわからない彼女。青年が名乗った名前は朴鍾哲(パク・ジョンチョル)。学生運動家として民主化運動の中1987年1月官憲に連行され、水拷問により死亡したソウル大の学生です。つまり、6月抗争の裁判を引き受けてほしいというわけ。
 実はこの本は자음과모음(子音と母音)という出版社から出ている児童・生徒用の歴史教養書シリーズ「역사공화국 한극사법정(歴史共和国 韓国史法廷)」(全60巻)中の第57巻なんですね。
 この後58巻「なぜ全泰壱(チョン・テイル)はパボ会を作ったのか?」、59巻「なぜ5.18民主化運動が起こったのか?」と続いて、シリーズ最後の第60巻が「なぜ6月民主化抗争が起こったのか?」で、その前宣伝かな?(著者も挿絵も違う人なんですけど。)
 ※朴正煕政権を正面から取り上げていないのは評価がむずかしいから避けたのかな?
  その他の巻のタイトルを見ると、「なぜ新女性は旧女性と違った人生を生きたのか?」というのもあって興味をそそられます。今度韓国に行ったら探してみます。
 ※このシリーズの3分の1くらいは出版社によってYouTubeに動画解説がアップされています。(→コチラ。) ただしこの巻はないのが残念。

 最後に本書の登場人物の表を載せておきます。こんなテマヒマかかるものを作ったりしているから記事作成が進まなくなるんだな・・・。
原告被告
   張勉(チャン・ミョン)
    1899~1966
 大韓民国初代駐米大使を経て国務総理を歴任したりもした。以後野党の指導者として李承晩と自由党独裁政権に対して闘った。4.19革命により李承晩政権が倒された後国務総理となったが、翌年5.16軍事政変が発生し、政治から退いた。
  李承晩(イ・スンマン)
   1875~1965
 大韓民国の初代・2代・3代大統領として12年間執権した。長期執権のため抜粋改憲、四捨五入改憲等を行った。4代大統領に当選したが、国民の4.19革命の波に抗しきれずハワイに亡命した。


原告側証人被告側証人











   申翼熙(シン・イッキ)
    1892~1956
 独立運動家で、政治家として1948年制憲国会の議員及び副議長、1950年第2代国会議員及び国会議長、1955年民主党代表最高議員を務めた。1956年に民主党大統領候補として遊説に向かっていた途中列車内で脳溢血により急死した。

   趙炳玉(チョ・ビョンオク)
    1894~1960
 独立運動家で、政治家である。1950年6.25戦争(朝鮮戦争)の時には内務長官として大邱死守のため陣頭指揮をした。その後反独裁運動を行い1960年に民主党大統領候補として出たが、選挙1ヵ月前に病死した。

   奉岩(チョ・ボンアム)
    1898(?)~1959
 独立運動家で、政治家として制憲議員、初代農林部長官を務めた。第2代、第3代大統領選挙で落選した後進歩党を結党して活動したが、国家保安法違反嫌疑で死刑宣告を受け、1959年に処刑された。2011年1月大法院で間諜罪と国家保安法違反等の主要嫌疑に対して無罪宣告を受けた。

   金朱烈(キム・ジュヨル)
    1943~1960
 1960年馬山商業高校に入学して3.15不正選挙を球団するデモに参加した。その1ヵ月後の4月10日催涙弾が目に刺さったままの死体が馬山沖の海に浮かび、これが警察のしわざと明らかにされて4.19革命の導火線となった。

   尹潽善(ユン・ポソン)
    1897~1990
 初代ソウル特別市市長と商工部長官を務めた。第3代・第4代国会議員民主党最高委員を務めた。李承晩政権が崩壊した後第4代大統領に選出されたが、5.16軍事政変後辞任した。











   張澤相(チャン・テクサン)
    1893~1969
 首都警察署長・第1管区警察署長として在任し、左翼勢力の除去に大きな役割を果たし、混乱期の治安維持に努力した。1952年抜粋改憲当時は国務総理だった。



   葛弘基(カル・ホンギ)
    1906~1989
 李承晩大統領の終身制を保証する四捨五入改憲当時、政府の公報署長として自らの名で改憲案通過を発表した。代表的な李承晩忠誠派として李承晩と自由党政権のため一貫して努力した。


   宋堯讃(ソン・ヨチャン)
    1918~1980
 4.19革命当時ソウル地域戒厳司令官に任命され、デモを鎮圧した。革命の発生で李承晩大統領の立場が狭まった時、下野と議院内閣制政府樹立を勧めた人物中の1人である。




   李起鵬(イ・ギブン)
    1896~1960
 李承晩の秘書、ソウル特別市市庁、国防部長官等を務めた。1960年3月15日公開・不正選挙で当選したが、4.19革命のため副統領職を辞任し、全家族が自殺した。


   許政(ホ・ジョン)
    1896~1988
独立運動家として3.1運動、大韓民国臨時政府に参与し、光復後制憲国会議員とソウル特別市市長、外務部長官を務めた。4.19革命後過渡内閣で大統領権限代行を遂行した。

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