風薫る道

Who never feels lonely at all under this endless sky...?

マレイ・ペライア ピアノリサイタル @サントリーホール(10月31日)

2016-11-03 22:37:02 | クラシック音楽



ぎりぎりまで仕事をし、駆け込みでサントリーホールに到着。翌日には10年に1度くらいの大事だけど気が滅入る仕事があり、一体私はこのリサイタルをちゃんと楽しめるのか、気分は全く落ち着かず。
でもペライアのリサイタルに行かないなんてありえない。

そんな私がなぜ2011年、2013年のリサイタルも2014年のアカデミー室内管との来日も行かなかったかといいますと、私はクラシックに全く馴染みがない人間だったので、あの2008年のロンドンで感動したピアニストが日本に来るような有名なピアニストだなんて知らなかったのです。しかし2013年のリサイタルの翌日にその感想が書かれたブログにたまたま出会い、この“ペライア”ってもしかしてあのPerahiaじゃないの?と。日本に来ていたなんて!と大後悔。ではなぜ2014年のアカデミー管に行かなかったかというと、あのCSOとの演奏が好きすぎて他のオケとの演奏を聴くのが躊躇われたからで。今思えば私のばかばかぁ~~~。だってペライアがもうあんな年齢だなんて思わなかったんだもん・・・
なので、もう二度と聞き逃すまいとロンドン響も行き、今回もどんな大事な仕事が控えていようと行ってまいったわけでございます。
といってもそのロンドン響だってたまたま友人が教えてくれたから行くことができたくらいで。この世界に疎い私は、未だに確実なコンサート情報の得方を知らない。。

【ハイドン: アンダンテと変奏曲 ヘ短調 Hob.XVII:6】
今回の席はP席で、鍵盤と指がよく見える席でした。ペライアでは初めて。
で、今夜のペライア、右の親指のあたりが強張ったように震えていて、「ちょ、ペラ様大丈夫なの?」と心配に。でも弾くとちゃんと弾けている。「ああ、私はやっぱりこの人の演奏が好きだなぁ」と感じながら、だからこそ「ペラ様ー、その指は大丈夫なんですかー!」「てかその指でハンマークラヴィーア弾けるんですかー!」とか色々ハラハラしながら、ハイドンを聴き終えてしまった

帰宅して調べたら、ペライアが怪我をしたのってやっぱり右の親指なんですね。数年前のインタビューでは殆ど曲がらないと言っていたけど、ということはいつもああいう感じなのかな?それならいいのですけど・・・。
※追記:更に調べたら、あの親指の震えはやはり怪我によるものだそうです。というわけで現在の彼のデフォルトみたい。それならもっとハイドン落ち着いて堪能するんだった~~~。すごく素敵なハイドンだったのに・・・。まぁでも、ああいう指で弾いているんだなということがわかったことも、よかったです。

【モーツァルト: ピアノ・ソナタ 第8番 イ短調 K310】
そんなわけで、演奏前にピアニストがよくやる胸のところで手を温める仕草にも勝手にハラハラ(ところで私はこの仕草がなぜか好き)。
でもモーツァルトの半ばからは音楽の方に強く引きこまれていました。
前回のベト4でペライアってベートーヴェンが似合うなぁと思ったのだけど、今夜改めて、ペライアが弾くとモーツァルトがベートーヴェンのように聴こえる。ピアノ協奏曲24番にも言えることだけど、この人はきっとそういうモーツァルトが合うのだなぁ。
今夜のモーツァルトも、特に第三楽章の短調の深みが素晴らしかった。でもこの人は小さな明るい音にも深みがあるのよね。この人のそういうところと、何気に激しくて男性的なところがベートーヴェンぽいと思う。好きだなぁ。
演奏はCDよりも今夜の方が感情がこもっていたように感じられました。

【ブラームス】
6つの小品より 第3番 バラード ト短調 Op.118-3
4つの小品より 第3番 間奏曲 ハ長調 Op. 119-3
4つの小品より 第2番 間奏曲 ホ短調 Op. 119-2
6つの小品より 第2番 間奏曲 イ長調 Op. 118-2
幻想曲集 第1番 奇想曲 Op.116-1 二短調
このブラームス、素晴らしかったですねぇ。。。。。。
この構成、最初に曲名だけ見たときはなんでこんなバラバラな選曲&曲順なんだろう?と思ったのだけど、実際に演奏を聴いてこの構成にした意味がすごくよくわかった。そして今気付きましたが、短調と長調が交互になっていたんですね。
これが今の彼が表現したい“ブラームス”なのだなぁ。
全体として一つのピアノソナタ、あるいは交響曲を聴くようだった。
静かな部分もそうでない部分も、高音も低音も、ああもうすべてが素晴らしかった。。。
それにしてもこの人の音はどうしてこんなに雄弁なんだろう。初めてこの人の演奏を聴いたとき、クラシックなんて何もわからなかったけど、「音楽の想い」が音の響きになってダイレクトに伝わってくるような感じがしたことを以前も書きましたが、今夜もそう感じました。他のピアニストだと奏者というフィルターを感じることが多いのだけれど、ペライアが本当に合っている曲を弾く時、フィルターを通さずに作曲家の、その音楽の心がダイレクト伝わってくるような錯覚を覚える。ピアニストが「音楽」そのものの中に沈み込んでいっているように感じる。
この構成をペライアの生演奏で聴けたのは、本当に楽しかったし幸せでした。また聴きたい。。。痛切に。。。でもおそらくもう二度と聴けないんだよね・・・

(休憩)

【ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ 第29番 変ロ長調「ハンマークラヴィア」Op.106】
youtubeで聴いていたのでペライアがどういう感じのハンマークラヴィーアを弾くかは大体わかっていたけれど、やっぱり生で聴くのは全く違いますねぇ。ピアノでもなんでも、やっぱり生だなぁ。
そしてやっぱりこの人はベートーヴェンがよく似合う。
この曲ってピアニストによって全然違う曲のように聴こえますが、ああ、これが”ペライアのハンマークラヴィーア”なのだな、とすごく感じました。
「人生」の全てがそこに詰まってるように感じられた。その重みも軽みも。長調の中にふっと短調が入り、短調の中にふっと長調が入り。今夜初めて、ああこの曲って人生みたいだな、と感じたんです。ただ美しいだけじゃない、でもやっぱり美しくて。心が揺さぶられてちょっと泣きそうになった。
それはベートーヴェンの人生なのか、このピアニストの人生なのか、或いは私達一人一人の人生なのか。
そして初めて、聴きながら「神」の存在のようなものを感じました。
でも完全に神だけではなくて、神と人の両方のような。ああ、そういえばペライアって敬虔なユダヤ教徒だったよね、と聴きながら思った(wikiquote)。
聴き終わった後、というか聴いている途中から、アンコールはなしだな、とすぐに思った。それほど渾身な演奏だったもの。弾き終わった後、ご本人もとても満足そうな笑顔でしたね。
ペライアって両手を上げて「皆さんありがとう!」みたいなパフォーマンスが全くないじゃないですか。でも控えめな笑顔でも、ああ、嬉しいのだな、とわかりますよね。といってもそれは今だからで、最初にプロムスで見たときはそのあまりの控えめさに、「え、あんな素晴らしい演奏をしたのにこの人はもしかして満足していないのだろうか・・・」と困惑したのをよく覚えています。隣にいたのがやっぱり控えめさではトップをゆくハイティンクだったから、二人並んでなおさら笑。

聴き終えた瞬間、もう何もいらないと、こんな演奏が聴けたんだからもう明日の仕事で失敗してクビになったって構わないと本気で思いました。でもこんな演奏を聴けたおかげで、実際はリラックスして頑張れました。ありがとうペライアさん
またそう遠くなく会えるかな。ぜひぜひまた来日してください!

しかし空席が多かったなぁ。7割くらいの入り?選曲も演奏も素晴らしいリサイタルだったのに。私の好みは日本の一般の好みとはやっぱり違うのだなぁ、とクラシックの演奏会に行くたびに思い知る。。

さて、この翌日はツィメルマンに行ってきました。感想は後日あげますねー。ちなみに明日は内田光子さんに行ってきます。
一週間のうちに、ペライア、ツィメルマン、光子さん。なんて幸せ。。。お金の心配は後でする。


全体を通して途切れることのない印象というのは、二つのゆっくりとした楽章に現れている非常に心痛む "孤独な様相" だと私は思うのです。ベートーヴェンはこの作品を書いた時、人生の希望を失っていました。それが曲想に示されています。このころ、彼は甥との問題、そのほかにも自身いくつかの問題に悩み、少なくとも1年ほどのあいだ作曲ができなかったほどです。彼はきっと、死ぬことを考えていたのでしょう。ゆっくりとした楽章を彼がどんなつもりで書いたのか。私は「遺書」のつもりだったろうと思います。まさに自分の気分を投影した・・・そしてそのゆっくりとした楽章の最後で、ふっと調性が変わります。長調に転じます。これは、希望を意味するのでは、と。
最終楽章の始まりでは、まさに曲に挑まなければなりません。ここまで要求の高い部分も、なかなかありません。大胆不敵な主題、そして、長い主題。調性は大きく変化しますし、半音階も多用しています。ハンマークラヴィアを書く以前のベートーヴェンはこんな書き方をしたことは一度もないのです。・・・これは、神との討論のつもりだったのではないでしょうか。光明への希求も、闇への沈潜も、この作品には両方があります。最後は肯定的に結ばれます・・・示された音符そのものには、曖昧さが残りますが。どちらの方向にも張っていない糸のような、大切な音符が残されています。それらは、平安をかき乱す作用をもちます。ひとつ、終盤で確実に揺さぶりをかけてくる音があるんです・・・前向きな方向を示しながらも、まだ、その導きは、完璧に仕上がってはいない・・・そういう音楽として、在るのです。
(マレイ・ペライア Japan Artsインタビューより)

このインタビューはリサイタルの翌日に読みました。
クラシック門外漢の私が演奏から感じた印象にとても近いことが書かれてあって驚きました。自分の表現したいものをこれほどピアノの音で表現させることのできるその表現力に、ピアニストというのは本当にすごい人達なのだなぁと改めて畏敬の念を感じずにいられない。

Backstage GOG 2015/16: Murray Perahia

すごい、ほんまもんの練習風景だ。ペライアほどのピアニストがこういう映像を普通に公開しちゃうところがすごいよねぇ。。
モーツァルトK310の3楽章とブラームスOp118-3。練習(だからリハーサルと言いなさい)なのに感動が蘇る・・・

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