風薫る道

Who never feels lonely at all under this endless sky...?

Finale (レ・ミゼラブル musical)

2011-12-22 22:02:50 | ミュージカル

"To love another person is to see the face of God."

ジャン・ヴァルジャンのような苦しみに満ちた人生を歩んできた来た人が、最期に言うのがこの言葉というのが・・・もう・・・。
ユーゴーの原作のラストを思いながら聞くと・・・うぅ・・・(T T)
大好きな言葉です。


 ユーゴーが『レ・ミゼラブル』の着想を得たのは、1820年に死刑囚がギロチンにかけられるのを見たときだと言われています。それ以来、ユーゴーは、貧困から盗みに走った民衆が、過酷な法律によって更生への道を閉ざされ、最後はギロチンの露と消えるという現実に国民の目をむけさせる方法はないかと考えるようになりました。…ただ、ここでひとつ注意しなければならないのは、「愛」に目覚めたジャン・ヴァルジャンが、聖職者ではなく実業家になって、人々に生活の糧を与えたことです。これは、ユーゴーの説く「愛と正義の社会」がキリスト教でも共産主義でもなく、公正な原理に基づく資本主義だったことをよく示しています。…
 ところで、ジャン・ヴァルジャン、ファンテーヌ、コゼットの三人が「レ・ミゼラブル」という言葉の片方の意味、つまり「虐げられた人々」をあらわしているとしたら、「レ・ミゼラブル」のもうひとつの意味、すなわち「見下げ果てた奴、憎むべき人々」を代表するのは、テナルディエ夫妻と刑事のジャヴェルです。
 テナルディエは、貧困が生んだ負の側面を象徴する小悪党で、…ジャヴェルは、ジャン・ヴァルジャンとほとんど同じような悲惨な境遇に生まれながら、自らの出身階層を嫌悪し、その憎しみから権力に盲目的な愛を捧げるようになったという複雑な一面をもっています。
 このように、『レ・ミゼラブル』は、善悪の差はありながら、いずれも、貧困ゆえに社会の荒波に翻弄される人々をえがいています。ユーゴーは、勧善懲悪の思想から『レ・ミゼラブル』を書いたのではありません。個人の意志を越えたところで、人々の運命を決めてしまう「貧困」こそが、あらゆる社会悪の根源だと訴えているのです。
 今日でも、私たちの社会は、理想からはまだ遠いところにいることはたしかです。凶悪な犯罪は多いし、社会の不平等がなくなったわけではありません。一度、犯罪を犯して失敗した人が再び人生にチャレンジできるような仕組みにもなっていません。
 しかし、それでも、わずかですが進歩はありました。ユーゴーのような人が、勇気をもって、社会のさまざまな「悪」を告発したからです。しかも、それが『レ・ミゼラブル』という、だれが読んでもおもしろい波乱万丈の物語によって行われたことに意義があります。

 (岩波少年文庫『レ・ミゼラブル』解説より。フランス文学者 鹿島茂)

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