風薫る道

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シュターツカペレ・ベルリン ブルックナーツィクルス第8番 @ミューザ川崎(2月18日)

2016-02-19 21:11:19 | クラシック音楽

バレンボイム×シュターツカペレ・ベルリンによるブルックナーツィクルスの第八番(翌日同曲をサントリーでも演奏)。
当初は四番しか買っていなかったのですが、よく考えるとツィクルスというものは一曲だけ聴いてもあまり意味がないのでは・・・と思い、中期と後期から一曲ずつの選択で8番にしてみました(全曲通しはお財布的に絶対にムリ)。
会場は昨年のロンドン響に続き2回目のミューザ川崎で、席位置も左右の違いはあるものの、ほぼ一緒。

【ブルックナー:交響曲第8番 ハ短調 ※ハース版】
バレンボイムさんは先週末に比べるとだいぶお疲れ気味・・・?指揮台のバーを掴んでいる時間も長く、安定感と集中力抜群だった四番の指揮に比べ、今夜の特に前半は少し集中力の途切れらしきものが見られ、オケとの呼吸もいまひとつ上手くいっていなかった・・・ような・・・。
今夜は第一楽章から厳しい表情。もっともそれは、四番と八番という作品の性格の違いゆえだと思います。この八番で使用されたのはハース版。今回のツィクルスでノヴァーク版以外を使っているのは、三番(エーザー版)と八番だけです。特にこの八番については、「ブルックナーは自分の音楽がとっつきにくいと思われていることに気付いていた。それで皆に良かれと思い、数小節削るなど、彼なりにいろいろ気にして工夫を重ねたわけです。だから、本来ならば新しい版を使うべきなのだと思います。でも、第8番に関しては、私はハース版をどうしても使いたいのです。理由は、聴いて感じてください」(音楽の友1月号)と、大変強い思い入れがあられるご様子。でもワタクシ、聴いたことのある唯一のCD演奏(ハイティンク×ウィーンフィル)がハース版なのよね・・・。だからノヴァーク版との違いがわからないのよね・・・。演奏し甲斐のない客でスミマセン・・・(^_^;)

今夜はオケも、前半は少々散漫気味であったような印象でした。ミューザはサントリーホールと比べて音響がとてもクリアで、演奏された音がそのままストレートに客席に届く感じなので(同じオケで聴くと違いがよくわかりますね)、そういう理由もあったかも。
しかし後半(3楽章~)は、指揮者からも奏者からも「ここは絶対に聴かせてみせる」という気迫のようなものが伝わってきて、最後にはしっかりと満足感をもらえました。四番でも感じましたが、こういうThe 独逸な音のブルックナーというのもいいものですねえ。特に八番にはよく合ってるように感じられました。
ただ、第一楽章から最終楽章までを通して「一つの交響曲」という世界に浸ることができたかと言われると、・・・ではありました・・・(ド素人の感想ですので悪しからず・・・)。
今夜は演奏後のバレンボイムや奏者達の笑顔も先日より少し控えめだったように感じられました。スキップしそうにご機嫌に見えた四番カテコのバレンさんと比べると、ですが。まぁ皆さん、大曲を演奏し終えて疲れていただけかもしれません。あ、でもホルン後列左端の男性の方、カテコでワーグナーチューバと普通のホルンをニコっと笑ってヒラヒラ掲げて見せてくれました(*^_^*)

今夜の八番も、四番に続きとても自然な演奏に聴こえ、そしてそれは私の好みではあったのですけれど、バレンボイムさんというのは「良く言えば指揮者の個性を前面に出し、悪く言えばあざとい演奏」をされることで有名な方なのではなかったろうか・・・?それとも実は超あざとい演奏をしてるのだけど私が気付いていないのであろうか・・・?今夜もまったくイヤな感じのない、音楽そのものの力を感じさせてくれるような演奏でございました。

カテコでは、女性客からもらった花束から一輪を抜こうと必死に格闘(すんごい真剣な表情をされていた笑)。そして「もういいっ。全部やるっ」とばかりにグイっと花束ごと女性奏者へ。その様子がひどく可笑しかったので、客席からはドッと笑い♪

ところでいつも迷うことなのですが、自分が「すごく感動した!」というわけではない演奏会や舞台では、拍手というのはどの程度まですべきものなのでしょうね。生前に勘三郎さんが花形の仮名手本だったか菅原伝授だったかを観てその出来の悪さに憤り「拍手をするなと言いたかった」と仰っていたというエピソードをよく思い出すのです。そして演者にしてみても、「今日はイマイチな出来だったな」と感じているときと「今日は会心の出来だった!」というときが同じような大きな拍手&ブラボーの嵐というのは、決して嬉しいことではないのではないかなと思うのです。とはいえ「お疲れさま」や「(来日の場合は)日本まで来てくれてありがとう」な拍手はしてあげたいし。というわけで、今夜のワタクシは少し静かめ拍手?にしてみました。
あ、これはもちろん個人の感想なので、今夜の演奏で「すごく感動した!」と感じられた方はもちろん大拍手&ブラボー&スタオベでよろしいのだと思います。私もロンドン響のブルックナーのときは、もし他の客が誰一人立たなかったとしても私は立つ!と思いましたもの(ブラボーは恥ずかしくて言えなかったですけど。てかクラシックでは女性もブラボー言っていいのだろうか?)。

お手洗いに行ってからエントランスに出ると、あの巨体のチューバの方をはじめとする奏者達のお姿が。バレエもそうですけど、皆さん出てくるの本当に早いですね^^;

そして聴いているときは好みではなく感じられたロンドン響の音でしたが、今思うとあの夜ハイティンクが作り出したかったであろう世界には合っていたのかもしれないなあ、と。例えばハイティンク×シュターツカペレ・ベルリンという組み合わせだったとしたら、あのような7番を聴くことはできなかったろうと思う。そして同じように今回の4番と8番(とモーツァルト)からもらえた種類の感動は、バレンボイム×ロンドン響ではもらえなかったでしょう。ムーティ×シカゴ響がくれたものも同じ。
そしてそれらはCDやDVDからは決して得られない、その時その場にいる人達だけが自分だけの宝物として持ち帰れる、一生ものの一期一会なものなわけですから。みんな何度も演奏会に通っちゃうわけだよねぇ、としみじみと感じた夜でございました。
そして昨年秋から、ハイティンクさん、ムーティさん、バレンボイムさんという方達から、感動とともにすごく大きな勉強をさせていただいているクラシック超初心者の自分。よく考えてみると、なんという贅沢でしょう・・・(お金も払ってるけど)。こんな経験をさせてくださる彼らに心の底から感謝です(o˘◡˘o)

最後に振り返って一言。先日の「戴冠式」を聴けたのも今思うと本当によかったな、と。あの重厚で無骨ともいえるオケの音であの華やかさ。そこにあのピアノ。クセになりそうな演奏でございました。なおバレンボイムは基本的にモーツァルト自身が書いたカデンツァがない場合は自分のカデンツァを使うそうなのですが、26番に関しては「ランドフスカの宝石のような素晴らしいカデンツァがありますので(それを使います)」(音楽の友)とのこと。


モーツァルトP協第26番&ブルックナー第四番の感想(2月13日@サントリーホール)

※バレンボイム記者会見記事:
公式サイト
ぶらあぼ

※朝日新聞「音楽は敵を超える」


音楽の聴き方 ダニエル・バレンボイム 'How to listen to music' by Daniel Barenboim


忘れるための聴き方と、それ以上の聴き方。いいこと仰いますねぇ(^_^)
集中力云々については、バレンさんの仰ることはとてもよくわかりますしそれが出来ればベストではありますけど、一方で、最初は集中せずにボー・・・と聴いて(観て)いても気付けば呼吸を忘れるほど引き込まれていた、涙が出ていた、という経験も多々ありますけどもね。
でもまあ聴く側には作品や演奏に無心に向き合う素直さ、誠実さ、真摯さが必要だということは、心から思います。でなければ「本物の感動」(自分の心の底からの純粋な感動)には出会えない気がする。
しかしこの「無心」というのがなかなか難しいのよね。今はネットから有難い知識もいっぱい入ってきますけど、余分な雑念(世間の評判etc)もいっぱい入ってきますから。常に心の窓はいっぱいに外に開きつつ、入ってくる情報を参考にはしても惑わされずに、無心に自分の耳で聴き、自分の目で観ることが、今の時代ではすごく大切なことなのではないかなと思います。そうすれば、気負って天邪鬼になることも防げるし。もちろんこれは音楽に限らず。

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