月の岩戸

世界はキラキラおもちゃ箱・別館
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ばらの”み” 3

2013-09-11 04:16:14 | 月夜の考古学

2 名前集め

 クロの道をぬけてから、また道を二度ほど曲がると、新しいきれいな家々が並ぶ、静かな住宅街に出る。
 ここは最近、広い田園地帯をつぶしてできた住宅街なんだそうで、きれいに舗装された道の両側には、よく似た顔をした新築の家々が、ぎょうぎよく一定間隔で並んでいた。パステルピンクや品のよいブルーグレーに塗られた家々には、西欧風の飾り窓やテラスがあったり、庭木の陰に小人の人形やギリシャ彫刻みたいな置物がおいてあったりして、それはそれでかなり素敵なんだけど、どことなくうそっぽい感じもして、端っこの家をひょいと押したら、ドミノみたいにぱたぱた倒れてしまうんじゃないかと、錯覚することもある。
 でも、環たちの住んでいる家は、そんな家々の中では一きわ古びて見える、平凡な作りの小さな家だった。門の前に立つと、くすんだアルミサッシや赤茶色の屋根瓦が、まじめくさった堅い顔でたたずんでいる。鮮やかな浅葱や、クリーム色の新しい家に挟まれていると、風雨にさらされた白い外壁はとても薄汚れて、やぼったく見えた。今年の春に引っ越してきて、最初にこの家を見た時、環はずいぶんとがっかりしたものだ。
 玄関の前には、申し訳ていどの庭があって、手入れのよい門かぶりの松や、木犀やピラカンサなどの灌木がちんまりと植わっている。十一月も終わりに近い今では、木犀はもう花を終えたけれど、ピラカンサは赤い実をたくさんつけていた。前の住み主は、動植物が好きな人だったらしく、庭木たちは色つやもとてもよく、ピラカンサの陰には小鳥のための手作りのえさ台なども残っていた。
「きっと、小鳥がいっぱいこの実を食べに来るわよ。メジロだとか、ウグイスだとか」
 おかあさんは、そう言ってたけど、今のところ、環が見た庭に来る鳥は、カラスかスズメくらいのものだ。
「あれえ、光(ひかる)ちゃんが泣いてるよ」
 家の前までやって来ると、ふと要が言った。
「ほんと? よく聞こえるね」
 環が言うと、要は得意そうに笑って言った。
「へへ、要ね、この前、新発見したんだよ。居間と階段の間のドアが開いてるとね、外からでも中の声が聞こえるときがあるんだ」
「ふうん」
 環は別に関心もないといったふうに返事をした。要の新発見という言葉は、あやしいからだ。重大発見なんて言っても、単にその時たまたま思いついたことを、適当に言ってるだけだったりする。でも弟の光は、外で友だちとケンカしたりすると、必ず泣いて帰ってくるやつだから、今要が言ったことはあながち嘘ではないかもしれない。
「光ちゃん、どうしたのかなあ」
 環が門を開けると、要はひとり言を言いながら環をさっとおいこし、庭木を器用によけて裏の勝手口の方へ歩いて行った。もうこの家に住みはじめて半年以上たつから、要もなれたものだ。
 勝手口を開けて入ると、」すぐ台所があり、テーブルの向こうにプラスチックの玉のれんが見える。要が靴をぬぎながら「ただいまあ」と言うと、おかあさんが玉のれんをからから鳴らして、ひょいと顔を出した。
「お帰り、今日はちょっと遅かったね」
 セミロングの髪を無造作にたばねたおかあさんが、エプロンのポケットで何かをちゃらちゃら鳴らしながら、環たちを見て笑っていた。すりきれたよれよれのジーパンとセーター、絵具で汚れたエプロン。化粧もパーマもめったにしないおかあさんは、ソバカスだろうがぼさぼさの眉毛だろうが、別に恥じるわけでもなく、どうどうとさらしている。
 でも環はこの頃、おかあさんの顔をあまり見ない。見てもすぐ顔をそむけてしまう。欠点ばかりが目についてしまうからだ。背はほっそりと高い方で、スタイルはまあまあかなと思うけれど、顔はとても美人とは言えないし、何より、いつもへらへら笑ってるようなしまりのない顔が、環には気にいらない。大人は、もっと厳しくて、いつも考え事をしてるみたいな、しぶい顔付きをしてるほうがいいと思う。
 おかあさんは、いそいそと二人の方へ近寄ってくると、手を広げて今か今かと待っている要の頭をぎゅっと抱きしめて、
「おーかえりっ、かわいいカナメ」
 と、歌うように言った。要はうれしそうにおかあさんに抱き着き、しばらくそのままじっとしていた。それは、環たちが小さい頃からの、『お帰り』の儀式だった。五年生の環にすると、いやがられるので、やらないけど、要や光が帰って来ると、おかあさんは必ずそうする。
「ただいま」
 環は靴をぬぎながら、つまらなそうに言った。おかあさんは笑顔を環に振り向けて、いつものちょっといたずらっぽい声で、もう一度「お帰り、タマキ」と言った。少し前ならこんな時、『タマキ』の前に『かわいい』とか『だいじな』がついた。いつから、おかあさんが環のことを『かわいいタマキ』と呼ばなくなったのかは、よくわからない。でも環はそれで当然だと思っている。いつまでも幼稚園児みたいに子ども扱いされてたんじゃ、たまらないもの。
「おおカナメ、冷たいほっぺだね~! タマキも今日は寒かったろ? 早くコタツであったまりなさい」
 おかあさんにそう言われると、環は、ほんの少し気持ちがゆるんできて、ついほほ笑んでしまいそうになった。でも、そのまま笑い返してしまうと、何だか相手のワナにはまるみたいでシャクだったので、あわててしかめっ面を作り、ぶっきらぼうに言った。
「先に部屋にカバンをおいてくる」
「そうね。じゃ、ミルクでも温めるからすぐ降りといでね。それともココアがいい?」
「カナメはココア!」
「じゃ、わたしもココアがいい」
 言いながら環は居間を通って階段の方へ向かった。要の言った通り、居間と階段の間のドアは、少し開いていた。
「光ちゃんは? 光るちゃんはどこにいるの?」
 要の声が後ろから聞こえた。環は階段の手すりに手をかけて、ふと振り向いた。そう言えば、光の姿がどこにも見えない。おかあさんが、台所でガスのスイッチをひねりながら言う声が聞こえた。
「ヒカル、ちょっと今きげんが悪いのよ。さっきまでそこで泣いてたんだけど、みんなが帰ってきたらコタツの中にもぐりこんじゃったわ」
「光ちゃん、ただいま、カナメおねえちゃんだよ!」
 要が玉のれんを鳴らして、居間の方へ入ると、コタツの中で光がごそりと動いた。
「どうしたの? 光ちゃん、ぽんぽん痛いの?」
 要はコタツの天板の縁をさわりながら用心深く移動し、手を伸ばしてテレビの上の時計をたたいた。すると時計が女の人の声で、「三時五十五分です」と言った。
「あ、もうすぐ光ちゃんの好きなアニメが始まるよ。テレビつけたげるね」
 要はいつも、一音一音をきちんと発音して、不必要なほど大きな声でしゃべる。おかあさんは、はきはきしててとてもいいって言うけど、気分が重たい時、要の声はとても耳ざわりだ。環は居間の方に背を向けると、とんとんと階段を上った。
 階段を上りきると、踊り場を境に部屋が左右に二つあって、環は左の部屋のドアノブに手をかけた。その部屋のドアには、「TAMAKI」と書いたプレートがピンでぶら下げてある。イラストレーターくずれのおかあさんが、環のために手作りしてくれた木製のプレートだ。紺色の(おかあさんはこの色をウルトラマリンと言ってたけど)ゴシック体の文字のまわりには、チューリップやパンジーの花にむらがるチョウチョの絵が描いてある。環はプレートの文字をしばし見つめたあと、ドアを開けて部屋の中に入った。
 この町に引っ越すことを、おとうさんが決めた時、環が出した条件の一つは、今度の家ではぜったい自分の部屋が欲しいということだった。前に住んでいたマンションでは、環も要も光も、みんないっしょの部屋で寝起きしていたから、本もゆっくり読めなくて、環はずっと自分だけの部屋が欲しいと思っていた。引っ越してくるまで、ちょっと不安だったけど、おとうさんは約束をちゃんと守ってくれた。環のために用意された部屋は、四畳半の和室で、勉強机と本棚、それに小さな洋服ダンスとベッド一つを置くと、あとは一畳分も空いたスペースがないけれど、ここは環だけの秘密の領域。ドアと窓のカーテンを閉めれば、たれも環の心の中に入ってくることはできない。
 環はドアを後ろ手にかちゃりと閉めた。すると環の周囲はこつ然と静かになった。半日の間無人だった部屋の空気は、静かによどんで、カンテンみたいにこごっているような感じがした。朝、寝坊して、そのままベッドの上に放りっぱなしにしておいたパジャマが、くしゃくしゃのまま、まだそこにあった。おかあさんは、環の方からそうしてと言わない限り、この部屋を勝手にそうじしたり、中のものを勝手にいじったりはしない。片付けなさいってやかましくは言われるけど。
 環はしばらくの間、ぼうっと静けさの中に浸ると、やがてほっと息をついた。カバンを机の上におき、ベッドにゆったりと腰を下ろしながら、手は自然に枕元に飾ってある色紙の方に伸びる。
 色紙には、七色のマーカーで描かれた花畑の真ん中に、寄り添って笑っている三人の女の子の写真が貼ってあり、その下に、おどけた丸文字で「たまびーへ、ずっとトモダチでいようね。ゆっち、まなみんより」と、書いてある。
 環はひとしきりそれをながめると、短いため息をついて、また元の所にもどした。ベッドに身を横たえ、両手を目の上の置くと、暗闇の向こうから記憶の断片が次々と浮かび上がってきた。
 盲学校の小学部に入っていた要が、おねえちゃんたちと同じ学校に通いたいと言い出したのは、確か、去年の夏頃だったろうか。それを聞いたおとうさんとおかあさんは、要の願いをかなえるために、それは一生懸命、要を受け入れてくれる学校を探した。少しでも良い学校を探そうと、いろんなところをたずねて回った。さまざまな福祉団体や、教育委員会、はては文部科学省にまでアクセスして、情報を集められるだけ集めていた。あちこちの学校にも見学に行った。そうして、ようやく、このアサギリ市にある市立アサギリ小学校を、探し当てたのだ。
 聞くところによると、アサギリ市の高倉市長さんは、子供の頃に一時期目が見えなかったことがあるとかで、障害児教育には強い関心をもっているんだそうだ。市会議員時代からアメリカの大学なんかを自費で視察してまわり、日本の教育の問題点がどうの、子どもたちの中に眠っている可能性を広げる教育だのと、ムツカシイことをまじめに勉強して、市長にまでなった、りっぱな人なんだそうだ。(そんな人があのワキと親戚だなんて、とても思えないけど。)
 だからアサギリ小学校には、障害のある子どもを受け入れるための施設が、たくさんあった。点字図書室や、たくさんのパソコン、車椅子用のエレベーターにトイレ。南側の新校舎にはどんな小さな段差にもゆるやかなスロープがつけてあったし、廊下や階段のあちこちに点字ブロックが敷かれていた。学級活動では手話や点字を積極的に教え、保健室の隣にはカウンセリングの部屋もあった。議論よりもまず形を作ろうという、市長さんのほとんど熱意だけで、実験的に作られたと言われる、この小学校。もちろん問題が何もないわけではなかったけれど、他のどの学校と比べても、ここ以上に環境の整った学校は見つけられなかった。何より、車椅子の子や耳に補聴器をつけた子が、何の違和感もなく楽しそうに皆にまじって遊んでいる姿に、お父さんたちは心を動かされたようだ。
 ただ、一番の問題は、遠すぎて、前に住んでいたオツラン市のマンションからでは、とても通えないということだった。
 家族でケンケンゴウゴウ話し合ったあげく、最後はお父さんが決断した。アサギリ市に家を借りて家族を引っ越させ、自分はオツラン市に残って単身赴任ということにしようと。こうして、今年の春、おとうさん一人をオツラン市に残して、環たち家族はこのアサギリ市にやってきたのだ。
 もちろん要は大喜びだ。こっちの小学校に来てからというもの、要の表情は、見違えるように明るくなった。教室では説教的に発表をするし、市橋マリコちゃんという親友もできたし、学級担任の渋谷先生も、養護学級の先生たちも、みんな要をかわいがってくれる。目は見えないし、勉強もわからないところが多いけれど、素直にはきはきものを言う要は、新しい環境で出会った新しい人たちの中に、快くすんなりと受け入れられた。だけど、環の方は、慣れ親しんだ前の学校や友だちとのさみしい別れを経験した分、新しい学校やクラスメイトたちに、なかなかなじむことができなかった。
(カナメ、カナメ……。みんな要のことばっかり……)
 環はくちびるをかみしめた。鼻の頭が熱くなってきたので、もう一度泣こうかなと思ったけど、ちょうどその時、だれかがとんとんと階段を上ってくる音がしたので、環はさっと起き上がって、背筋を伸ばした。

     (つづく)



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