日本一から最下位に転落をした昨年を受けての三年目のシーズンでしたが、基本的なところは何も変わらないままに西村ロッテは終焉を迎えました。
相変わらずに行きすぎた主力主義で小さな輪での野球に終始をしたことが一番の不満で、就任時に期待をした基礎固めは次期監督への引き継ぎ事項になります。
前半戦を首位で折り返したことが後半戦の失速を際立たせてしまったのは皮肉ではありましたが、ある意味では想像のできた結末ではあります。
それが分からなかったベンチでもないのでしょうが目先の一勝に汲々としてシーズンを通した戦略を立てられなかった、そういった指摘は免れません。
これは西村監督だけの責任ではなくヘッドコーチである高橋コーチ、投手コーチである西本コーチも連帯責任を負うべきですので、潔く総退陣が妥当でしょう。
見当違いのサブローのFA獲得をいの一番にして「満足のいく補強が出来た」と言ってのける球団幹部がいるわけですから、のっけからハンデを背負った2012年でした。
グライシンガーとホワイトセルが期待以上の活躍をしてくれましたし、ドラフトで獲得をした4選手の全てが一軍出場を果たしはしたものの、適切な支援があったとは言えません。
その点ではベンチには同情をしますが、そういった状況でも浦和から選手を育てる意図を持って引っ張り上げるといった自己努力を怠ったのもまた事実ですから、昨年までと同じ野球をすればどうなるかは火を見るよりも明らかなわけで、そのまんまの5位での終戦です。
角中が首位打者になったとは言っても抜擢によるものではありませんし、むしろ昨年に一定の結果を残した角中をオープン戦の早々にほとんど出番を与えることなく浦和に送り返したぐらいですから、その浦和で四番を任されて3割を打っていた高濱を僅か3打席で見切ったことと合わせても、過剰な実績主義からは抜け出せないままに低迷をしたことになります。
もちろんプレーをするのは選手ですから成績低下はその選手の問題ではあるのですが、しかし毎年のように夏場に成績を落とすベテラン選手を使い続ける過ちを今季も繰り返したことはベンチの失態であり、契約縛りがあるのではないかとすら疑いたくもなる愚挙と言ってもよいでしょう。
中継ぎ投手の役割を決めずに一部の投手に負荷が集中をしたのも昨年と同様で、大谷と中郷の使い方などはあまりに酷すぎました。
またルーキー最多登板の記録を作った益田もそれ自体は誇らしいものではありますが、しかし手放しには喜べません。
マラソンを最初から全力疾走で飛ばしたことで一時はトップに立ったものの当たり前のように中盤以降で息切れをした、そんなシーズンだったと言ってよいでしょう。
もちろんその全てが悪かったわけではありません。
ようやくといった感じではありますがバントを多用するようになり、昨年よりも20%以上も犠打の数が増えました。
一方で盗塁が逆に40%近く減るなどして臨機応変さに欠けるところがありましたが、個人的な嗜好からすればいい傾向だったと思います。
ただバントのサインを出すのが特定の打者であり、例え六番や七番を打っていても井口やサブローにはそのまま打たせたところは納得がいきません。
打順に意味と意義を持たせることが必要だとは前監督時代からの持論ですので、そういう意味での改善はしきれませんでした。
それでもやはり個人的には評価をしていますし、これを一年目からやっていたらまた違ったチームになったのではないかと思ったりもしています。
端的に言ってしまえば戦術には手が回っても戦略を立てられる資質を持ち合わせないスタッフの寄り合い所帯だった、そんなところではないかと思います。
大まかな方針は立てたのでしょうが三年連続のスローガンである和のようにイメージ的なところでとどまっていて、具体的なところまでは持っていけなかったのでしょう。
それもあって全戦全勝、目先の試合を勝つことでしか自分を表現できなかったのではないかと、そんな気がしています。
また慎重と言ってしまえば聞こえはいいですが、その実状は臆病に過ぎて選手を試せない、試さないから力の程が分からない、だから大事なところで使うことができない、しかし切るにも切れないので浦和が澱んでいく、といった悪循環もありました。
今季などはチームが好調なときにベテランを休ませつつ若手を試すといった絶好のチャンスがありながらも、それをみすみす逃したことが歯がゆかったです。
二重苦、三重苦の環境の中で日本一をプレゼントしてくれるなど頑張ってくれましたし、感謝もしていますが、結局はやはり大きな和ではなく小さな輪でしかなかったと、厳しいようですがこれが今季の、そして西村ロッテの三年間の総括となります。
2008年通信簿
2009年通信簿
2010年通信簿
2011年通信簿
前半好スタートだっただけに結局好調時のメンバーを閉幕間際まで起用することとなり終了しました
二軍監督を務めた高橋ヘッドや去年二軍コーチを経験した西本コーチには浦和との良いパイプ役を期待しただけに残念でした
小さい輪の中でしか野球を見ることが出来ない監督に対して歯止めをかけるなりサポート的な役割も出来なくて
結局輪の中でしか機能しなくなったのを見ると連帯責任は仕方ないでしょう
閉幕間際にベテラン陣に代えて若手を起用しましたがもっと早い時期にと思うと残念です
最終戦後選手から監督の胴上げがなく終了したのを見ると
和の野球が完全に崩壊したのを如実に感じました
通信簿は面白い企画ですが、筆致が上から目線すぎませんか。
プロの評論家の方ではないんですよね。
それと、管理人様が仰っているとおり、起用する選手については冷静に判断の上、選択してもらいたいと思います。
あと、二軍は決して、「懲罰の場」ではありません。調整の場、修正の場として積極的に活用して頂きたいと思います。
「1番」が最後、チームに対して借りを返せたのは、二軍での修正があっての結果だと思います。
そのあたりのチームへの意識付けは是非、お願いしたい。
西村マリーンズにこのあたりの対応が不十分だったことが不満でしたし、不信任に賛成した理由です。
2010下克上も、監督個人としては、初年度から結果が出てしまって気の毒だったかもしれませんね。あれで起用が臆病になったかも。
初年度が最下位だったら、意外とファンは温かい目で二年目以降を見れたかもしれませんね。
確かにあの時の我々の興奮度は最高潮でした。そして翌年はシーズンリーグ制覇で本当の日本一へというのが選手・ファンのあたりまえの目標でした。しかし今、2年間に見せつけられたことは、所詮あれは“勢い”のなせる技、それを弁えずに勘違いしたことが、この2年間に全て膿としてでてしまったのではないでしょうか。
まるで西武Dの奇跡からyahoo、名古屋と闘った一連の流れを144試合全部に通したような用兵、戦法。あの時活躍した選手の残像を追うが如きオリオンさんおっしゃる“主力主義”。結局2年前の実績には何も積み重ねることができなかった。それはみなさんの反論覚悟で言えば、2年前の勝ち方そのものに、次につながるものを正しく総括できなかったフロントも含めた首脳陣に最大の責があると思います。
愚妻は調子いいときのベンチの沸き方を見て、「この雰囲気がロッテの魅力」みたいなことを言うのですが、まるで中学生の運動会的なのりが、妙にマリンズの成長のなさを彷彿とさせているような。“雰囲気盛り上げ隊”のためだけにベンチにいる選手たちに象徴されるぬるま湯的雰囲気が続くようでは、覚醒した若手が出てくることも阻害しそうな気がします。
伊東監督決定のようですが、みなさんの中にも少なからぬ異論が出ているようです。たしかに今のチームの雰囲気に即なじむようなキャラクターの持ち主ではないでしょう。でもそれだからこそ、2年前の歓喜を単なる“思い出”に終わらせないために、全然違う血を入れて見ることも大切ではないでしょうか。それでチームが崩壊するようだったら、一度壊してみることも必要な気がします。
多くの反論を覚悟しています。
あそこで、CSに行けずに4位だったら采配が変わったのかもと言う気になります。まあ、フロントが変わっちゃったのもあるんでしょうけど。
いろいろあるでしょうけど、西本コーチはインパクトがあったと思いますよ。外様で下手すりゃ監督より一般的には有名選手のコーチですから。
他の球団のやり方をよく知っているコーチが入るのは良いことなんじゃないかと思います。
戦術面ですけど、バントを増やしましたけど、個人的にはなんでいつも一番が出ると二番がすぐにバントなんだと考えていました。
足が速い選手を1,2番に据えたなら1番に盗塁させる方が良いと思いますけどね。
その後でバントでも良いような。
岡田に50盗塁とかいっていましたが、37回しか盗塁を試みていないのですから・・・
結局岡田が出てもすぐにバントのサインじゃ走れないですからね。言っていることとやっていることが違う気がしました。
来季は、戦略、選手起用をキチンと決めて欲しいですね。上で調子が悪い選手が何週間もそのままで、下で大活躍の選手がいるのに入れ替えもしないし、入れ替えても1試合投げさせる、数打席打たせるだけでまた戻しちゃうというのは辞めて欲しいですけどね。
西村監督の責任なのでしょうか?
フロントからの強い要望、契約条件、条件下の中で
使わざるを得なかったのではないでしょうか。
井口はメジャーから獲得した時にそのような条件があった。
サブローは巨人から移籍する時に、そういう条件があった。
そういう縛りの中で、西村監督は
采配をせざるを得なかったということは
有りませんか?
だとすると、西村監督だけを責めるのは
酷なような気がします。
「駄目でした」「駄目でした」「駄目でした」・・・・。
ベテランに浦和へ行ってくれ、ベンチに座ってろと言い渡し、
10打席に1本ライナーを打てるかどうかの若手を出せ、と。
サブローの四球トップとか出塁の貢献は無視なんですかね。愚挙と来たもんだ。ホント、汚い言葉遣いの名手ですね。
確かに「契約の縛り」があったとしても、大松の「縛り」や投手の起用までには及んで無いでしょうから、かなり点差が開いたゲームでも勝ちパターンを投入したり、足を使った野球を打ち上げながら、盗塁が激減したりと不可解な状態はやはり、監督の采配によるところが大きいと思います。
多くの方がおっしゃってるように、中日ファンや、私の阪神ファンの親類にも、最高の感動を与えた「下克上」が足かせになってしまい、優勝至上命題になり、「臆病な」采配になったのが没落原因なのかもしれませんね。西村さんが解説者になると、監督時代の事がぽろぽろ出てきて本当のことがわかることを少し期待したいと思います。
私は下克上は、勢いだけで突っ走ったとは、考えておらず、SB戦も含め、選手たちが、かなり冷静になって相手の配球を読んだり、緊張感を上手く、集中力に転換しえた精神力の結果だと思っています。そういう落ち着いた戦いができる選手がサブローをはじめ、ロッテには存在しています。黒木が、解説で、おべんちゃらかもしれませんが、「どの球団の選手監督に聞いてもCSでロッテとやるのが一番嫌だ」といってました。CS西武戦の内の起用をみても西村さんがそのような力を引き出す能力があることは否めないでしょう。そういう意味で私は西村さんを評価しています。
荻野や(角中を二軍に落としてまで使い続けた)伊志嶺といった西村野球の核となる選手が脱落していって思うような野球ができなかったのかもしれません。しかし、脇を固める人たちがしっかりしないと。私は西村さんがもっとも耳を傾けれる盟友の青山さんが2軍に言ってしまったことが、彼の「臆病」、「硬直」とされる采配をさらに強め、3位すら入れなかったことに結びついたのではないか、と考えています。
まあ非常に簡単に言いますと、諸事情(想像も含み)を鑑みると情状酌量の余地は大いに有りながらも、やれる範囲の手当てを怠った面は否定出来ず、と言ったところでしょうか。部外者が、結果論がと言われてしまえばそれまでかも知れませんが、もはや限界、これ以上続けて貰っても好転する兆しは無かったと思います。
西村さんは、いい悪いではなく、自分の専門分野においては優秀な技術やさんだったのだと思います。