<NHK‐FM「ベストオブクラシック」レビュー>
~第17回「ショパン国際ピアノコンクール」優勝者 チョ・ソンジン ピアノ・リサイタル~
モーツァルト:ロンド イ短調 K.511
シューベルト:ピアノソナタ ハ短調 D.958
ショパン:24の前奏曲 作品28
ポロネーズ 変イ長調 作品53 「英雄」(アンコール)
ピアノ:チョ・ソンジン
収録:2016年8月5日、ポーランド、ドゥシニキ、ショパンの家
提供:ポーランド・ラジオ
放送:2017年12月18日(月) 午後7:30~9:10
今夜のNHK‐FM「ベストオブクラシック」は、2015年第17回「ショパン国際ピアノコンクール」で優勝したチョ・ソンジンのポーランドの「ショパンの家」におけるピアノ・リサイタルである。チョ・ソンジン(1994年生れ)は韓国、ソウル市出身。6歳からピアノを始め、2008年「青少年のためのショパン国際ピアノ・コンクール」(モスクワ)で第1位、2009年第7回「浜松国際ピアノコンクール」で最年少(15歳)にして優勝。同時に日本人作品最優秀演奏賞、札幌市長賞も受賞した。2011年、パリ国立高等音楽院に留学し、ミシェル・ベロフに師事。2011年「チャイコフスキー国際コンクール」ピアノ部門にて第3位入賞。2014年「ルービンシュタイン国際ピアノ・コンクール」で第3位。そして2015年第17回「ショパン国際ピアノコンクール」で優勝、ポロネーズ賞も併せて受賞した。同コンクールでの優勝は、アジア人としては、1980年のベトナムのダン・タイ・ソンそれに2000年の中国のユンディ・リに続き3人目の快挙となった。
最初の曲は、モーツァルト:ロンド イ短調 K.511。この曲は1787年、モーツァルト31歳の時の作品。前年には歌劇「フィガロの結婚」、同じ年には歌劇「ドン・ジョヴァンニ」という大作を生み出している。モーツァルトのシンプルな伴奏に乗せて哀愁を感じさせる美しいメロディーが奏でられる。曲の構成は、2つの長調のエピソードをはさんで、シチリアーノのリズムを持つ短調の主題が再現される。この曲でのチョ・ソンジンの演奏は、ピュアな精神とそして限りなくピュアなピアノの音質を存分に披露したものとなった。モーツァルトの短調の音楽の持つ、物悲しい雰囲気がよく出た演奏内容であり、抑制の利いたピアニズムがリスナーの胸に豊かに響きわたる。テンポは中庸を得たものであり大変聴き心地が良い。何か聴衆の心をわしづかみような魅力を奥底に漂わせた見事な演奏内容だ。
次の曲はシューベルト:ピアノソナタ ハ短調 D.958。この曲は、全部で21曲あるシューベルトのピアノソナタの最後の3大ピアノソナタの最初に当たる曲で、全体では第19番目のピアノソナタ。ハ短調というベートーヴェンが好んで用いた調性を使ったことでも分かるように、全体に力強いベートーヴェンのソナタを思い起こさせるような曲に仕上がっている。前作のト長調のソナタからほぼ2年の歳月が過ぎており、シューベルトの死はもうほんの2か月後に迫っていた。当時、シューベルトは貧困の中で、死の病と闘いながら、必死で作曲を続けていたわけである。この前年には、シューベルトが師と仰いだベートーヴェンがこの世を去っている。この曲は、そのようなときに書かれたわけで、ベートーヴェンの後継者でありたいと願ったシューベルトの心情がよく表れた作品と言える。この曲でのチョ・ソンジンの演奏内容は、モーツァルトの時とがらりと変わり、全体の構成をがっちりと組み上げ、一音一音を確かめるように弾き進む。比較的ゆっくりとしたテンポをとり、重々しいピアニズムが一際印象的な展開を見せる。何かチョ・ソンジンの精神がシューベルトに乗り移ったような凄味さえ感じられる優れた演奏内容であった。
最後の曲は、ショパン:24の前奏曲 作品28。この作品は、24曲がすべて異なる調性で書かれており、これはバッハの平均律クラヴィーア曲集に倣ったものと言われている。全曲通して一つのまとまりがあるため、全曲通して演奏されることが多い。この辺はショパンの天才たる天才の所以であるといっても過言なかろう。曲の配列は、ハ長調、イ短調、ト長調、ホ短調 …と平行短調を間に挟みながら5度ずつ上がっていくという順序をとっている。チョ・ソンジンは、2015年第17回「ショパン国際ピアノコンクール」で優勝いるだけに、このコンサートでの出来栄えに演奏前から期待が高まる。結論から言うと、一曲、一曲の表情の付け方は、非凡さがよく表れた演奏に終始した。烈しくピアノを鳴らしたかと思うと一方、愁いを含んだ情感あふれるピアノ演奏が、包容力と説得力のあるものに昇華されており申し分ない、のだが・・・。全体を聴き終わり、振り返った時に何か強烈に訴える力といったいうものが、もう一つ欲しかったというのが私の偽らざる感想である。演奏前の期待感があまりに高かったからそう感じるのかもしれない。(蔵 志津久)