イザイ:無伴奏ヴァイオリンソナタ
ヴァイオリン:加藤知子
CD:コロムビアミュージックエンタテインメント DENON COCO 70857
ヴァイオリニスト、作曲家、指揮者のウジェーヌ・イザイ(1858年―1931年)は、ベルギー、リエージュの出身。 リエージュ音楽院でヴュータンやヴィエニャフスキに師事し、いわゆる“フランコ・ベルギー派”のヴァイオリニストとしての教育を受ける。音楽院を卒業後はベルリン・フィルの前身のベンヤミン・ビルゼの楽団においてコンサートマスターを務めるかたわらソリストとして演奏活動を行う。1886年にはイザイ弦楽四重奏団を設立し、後にドビュッシーの「弦楽四重奏曲」を初演。指揮者としても活動し、1918年シンシナティ交響楽団の音楽監督に就任している。1886年ブリュッセル音楽院の教授に就任し、後進の指導にも力を入れた。弟子にはナタン・ミルシテイン、ウィリアム・プリムローズなどがいる。没後の1937年からはイザイを記念した「イザイ国際コンクール」が開催され、このコンクールは現在、世界3大音楽コンクールの一つに数えられている「エリザベート王妃国際音楽コンクール」に発展している。イザイは、ヴァイオリニストとして、カザルスが「イザイほど正確な演奏ができるヴァイオリニストを聴いたことがない」と語っていたほどの力量を持ち、一世を風靡した。一方、作曲家としては、ヴァイオリンのための作品が中心となっている。その代表作は、このCDに収録された「無伴奏ヴァイオリンソナタ」で、「エリザベート国際王妃音楽コンクール」の課題曲のほか、現在、演奏会でもしばしば取り上げられている。
ヴァイオリニストの加藤知子(1957年生まれ)は、東京都出身。1969年小学校6年生の時、第23回「全日本学生音楽コンクール全国大会」小学生の部で第1位を獲得。1976年、桐朋学園大学に入学し、江藤俊哉に師事する。1978年第47回「日本音楽コンクール」第1位。1980年桐朋学園大学を卒業後、タングルウッド音楽祭に参加し、ローレンス・レッサーに師事、メイヤー賞を受賞。またアスペン音楽祭、マールボロ音楽祭に出演し、ルドルフ・ゼルキンらの指導を受ける。1981年文化庁派遣研修員として2年間ジュリアード音楽院に留学して、ドロシー・ディレイに師事した。1982年第7回「チャイコフスキー国際コンクール」で第2位を受賞。1983年に帰国し、日本におけるデビューリサイタルを開催。以来国内はもとよりアメリカ、ヨーロッパ、南米、韓国、中国、モスクワなど各地でオーケストラとの共演やリサイタル・ツアーを行う。NHK-TV、FM番組にも出演。ソロ活動のほかには室内楽でもリリア・アンサンブルの中枢として活躍。水戸芸術館では、専属楽団「ATMアンサンブル」のメンバーとしても出演を重ねている。CDはコロムビアより「イザイ無伴奏ヴァイオリン・ソナタ」のほか「朝の歌~エルガー作品集」「バッハの無伴奏ソナタ&パルティータ全曲」を、またNYS CLASSICSより「シューマン・ヴァイオリン・ソナタ」「ブラームス・ヴァイオリン・ソナタ」等をリリースしている。桐朋学園大学教授。
イザイ:無伴奏ヴァイオリンソナタは、1923年夏ごろから1924年にかけて作曲された。ヨーゼフ・シゲティ(1892年―1973年)の弾くバッハの「無伴奏ヴァイオリンソナタ」を聴いて、イザイが作曲を決意したと言われている。この曲は、イザイがそれまで接してきたあらゆるヴァイオリン音楽の集大成という意味を持つ作品であり、無伴奏ヴァイオリンのための名曲として、現在でも多くの奏者が演奏会での演奏、さらに録音を遺している。この曲は全部で6曲からなっている。第1番 ト短調:ヨーゼフ・シゲティに献呈。全4楽章からなりバッハの「ソナタ第1番」との類似が指摘される。第2番:ジャック・ティボーに献呈。全4楽章で、グレゴリオ聖歌「怒りの日」が循環主題として用いられている。第3番 ニ短調:ジョルジェ・エネスクに献呈。単一楽章で書かれ、6曲の中でも単独で取り上げられる機会が多い。第4番 ホ短調:フリッツ・クライスラーに献呈。全3楽章で、各楽章には舞曲の名前が冠され、パルティータを模している。第5番 ト長調:マチュー・クリックボームに献呈。全2楽章で、2つの楽章にはそれぞれ具体的な題名が付され、音詩に近い性格を持つ。第6番 ホ長調:マヌエル・キロガに献呈。単一楽章で書かれ、ヴァイオリンの多彩な演奏技巧が華やかに披歴されていく。
イザイの「無伴奏ヴァイオリンソナタ」は、バッハの「無伴奏ヴァイオリンソナタ」に触発されて作曲したと言われる通り、ヴァイオリン奏者がこの曲を弾くと、必ずと言ってもいいほど、必要以上に力が入り、格調は高いが何となく親しみが湧かないと言ったケースが多い。ところが、このCDでの加藤知子のヴァイオリン独奏は、むやみやたらに力が入るということは全くなく、実に柔和なで、親しみが持てる演奏に終始する。流線状の無数の糸が綾をなし、それらが無数の光を放ちながら点滅を繰り返えし、去っては、また現れるという、幻想的な世界へとリスナーを自然に誘う。この意味で、加藤知子の弾くイザイの「無伴奏ヴァイオリンソナタ」は、これまでのヴァイオリニストが表現できなかった、独自の新しい境地に立った演奏であるということができる。この曲は、第1番から第6番までの曲すべてに、捧げられた人の実名が記されている。こんな例はあまりない。それらは、ヨゼフ・シゲティ、ジャック・ティボー、ジョルジュ・エネスコ、フリッツ・クライスラーの大音楽家、さらに、イザイの弟子であり、イザイ弦楽四重奏団の第2ヴァイオリン奏者であったマチュー・クリックボームと、コンセール・イザイのソリストとしても活躍したが事故によりソリストを断念せざるを得なくなったスペイン出身のマヌエル・デ・キローガである。これを見ると、この曲はイザイが尊敬の念あるいは親しみを込めて書いた、私書のような作品であることが分かる。つまり、このCDで加藤知子が表現した、親しみが滲み出た演奏内容が、この曲に最も相応しいように私には感じられた。(蔵 志津久)