★ 私のクラシック音楽館 (MCM) ★ 蔵 志津久

クラシック音楽研究者 蔵 志津久によるCD/DVDの名曲・名盤の紹介および最新コンサート情報/新刊書のブログ

◇クラシック音楽CD◇加藤知子のイザイ:無伴奏ヴァイオリンソナタ

2018-08-07 09:36:43 | 器楽曲(ヴァイオリン)

イザイ:無伴奏ヴァイオリンソナタ

ヴァイオリン:加藤知子

CD:コロムビアミュージックエンタテインメント DENON COCO 70857 

 ヴァイオリニスト、作曲家、指揮者のウジェーヌ・イザイ(1858年―1931年)は、ベルギー、リエージュの出身。 リエージュ音楽院でヴュータンやヴィエニャフスキに師事し、いわゆる“フランコ・ベルギー派”のヴァイオリニストとしての教育を受ける。音楽院を卒業後はベルリン・フィルの前身のベンヤミン・ビルゼの楽団においてコンサートマスターを務めるかたわらソリストとして演奏活動を行う。1886年にはイザイ弦楽四重奏団を設立し、後にドビュッシーの「弦楽四重奏曲」を初演。指揮者としても活動し、1918年シンシナティ交響楽団の音楽監督に就任している。1886年ブリュッセル音楽院の教授に就任し、後進の指導にも力を入れた。弟子にはナタン・ミルシテイン、ウィリアム・プリムローズなどがいる。没後の1937年からはイザイを記念した「イザイ国際コンクール」が開催され、このコンクールは現在、世界3大音楽コンクールの一つに数えられている「エリザベート王妃国際音楽コンクール」に発展している。イザイは、ヴァイオリニストとして、カザルスが「イザイほど正確な演奏ができるヴァイオリニストを聴いたことがない」と語っていたほどの力量を持ち、一世を風靡した。一方、作曲家としては、ヴァイオリンのための作品が中心となっている。その代表作は、このCDに収録された「無伴奏ヴァイオリンソナタ」で、「エリザベート国際王妃音楽コンクール」の課題曲のほか、現在、演奏会でもしばしば取り上げられている。

 ヴァイオリニストの加藤知子(1957年生まれ)は、東京都出身。1969年小学校6年生の時、第23回「全日本学生音楽コンクール全国大会」小学生の部で第1位を獲得。1976年、桐朋学園大学に入学し、江藤俊哉に師事する。1978年第47回「日本音楽コンクール」第1位。1980年桐朋学園大学を卒業後、タングルウッド音楽祭に参加し、ローレンス・レッサーに師事、メイヤー賞を受賞。またアスペン音楽祭、マールボロ音楽祭に出演し、ルドルフ・ゼルキンらの指導を受ける。1981年文化庁派遣研修員として2年間ジュリアード音楽院に留学して、ドロシー・ディレイに師事した。1982年第7回「チャイコフスキー国際コンクール」で第2位を受賞。1983年に帰国し、日本におけるデビューリサイタルを開催。以来国内はもとよりアメリカ、ヨーロッパ、南米、韓国、中国、モスクワなど各地でオーケストラとの共演やリサイタル・ツアーを行う。NHK-TV、FM番組にも出演。ソロ活動のほかには室内楽でもリリア・アンサンブルの中枢として活躍。水戸芸術館では、専属楽団「ATMアンサンブル」のメンバーとしても出演を重ねている。CDはコロムビアより「イザイ無伴奏ヴァイオリン・ソナタ」のほか「朝の歌~エルガー作品集」「バッハの無伴奏ソナタ&パルティータ全曲」を、またNYS CLASSICSより「シューマン・ヴァイオリン・ソナタ」「ブラームス・ヴァイオリン・ソナタ」等をリリースしている。桐朋学園大学教授。

 イザイ:無伴奏ヴァイオリンソナタは、1923年夏ごろから1924年にかけて作曲された。ヨーゼフ・シゲティ(1892年―1973年)の弾くバッハの「無伴奏ヴァイオリンソナタ」を聴いて、イザイが作曲を決意したと言われている。この曲は、イザイがそれまで接してきたあらゆるヴァイオリン音楽の集大成という意味を持つ作品であり、無伴奏ヴァイオリンのための名曲として、現在でも多くの奏者が演奏会での演奏、さらに録音を遺している。この曲は全部で6曲からなっている。第1番 ト短調:ヨーゼフ・シゲティに献呈。全4楽章からなりバッハの「ソナタ第1番」との類似が指摘される。第2番:ジャック・ティボーに献呈。全4楽章で、グレゴリオ聖歌「怒りの日」が循環主題として用いられている。第3番 ニ短調:ジョルジェ・エネスクに献呈。単一楽章で書かれ、6曲の中でも単独で取り上げられる機会が多い。第4番 ホ短調:フリッツ・クライスラーに献呈。全3楽章で、各楽章には舞曲の名前が冠され、パルティータを模している。第5番 ト長調:マチュー・クリックボームに献呈。全2楽章で、2つの楽章にはそれぞれ具体的な題名が付され、音詩に近い性格を持つ。第6番 ホ長調:マヌエル・キロガに献呈。単一楽章で書かれ、ヴァイオリンの多彩な演奏技巧が華やかに披歴されていく。

 イザイの「無伴奏ヴァイオリンソナタ」は、バッハの「無伴奏ヴァイオリンソナタ」に触発されて作曲したと言われる通り、ヴァイオリン奏者がこの曲を弾くと、必ずと言ってもいいほど、必要以上に力が入り、格調は高いが何となく親しみが湧かないと言ったケースが多い。ところが、このCDでの加藤知子のヴァイオリン独奏は、むやみやたらに力が入るということは全くなく、実に柔和なで、親しみが持てる演奏に終始する。流線状の無数の糸が綾をなし、それらが無数の光を放ちながら点滅を繰り返えし、去っては、また現れるという、幻想的な世界へとリスナーを自然に誘う。この意味で、加藤知子の弾くイザイの「無伴奏ヴァイオリンソナタ」は、これまでのヴァイオリニストが表現できなかった、独自の新しい境地に立った演奏であるということができる。この曲は、第1番から第6番までの曲すべてに、捧げられた人の実名が記されている。こんな例はあまりない。それらは、ヨゼフ・シゲティ、ジャック・ティボー、ジョルジュ・エネスコ、フリッツ・クライスラーの大音楽家、さらに、イザイの弟子であり、イザイ弦楽四重奏団の第2ヴァイオリン奏者であったマチュー・クリックボームと、コンセール・イザイのソリストとしても活躍したが事故によりソリストを断念せざるを得なくなったスペイン出身のマヌエル・デ・キローガである。これを見ると、この曲はイザイが尊敬の念あるいは親しみを込めて書いた、私書のような作品であることが分かる。つまり、このCDで加藤知子が表現した、親しみが滲み出た演奏内容が、この曲に最も相応しいように私には感じられた。(蔵 志津久)

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◇クラシック音楽CD◇ギドン・クレーメルのバッハ:無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第1番~第3番

2017-06-13 07:26:23 | 器楽曲(ヴァイオリン)

バッハ:無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第1番 BWV1002/第2番 BWV1004/第3番 BWV1006

ヴァイオリン:ギドン・クレーメル

録音:1980年3月23日~29日、1980年6月14日~16日、オランダ、ハーレム、ルター教会

CD:ユニバーサルミュージック(DECCA) UCCP‐7005

  ヴァイオリンのギドン・クレーメル(1947年生れ)は、ラトヴィアのリガ出身。7歳の時にリガの音楽学校へ入学し、16歳で国内の音楽コンクールで優勝。その後、モスクワ音楽院へ進学し、ダヴィッド・オイストラフに8年間師事する。この間、1967年「エリザベート王妃国際音楽コンクール」3位入賞、1969年「パガニーニ国際コンクール」優勝、1970年「チャイコフスキー国際コンクール」優勝などコンクールで高い評価を得る。1975年ドイツにおいて初めてのコンサートを開き、西側ヨーロッパへのデビューを飾る。さらに1977年にはニューヨークへ進出し、アメリカにおいても名声を博した。1980年からはドイツに拠点を移し、欧米での活動を開始。1981年には、ロッケンハウス音楽祭を自ら創設し、毎夏オーストリアにて室内楽の音楽フェスティバルを開催する。2001年「ユネスコ国際音楽賞」、2002年「グラミー賞」、2016年「第28回高松宮殿下記念世界文化賞(音楽部門)」などをそれぞれ受賞。現在、世界的に高い評価を得ているヴァイオリニストの一人。

 このCDに収められたバッハ:無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第1番~第3番は、全6曲からなる無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータからパルティータの部分だけを収録したもの。これらが作曲されたのは、いわゆるケーテン時代であり、ブランデンブルグ協奏曲、ヴァイオリン協奏曲、平均律クラヴィーア曲集第1巻、「フランス組曲」「イギリス組曲」、半音階的幻想曲とフーガ、無伴奏チェロ組曲など器楽曲の名作がつくられたと同じ時期の作品。無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータは、ソナタの部分が抽象的な楽章、緩徐楽章、フーガ、緩徐楽章、急進楽章からなっている一方、このCDに収められたパルティータの部分は、大部分の楽章において舞曲形式が用いられている。この無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータは、ヴァイオリン独奏のだけの作品にもかかわらず、ヴァイオリンの持つ性能や表現の可能性を極限まで追求したその内容の充実度は、正に驚嘆に値する高みに仕上がっている。

 ギドン・クレーメルは、このバッハ:無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータを、1980年と2001年~2002年の2度録音している。このCDは、最初の録音からパルティータ第1番~第3番のみを収録してある。ここでのクレーメル演奏内容は、凄いの一言に尽きる。これらの曲は、いわば演奏家に素材を提供しているようなもので、演奏家の腕次第で、いかようにも表現の深みが増すことになる。演奏内容は、実に安定な技巧に支えられていると同時に、多様な演奏技法を駆使して一時もリスナーを飽きさせないどころか、ぐいぐいと曲の深みに誘い込む。確固とした造形美と同時に、優美な流線型の持つたおやかさを存分にこの曲から紡ぎだす圧倒的名演を聴かせてくれる。

 速いパッセージはあたかも生き物が躍動してようにも聴こえる。ヴァイオリンの音質自体も、単に美音だけを追求すものではなく、腹にずしりと響くような重みが感じられる。かといって、クレーメルはことさら力強さだけを前面に押し出すことは決っしてなく、柔軟性を十分に含んだものだけに、聴いていて非常に心地良い。これは、バッハの天分とクレーメルの天分とが、時代を超越して瞬間的に結び付いた奇跡の瞬間を記録した録音ということができる。(蔵 志津久) 

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◇クラシック音楽CD◇ドイツの名ヴァイオリニスト ツィンマーマンのイザイ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ

2017-02-07 09:40:39 | 器楽曲(ヴァイオリン)

イザイ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第1番ト短調  op.27の1(ヨーゼフ・シゲティに献呈) 
                      第2番イ短調 op.27の2(ジャック・ティボーに献呈) 
                      第3番ニ短調 op.27の3(ジョルジュ・エネスコに献呈) 
                      第4番ホ短調 op.27の4(フリッツ・クライスラーに献呈) 
                      第5番ト長調  op.27の5(マティウ・クリックボームに献呈) 
                      第6番ホ長調 op.27の6(マヌエル・キロガに献呈) 

     悲劇的な詩 op.12
     子供の夢 op.14

ヴァイオリン:フランク・ペーター・ツィンマーマン

ピアノ:エドアルド・マリア・ストラビオリ

CD:EMIミュージック・ジャパン TOCE16179

 これは、ドイツの名ヴァイオリニストのツィンマーマンがイザイの無伴奏ヴァイオリン・ソナタを収録したCDである。ウジェーヌ=オーギュスト・イザイ(1858年―1931年)は、ベルギーのヴァイオリニスト、作曲家、指揮者。リエージュ音楽院でヴュータンやヴィエニャフスキに師事し、“フランコ・ベルギー派”の教育を受ける。同音楽院を卒業後、ベルリン・フィルの前身に当たるベンヤミン・ビルゼの楽団においてコンサートマスターを務めるかたわらソリストとして演奏活動を行う。1886年「イザイ弦楽四重奏団」を設立し、ドビュッシーの「弦楽四重奏曲」を初演すると同時に指揮者としても活躍。1918年シンシナティ交響楽団の音楽監督に就任。没後の1937年からはイザイを記念した「イザイ国際コンクール」が開催されたが、これは後に世界三大コンクールの一つの「エリザベート王妃国際音楽コンクール」となり、現在に至っている。このため「エリザベート王妃国際音楽コンクール」の課題曲の定番として、イザイ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタが取り上げられている。

 イザイが遺した作品の中でも最も有名なのが、6曲からなる無伴奏ヴァイオリン・ソナタ集である。この作品は、バッハの無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータを範として書かれたものであるが、バッハの作品のように一定の規格に沿ったものでなく、自由な形式をもって書かれ、6曲すべてがイザイと交流のあったヴァイオリニストに献呈されている。作曲のきっかけは、シゲティの“バッハ・リサイタル”聴いたことだったという。作曲は、1923年から1924年にかけて、ベルギー北部の別荘において行われた。この曲の演奏には、音楽的、技巧的ともに非常に高度なものが要求されるため、「エリザベート王妃国際音楽コンクール」をはじめとする、コンクールの課題曲として採用されることが多い。

 無伴奏ヴァイオリン・ソナタの第1番はヨーゼフ・シゲティに捧げられ、バッハのソナタト短調の書法を取り入れた難技巧曲。第2番はジャック・ティボーに捧げられ、グレゴリオ聖歌の「怒りの日」が全体を支配する。第3番はジョルジュ・エネスコに捧げられ、単一楽章からなる華麗な技巧曲。第4番はフリッツ・クライスラーに捧げられ、アルマンド、サラバンド、フィナーレの3つの楽章からなる曲。第5番はイザイ弦楽四重奏団の第2ヴァイオリストのマティウ・クリックボームに捧げられ、「オーロラ」と「田舎の踊り」の2つの楽章からなる曲。第6番は、スペイン生まれのヴァイオリニストのマヌエル・キロガに捧げられ、スペイン風の趣がある単一楽章の曲。

 フランク・ペーター・ツィンマーマン(1965年生れ)は、ドイツ出身のヴァイオリニスト。1976年にエッセンのフォルクヴァング音楽院に入学。同年に行われた「全国青少年音楽家コンクール」で優勝して一躍脚光を浴びる。その後、ベルリン芸術大学で学ぶ。1980年代末からEMIと契約を結び、主に協奏曲の録音を数多く行ってきた。それらは、ドイツの正統的なヴァイオリニストの本領を発揮した録音として高い評価を受けている。このCDでのツィンマーマン演奏は、全てが難技巧曲からなるイザイ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタを、いとも楽々と弾きこなしていることに驚かされる。決して奇を衒わず、それぞれの曲に真正面から取り組む姿勢には好印象を受ける。凡庸なヴァイオリストがこれらの6曲の演奏をすると、長く、退屈に聴こえることがあるが、ツィンマーマンが演奏すると、これらの一曲一曲が、あたかも生命力が与えられたかのように輝き始め、それぞれの個性を自己主張するかのように、生き生きと聴こえてくるから不思議なものだ。(蔵 志津久)

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◇クラシック音楽◇和波孝禧のバッハ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ&パルティータ 全6曲

2012-04-13 10:30:49 | 器楽曲(ヴァイオリン)

 

<新譜CD情報>

 

~バロック奏法の研究を経てますます円熟味を深める和波孝禧の新録音~

 

 

バッハ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ&パルティータ 全6曲 BWV1001~1006

ヴァイオリン:和波孝禧

録音:2011年4、6月 三重県総合文化センター大ホール

CD:ナミ・レコード WWCC-7689~90(2枚組)

 和波孝禧は、1945年東京に生まれる。生来の全盲ハンディにもかかわらず、1962年、第31回日本音楽コンクールで第1位、特賞を受賞。さらに1965年ロン・ティボー国際コンクールで第4位、1970年カール・フレッシュ国際ヴァイオリン・コンクールで第2位を受賞。1993年モービル音楽賞、1994年サントリー音楽賞をそれぞれ受賞。今回の録音は、現時点での和波孝禧の集大成とも言うべきバッハの無伴奏を取り上げ、ピリオド楽器への挑戦から得た経験を最大限に注入したもの。

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◇クラシック音楽CD◇シゲティのバッハ:無伴奏ヴァイオリンソナタとパルティータ(全6曲)

2011-02-25 11:25:50 | 器楽曲(ヴァイオリン)

バッハ:無伴奏ヴァイオリンソナタとパルティータ(全6曲)

ヴァイオリン:ヨーゼフ・シゲティ

CD:VANGUARD CLASSICS 08 8022 72

 ヨーゼフ・シゲティ(1892年―1937年)は、ハンガリーのブタペストに生まれた名ヴァイオリニスト。叔父の影響を受けてヴァイオリニストになったようで、ブタペスト音楽院で正式に音楽の勉強を行った。1940年にはアメリカに移住し、米国議会図書館においてアメリカ亡命中のバルトークを伴奏者に行なった数々の録音は、現在までその名演ぶりが語り継がれているほどだ(ただ音質が優れないため誰にも薦められ録音ではない)。日本にも来て演奏を行っている。晩年はスイスで後進の指導に当り、前橋汀子なども教え子の一人。そのためか、前橋汀子の演奏を今聴くと、私などは何となくシゲティの演奏を思い出してしまうことがある。シゲティの演奏は、少しも気を衒うことなく、曲の本質にぐいぐいと食い込むエネルギーの凄さは、比類のないものだ。このため、シゲティの演奏にヴァイオリンの華やかさを求めても何も得られない。リスナーとしても、ひたすら、その曲の本質に迫るシゲティの殉教者のような姿を追い求めるしかない。

 バッハの無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ(BWV1001-1006)は、3曲ずつのソナタ(BWV番号は奇数)とパルティータ(BWV番号は偶数)合計6曲からなっている。3曲の「ソナタ」は、緩—急—緩—急の4楽章の典型的な教会ソナタの形式からなる。一方の「パルティータ」は、第1番と第2番がアルマンド、クーラント、サラバンド、ジーグという組曲の4楽章形式をとり、第3番は前奏曲、ルール、ガヴォット、メヌエット、ブーレ、ジーグと舞曲を配置している。バッハ以降の無伴奏のヴァイオリン曲はというと、そう目立った作品は出ていないように思われる。ただ、イザイとバルトークの無伴奏ヴァイオリンソナタが、バッハの無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータを継承している曲のようである。これらの2曲はバッハへ対する信仰みたいな熱い思いがあってはじめて作曲できたようにも思われる。そう考えると、おいそれと今後そう簡単に作曲できるジャンルの作品でもないのかもしれない。

 このバッハの無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータについては、数あるクラシック音楽の中でもある特別な位置にある、と言っても過言ではないであろう。それはヴァイオリンという楽器の持つ可能性をここまで引き出した曲というのは、未だに聴いたことがない。何かヴァイオリンが奏でる音が宇宙全体に響きわたっているようにも聴こえて来るから不思議なのだ。中野雄氏は「新版 クラシックCDの名盤」(文春新書)の中でバッハの無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータについて次のように書いているので引用させてもらうことにする。「バッハの偉大さは(凄さと言った方が適当かもしれない)、もともとが旋律楽器であるヴァイオリンに和声感を持つ音楽を演奏させようと試み、得意の対位法を駆使して、それを見事に成功させたとこにある。しかも、精巧無比な作曲技法を用いながら、紡ぎ出した音楽はあくまでも人間的で、深い意味内容を持つ。もし奏者に人を得れば、その響きから神の声を聴くことも不可能ではない」。つまり、奏者がバッハが意図したものを表現できるか否かが、この曲集をより一層価値あるものに押し上げるということに帰結するのである。

 その意味でヨーゼフ・シゲティは、全部で6曲からなるこのバッハの無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータを演奏するのに最も相応しい奏者であると言い切ってもいいだろう。何故なら、シゲティの演奏は、余計な装飾物を最初から排除して、曲の本質にストレートに切り込んで行くから他ならない。リスナーは、この6曲についてだけは、ヴァイオリンの表面的華やかさから一時離れて聴かねばならない。装飾物を追い求めて聴くとバッハがこの6曲で言いたかった本質を見失う結果に終わってしまうこと必然だ。バッハは歌劇を1曲も作曲しなかった。何故作曲しなかったのか、バッハに直接聞きたい気もするが、この6曲の無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータを聴いていると何となくその理由が分るような気がする。バッハが求めていたのは、音楽を通して宇宙の真理のようなものを追い求めたかったのではなかろうか。歌劇は余りにも人間臭く、とても宇宙の真理には近づけない。だからといってバッハは人間臭さに無頓着であったわけではない。むしろ身近な人間臭さには関心は大であったろう。例えば「コーヒーカンタータ」のような日常の市民生活に根ざした曲を書いている。ということはバッハは、一時の絵空事のような御伽噺には与したくなかっただけかもしれない。それにしてもシゲティの演奏は、ここでも考えられないほどの求心力を持ち、それが宗教的な高みにまで高まっていることに驚嘆する。これは永遠の名盤中の名盤なのである。(蔵 志津久)

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◇クラシック音楽◇エネスコのバッハ:無伴奏バイオリンソナタとパルティータ

2008-10-16 12:06:04 | 器楽曲(ヴァイオリン)

バッハ:無伴奏バイオリンソナタとパルティータ

ヴァイオリンジョルジュ・エネスコ

CD:PHILIPS(日本フォノグラフ)25CD-925~6

 ジョルジュ・エネスコ(1881年-1955年、ルーマニア語でジョルジェ・エネスクと表記される場合もある)は、我々にとってはルーマニア狂詩曲の作曲者として知られているが、バイオリニスト、指揮者、ピアニスト、音楽教育者としても一流の腕を持っていた、今で言うならオールラウンドプレーヤーといった存在であった。特にバイオリニストとしては、クライスラー、ティボーとともに20世紀前半の三大バイオリニストの一人に数えられているほどだ。バイオリンの教育者としても卓越したものを持っていたようで、門下生からは我々にお馴染みのユーディ・メニューイン、アルテュール・グリュミオーなどを輩出している。活躍の場はフランスが中心で、それに第2次世界大戦中にはアメリカに渡っている。「バイオリニストとしてのエネスコは広いレパートリーを持ち、そのほとんどを暗譜で演奏した。彼の音は“エネスコ・ヴィヴラート”と呼ばれるほど幅広く、豊かであった」(高橋昭=ライナーノートから)という。とりわけエネスコはバッハに対して大変深い敬愛の念を抱いていたが、これは1948年に録音されたレコードを基に、ノイズを取り除いて聴きやすくした無伴奏バイオリンソナタ第1番~第3番/パルティータ第1番~第3番を収めたCDである。もちろん音は古いが、鑑賞に耐えられるレベルとなっており、特にノイズがほとんどカットされているので心地よく聴くことができる。

 このCDの演奏内容は「即興性に富んだ自由自在な表現の中に、バッハに対する深い洞察がうかがえる名演奏で、バイオリン演奏史上さん然と輝く大バイオリニストの至芸」(同CDの腰巻から)そのものである。このくらい精神的に集中してバッハを引き込んだ演奏はこれまで聴いたことがないし、ひょっとすると今後、精神性の高さでこれを凌駕するCDは出てこないのではないかとさえ思えるほどだ。もし私が最後に10枚だけCDを持つ自由が許されたとするならば、必ずその中の1枚(2枚組みだが)に入っているCDである。ただただバイオリンの音そのものの飽くなき追求と、バッハが五線譜に書き残した音楽に対する強い共感とがこのCDには込められている。この意味でこのCDは他のCDとは同列には扱えないような、次元が違うCDとすら思えてくる。

 私が私淑する盤鬼・西条卓夫氏の遺した著作の一冊「名曲この一枚」(1964年7月、文芸春秋新社刊)にこのCDの基となったレコードについての評論が6ページにわたって書かれてるので紹介したい。「LPの最初期、私は、シュワンのカタログでこのレコードの存在を知り、文字通り戦慄した。・・・『生きていて良かった!』とつくずくおもったものだ」「エネスコは、ティボーとともに今世紀(20世紀)前半のフランス・バイオリン楽派を代表する不世出の名匠であり、ティボーに次ぐ私の愛好バイオリニストでもある。オーソドックスなパリ音楽院型だが、根はルーマニア人なので、非常に渋い。『光沢消しのティボー』ともいえよう」。そして最後に「ともあれ、このように貴重な文化的遺産は、そう、ザラにあるものではない。録音企画の起死回生的なホーム・ランの一つとして、心からの拍手を送る」と結んでいる。西条卓夫氏は発売されたレコードはめったに褒めないことでも知られていたが、その氏が手放しで賞賛していることからもこの録音の存在意義が裏付けられよう。

 この本の中で西条氏はエネスコの「回想録」の一部を紹介しているが、ここでエネスコはこんなことを言っている。「バッハ演奏については、誰も指導はしてくれなかった。独学で、とにかく、ここまで来たのだ」「バッハも、いまでは、スターの作曲家となった」と。バッハは死後長く忘れ去られ、メンデルスゾーンが再評価したことで有名だ。エネスコが若かったときはバッハを教える先生もあまりいなかったことが分かる。そしてようやくバッハがスター作曲家になり始めたころに遭遇している。今でこそバッハはクラシック音楽の神様的存在になっているが、バロック時代はドイツの片田舎の一作曲家としての位置づけであり、必ずしも神様的存在ではなかった。我々はこれからクラシック音楽を聴く際に、本物の作曲家、本物の演奏家を聞き分ける感覚をもっともっと養わなければならないのではないか、などと余計なことをついつい考えてしまう。(蔵 志津久)

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◇クラシック音楽◇イザイの無伴奏バイオリンソナタ

2008-05-13 10:14:32 | 器楽曲(ヴァイオリン)

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イザイ:無伴奏バイオリンソナタ

演奏:バイオリン=エフゲニア・マリア・ポポーヴァ

CD:スイスLEMAN CLASSICS LC42901

  イザイ(1858-1931年)はベルギーのバイリン奏者で、同時に作曲家としても、このCDの無伴奏バイオリンソナタの作曲者として今に名を残している。バイオリン奏者としてはビブラート技法を確立するなど、存命中は一流の奏者で、彼の名を付けた国際コンクールも行われていたほど。現在でもイザイの名前が知れわたっているのは、無伴奏バイオリンソナタが各種のコンクールの課題曲になっていることが大きい。それだけこの曲はバイオリニストの腕を試すには、もってこいの難曲ということなのであろう。これだけ聞くと、なんだか技法を駆使しただけの曲に思えるが、一回でも聴くとその魅力から離れられなくなる。特に優れたバイオリニストによる演奏を聴くとその魅力は倍増する。

  このCDのポポーヴァの演奏は、正にイザイの無伴奏バイオリンソナタの魅力を何倍にも拡げてくれている。単に技巧に溺れることなく、このソナタの、何か人懐こい味わいを巧みに引き出すことに成功している。この人懐こさは、全部で6曲あるすべてがバイオリニストに献呈されていることと無縁ではあるまい。つまりイザイは、これらのバイオリニストとの交流を、曲として残しておきかったのではなかろうか。

 このソナタは、バッハの無伴奏バイオリンソナタ&パルティータをベースとしたものであり、このことが曲の魅力をつくり出している源泉なのかもしれない。しかし、著名な曲を下敷きにした曲がすべて聴衆を魅了するかというと、むしろ評価を下げるケースの方が多いのではないか。そう考えるとやはりイザイの無伴奏バイオリンソナタは、イザイにしか書けなかった名曲と言うべきなのだろう。(蔵 志津久)

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