~前橋汀子 ベスト・セレクション~
クライスラー:プニャーニのスタイルによるアレグロ/エルガー:愛の挨拶/シューベルト(ヴェルヘルミ):アヴェ・マリア/ドヴォルザーク(クライスラー):スラヴ舞曲/チャイコフスキー:メロディー/パガニーニ(クライスラー):ラ・カンパネラ/メンデルスゾーン(クライスラー):五月のそよ風/ブラームス(ヨアヒム):ハンガリー舞曲第1番/マスネ(マルシック):タイスの瞑想曲/チャイコフスキー(プレス):感傷的なワルツ/プロコフィエフ(ハイフェッツ):「3つのオレンジへの恋」より行進曲/ラフマニノフ(プレス):ヴォカリーズ/ボッケリーニ:メヌエット/サン=サーンス:白鳥/シューベルト:セレナーデ/ドビュッシー(ハイフェッツ):美しき夕暮れ/ドボルザーク(クライスラー):わが母の教え給えし歌/ヴィターリ:シャコンヌ
ヴァイオリン:前橋汀子
ピアノ:前橋由子/若林 顕/東 誠三
CD:ソニー・ミュージック・ジャパン・インターナショナル SICC 10070
このCDは、日本を代表するヴァイオリニストの前橋汀子が、1984年~2000年にかけて録音した「ヴァイオリン小品集100」(全6作)から選曲された18曲を収録したベスト盤である。これらの曲を見ると華やかな曲がちりばめられているので、ともするとムードに流れた、バックグランド音楽みたいな演奏の感じを受けるかもしれないが、前橋汀子がこれらのヴァイオリンの小品を弾くと、1曲1曲が実に滋味溢れた曲に変身し、何か曲の中にリスナーが引き込まれ、その曲が本来持っている魅力に改めて気が付かされるような気分になれる。
実は、私は以前、ヴァイオリンというと直ぐグリュミオーを思い出し、その甘美なまでの美しい音色に慣れ親しんでしまい、それ以外のヴァイオリンの音色には拒否反応を起こしてしまうという状況にあった。いってみれば、フランコ・ベルギー楽派のあくまで、自然で合理的なボウイング、細かなニュアンス、美しい音色に魅せられていたのである。そのため前橋汀子の師であるシゲティのヴァイオリンの奏法などには抵抗感を抱いていた。しかし最近になってヴァイオリンの演奏を聴いてみると、シゲティの奏でる、ヴァイオリンの表面的な音色の美しさでなく、どちらかといえば荒削りではあるが、その曲の持つ本質を抉り出すような、滋味溢れた演奏に引き付けられるようになってきている。
前橋汀子の演奏も、師のシゲティのように、ただ表面的な美しさを追求するのではなく、あくまでその曲の本質に迫り、その曲の持つ究極の美しさを我々リスナーに教えてくれる。その意味で、以前の私であったらなら前橋汀子の奏でるヴァイオリン演奏には惹かれなかったが、今ではこのCDを携帯音楽プレーヤーに入れ、時間があれば常に聴いている。もう何回聴いたか分らないほど聴いてきたこれらの曲が、また新しい魅力を持って私の前に現れてくれる喜びは大きい。ムード音楽的に聴ける演奏もそれはそれで気軽に聴けて楽しいものであるが、前橋汀子の演奏のように、滋味溢れる演奏で、しかも日本人でなければ出せない感性が、今の私とって何ものにも代えがたく、懐かしさで心が満たされる。ともすると無国籍の技巧第一主義がはびこる現在のクラシック音楽界で、前橋汀子の存在感は今後一層光を増すことになろう。
前橋汀子は、あまりにも著名なヴァイオリニストなので、どのような経歴を持っているのか、これまで気にしてこなかった。そこでこのCDのライナーノートを参考に、経歴を整理してみたい。5歳から小野アンナにヴァイオリンを学び、桐朋学園高校では斉藤秀雄、ジャンヌ・イスナールなどに師事している。17歳で日本人としては初めて旧ソ連国立レニングラード音楽院(現サンクトペテルブルグ音楽院)に留学する。その後、ニューヨーク・ジュリアード音楽院で学び、スイスではヨーゼフ・シゲティ、ナタン・ミルシュテインに薫陶を受けている。そして、レオポルド・ストコフスキーの指揮で、ニューヨーク・カーネギーホールで演奏会デビューを飾る。04年に日本芸術院賞を受賞。現在、大阪音楽大学教授として後進の指導にも当っている。(蔵 志津久)