★ 私のクラシック音楽館 (MCM) ★ 蔵 志津久

クラシック音楽研究者 蔵 志津久によるCD/DVDの名曲・名盤の紹介および最新コンサート情報/新刊書のブログ

◇クラシック音楽◇コンサート情報

2011-03-31 11:25:10 | コンサート情報

 

<コンサート情報>


~森 麻季 ソプラノ・リサイタル~

越谷達之助:初恋
山田耕筰:からたちの花
久石譲:坂の上の雲のメインテーマ曲“Stand Alone”
グノー:歌劇「ファウスト」より“宝石の歌”
リスト:夢に来ませ
リスト:愛の夢
バッハ/グノー:アヴェ・マリア
ヘンデル:オンブラ・マイ・フ 他

ソプラノ:森 麻季

ピアノ:山岸茂人

会場:千葉県文化会館・大ホール

日時:2011年5月29日(日) 午後3時

 ソプラノの森 麻季は、東京藝術大学音楽学部声楽科を卒業後、文化庁派遣芸術家在学研修員としてミラノのヴェルディ国立音楽院に留学。ミュンヘン国立音楽大学大学院を修了。1998年、プラシド・ドミンゴが主催するコンクール「Operalia」に挑戦し、第3位に入賞を果たす。 ドミンゴの推薦で国立ワシントン歌劇場に「後宮からの逃走」のブロンデ役で出演し、これが初の国際的な舞台となった。日本人として初めてワシントン・ナショナル・オペラに出演し、ワシントン・アワードを受賞。2000年度出光音楽賞受賞、2001年度ホテルオークラ音楽賞受賞などこれまで多くの受賞歴を持つ。

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◇クラシック音楽CD◇フルトヴェングラーのベートーヴェン:交響曲第9番「合唱付」

2011-03-29 11:26:02 | 交響曲(ベートーヴェン)

ベートーヴェン:交響曲第9番「合唱付」

指揮:ヴィルヘルム・フルトヴェングラー

管弦楽:バイロイト祝祭管弦楽団

合唱:バイロイト祝祭合唱団

独唱:エリーザベト・シュヴァルツコップ(ソプラノ)
   エリーザベト・ヘンゲン(コントラルト)
   ハンス・ポップ(テノール)
   オットー・エーデルマン(バス)

CD:オタケン・レコード TKC‐319(原盤:仏パテ第2版)

 クラシック音楽の録音は、これまで数えられないほどの数に及んでおり、今現在も、数多くの録音が行われているが、そんな無数の録音の中から、人類の宝として永久保存版の録音を選ぶとしたら、今回のCDである、フルトヴェングラーが、1951年7月29日にバイロイト祝祭管弦楽団を指揮したベートーヴェン:交響曲第9番「合唱付」のライヴ録音は、必ずや入っていることに違いない。このCDは、それほどまでに至高の芸術の領域までに踏み込んだ、前人未到の境地とも言っても過言でないような演奏内容となっている。つまりベートーヴェンの「第九」の決定盤なのである。交響曲第9番「合唱付」は、交響曲の概念を一新して「合唱」を付け加えるという、それまでの交響曲の常識を覆す破天荒なことをベートーヴェンはやってのけたのである。このため1824年に作曲されてから180年以上たった今でも、「変な交響曲だ」と言う人がいるくらい、ベートーヴェンは、当時としてとっても革新的な作曲家であったのである。

 しかし、この「第九」は、突然生まれたものではない。ちゃんと伏線ともいえる曲は存在していたのである。その中での最大な曲が「ミサ・ソレムニス(荘厳ミサ曲)」である。この曲は、宗教曲の衣は纏ってはいるものの教会での演奏は想定されておらず、あくまで演奏会用の曲なのである。だから、この「ミサ・ソレムニス」も言い方を変えれば、「変な宗教曲だ」と言ってもおかしくはない。この「ミサ・ソレムニス」は、ベートーヴェンが人類への平和の祈りを込めて作曲したものであり、宗教曲とは一線を画した「第九」と対を成す曲である。何故、そんな変なことを、ほとんど耳が聞こえなくなったベートーヴェンがやったのか?それは、当時の政局と密接に絡み合っていたからに他ならない。「第九」で採用したシラーの詩「歓喜によせる」の原文は、「歓喜」でなくて実は「自由」であることが指摘されている。つまり、当時の政治は、露骨に「自由」という言葉を使いづらい状況に人々を追い込んでいたのだ。ベートーヴェンは、宗教曲の形式を使ったり、交響曲に合唱曲を潜り込ませることによって、人類の「自由」や「平和」を祈ったのであろう。そして、「第九」の第4楽章の先駆とも言える曲が「合唱幻想曲」(作品80)なのだ。この曲を聴くと誰もが「あれ、これは『第九の第4楽章』そのものではないか」と思う。要するに「第九」は、ベートーヴェンが一瞬の閃きで作曲した曲ではなく、長い長い試行錯誤(実験)から得た、最後の結論だったのである。

 今回のCDである、1951年7月29日にバイロイト祝祭管弦楽団を指揮したベートーヴェン:交響曲第9番「合唱付」のライヴ録音は、フルトヴェングラーが指揮台まで歩く足音が録音された「足音入り」の名盤中の名盤として有名であるのだが、同時にミステリアスな録音でもあるのである。これまで、一般に販売され愛聴されてきたのはEMIなどのいわゆる従来盤である。ところが、2006年になってEMI盤とは異なるバイエルン放送局が録音した版が新たに発見された。鑑定の結果、録音されたのは1951年7月29日と同じ日と判明したのだ。2つの録音を聴き比べてみると、演奏上の微妙な違いがあることが分ってきた。このため「EMI盤は、一部リハーサル録音用が用いられているのでは」といった“疑惑”が持ち上がって来たのだ。さて、真実はどうなのか。今回のCDは、EMI盤と同様、従来盤の一つである仏パテ第2版原盤のCD‐R盤の再発リクエストに応え、音質を改善してオタケン・レコードが発売したもの。このCDの解説によると、「従来盤は編集ではないか?」との疑惑に対し、今回専門家が様々な検討を加えたが、「従来盤は、まず本番に間違いないと推定される。当日、関係者を入れた本番前の通し練習をバイエルン放送曲が放送用に収録し、その後の本番はEMIがレコード用に収録した」と結論付けている。

 第1楽章の出だしは、誠に静かに始まるが、その静けさも直ぐに圧倒的な迫力で覆いつくされる。フルトヴェングラーとオケがあらん限りの力を尽くしてベートーヴェンの心の叫びを代弁するかのようだ。こんな劇的な音楽とはそう滅多には対面できそうにもない。曲の盛り上げは、フルトヴェングラーしか表現できないような、重く厚みのある、胸にぐさりと刺さるような凄みに思わずに息を呑む。全身が凍りつくような緊張感が辺りを包み込む。第2楽章のスケルツォは、激情がほとばしるようであり、辺り一面に飛び散る火花を見ているようでもあり、余りにも壮絶な感情に、ともすると、リスナーの方が負けそうになるくらいだ。そしてようやく平穏な第3楽章に到達して、ここでリスナーとしても一息できる状態となる。しかし、フルトヴェングラーは、単に安らぎだけの曲づくりは決してしない。何か遠くを眺めるような、心の底から湧き出すような信念に身を委ねるかのようでもある。この辺を聴くとフルトヴェングラーの真の凄さを見せられたようで、立ちすくむ思いがする。最後の第4楽章にようやく辿りつく。ここに来るまでに、リスナーはもうへとへとに疲れてしまう。しかし、フルトヴェングラーの本当の凄さは、ここから始まると言ってもいい。独唱の始まるまでの劇的なオケの表現力を聴くと、手に自然に力が入って来てしまう。そして最後のクライマックスの歓喜の大合唱へ向けてのスケールの限りなく大きな盛り上げ方は、他に比べるものがないほどの指揮と言っても決して誇張ではなかろう。(蔵 志津久) 

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◇クラシック音楽◇コンサート情報

2011-03-28 11:25:18 | コンサート情報

 

<コンサート情報>


~イングリット・フジコ・ヘミング ソロピアノリサイタル~
リスト生誕200年を迎えるアニバーサリーイヤーにフジコの「ラ・カンパネラ」が響き渡る

リスト:「ラ・カンパネラ」他

ピアノ:イングリット・フジコ・ヘミング

会場:川口総合文化センター リリア・メインホール

日時:2011年5月30日(月) 午後6時30分

 「・・・フジコさんは、アメリカ同時多発テロの被災者救済資金として1年間のCD売上げを全額寄付、アフガニスタン難民のためのコンサート出演料を投げ出すなど、弱者への温かなサポートを黙々と続けている。その昔、国籍を抹消されて難民扱いで旅立たなければならなかった苦しみや、耳の疾患のためにチャンスをフイにしてしまった悔しさ、貧しさゆえの辛さを知るフジコさんだからこそ、虐げられた者の痛みを自分の痛みとして感じることができるのであろう。・・・」(音楽評論家・萩谷由喜子) 

 

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◇クラシック音楽CD◇リヒテルのベートーヴェン:ディアベリ変奏曲/ピアノソナタ第31番ライヴ盤

2011-03-25 11:27:51 | 器楽曲(ピアノ)

ベートーヴェン:ディアベリ変奏曲
          ピアノソナタ第31番

ピアノ:スヴャトスラフ・リヒテル

CD:PRAgA  PR 254 023

 このCDは、スヴャトスラフ・リヒテル(1915年―1997年)がチェコ・プラハにおいて行ったリサイタルのライヴ録音盤である。ライヴ録音は、聴衆を前にした演奏家の一発勝負みたいな迫力ある演奏を聴くことができるので貴重な録音元ではある。スタジオ録音は、何回も演奏してその中でうまくいったものを編集して完成される。ものによっては継ぎ接ぎだらけの録音が商品化されることだってある。演奏家としては、自分の死後まで半永久的に残る録音なので、何が何でも完全な形で残したいという心理が強く働く結果、そうなるのであろう。ただ、聴いてみて、ライヴ録音に比べ、ほとんどの場合、面白味に欠けるのは、経験から言えることではある。そして、演奏が終わった後の拍手にも多くのドラマが隠されている。日本で行われる演奏会の最後の拍手は、演奏者によってそう変わらない。これは、日本人特有のおもてなしの心の現われだろうと思う。その点、海外での演奏会の終わりの拍手は、その演奏と強く関わる。今回のCDでのリヒテルに対する聴衆の拍手は、実に熱烈であり、当日の演奏会の熱気が伝わって来る。

 ディアベリ変奏曲は1986年5月18日、ピアノソナタ第31番は1965年6月2日に、共にチェコ・プラハで行われたリサイタルでのライヴ録音である。リヒテルのピアノ演奏は、実に男性的であり、聴いていて鋼鉄の鋼を連想するような、スケールの大きい強烈な自己主張に貫かれている。最近では、このような個性溢れるピアニストもヴァイオリニストも、影を消してしまったかのようである。丁度、一昔前にはその辺にごろごろいた頑固親父が、最近では探し出すことすら難しくなったことに似ている。しかし、リヒテルの演奏は、単にヴィルトオーゾ風的な大時代がかった演奏とは無縁だ。強烈な個性の背景には、詩的なロマンの香りにも満ちているとでも言ったらいいのであろうか、豊かな情緒も、そこはかとなく漂ってくる人間味ある演奏内容なのである。リヒテルは、晩年、ヤマハのピアノを愛用しており、来日した折、感謝の気持ちを込めてヤマハの工場で工員を前に演奏したというエピソードが残っている。リヒテルの人間味溢れるいい話だと思い、私は何回もこの話を紹介してしまう。

 ベートーヴェンの主題と32の変奏曲によるディアベリ変奏曲は、1823年に完成された晩年の傑作であるが、そのなりそめの話が面白い。作曲家であり出版業者をしていたアントニオ・ディアベリが、自ら作したの主題を基に、当時の著名な作曲家50人に1人1曲ずつ変奏曲を書いてもらい、それらを集めて曲をつくるという、とんでもない構想が出発点である。ベートーヴェンは当初、その主題のダメさ加減にうんざりして変曲を作曲する意思はなかったようである。それが突如変化して、今では、ベートーヴェンの晩年の傑作まで言われるピアノ曲の作曲に取り掛かったのである。この理由は、定かではないが、ベートーヴェンは、主題がくだらない方が逆に変奏曲を作曲しやすいと踏んだか、当時の出版業者は今以上に力を持っていたことに原因があるのか・・・。原因は後者だとする説がある。今でこそベートーヴェンは“楽聖”に祀り上げられているが、その以前、楽譜の著作権問題で法廷で争ったこともあるし、政治的な動きを盛んに見せたいたこともある、誠に人間味溢れる“普通の男”であったことが分っている。ここでのリヒテルのディアベリ変奏曲の演奏は、そんなベートーヴェンの男くさい、人間味溢れる性格を、リヒテルがベートーヴェンに乗り移って演じるような感じさえする。難聴で悩んだ晩年のベートーヴェンがこんなにもピアノという楽器を自由自在に操るとは、正に驚きであり、リヒテルの演奏があって初めてこの曲の真の姿が現れたとでも言ってもいいほどの名演なのだ。

 これに対し、ベートーヴェンのピアノソナタ第31番は、曲自体がベートーヴェンが最後に到達した音楽的な結論といったものが淡々と語られるような、回顧的な意味合いを多分に持つ晩年のピアノソナタの傑作である。ここでは、ベートーヴェンは“楽聖”と言われるに相応しい、堂々として奥深く、音楽的に絶対的境地に到達したことが、リスナーにも素直に伝わってくる永遠の名曲であることを認識させられる。ここでのリヒテルの演奏は、ディアベリ変奏曲と同じく男性的で誠に力強い演奏を披露するが、一方では、晩年のベートーヴェンが到達した枯淡の境地を淡々と表現もしており、リヒテルというピアニストが持つ底知れぬ表現力の幅の広さに、ただ唖然として聴き惚れてしまうのだ。この辺の演奏は、スタジオ録音では絶対得られない、ライヴ録音ならではの緊張感が最大限まで発揮されている。二度とは演奏できない一発勝負の迫力とは、このことだと素直に実感させられる。私は、ベートーヴェンがピアノ演奏したら、きっとリヒテルのように弾くのではないかと以前から考えていたが、このライヴ録音盤を聴いて、さらにこの念が深まった。(蔵 志津久)

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◇クラシック音楽◇コンサート情報

2011-03-24 11:25:49 | コンサート情報

 

<コンサート情報>


バッハ:イギリス組曲第5番
シューマン(アンデルシェフスキ編):ペダルピアノのための練習曲(6つのカノン風小品)
ショパン:マズルカ
バッハ:イギリス組曲第6番

ピアノ:ピョートル・アンデルシェフスキ

会場:サントリーホール

日時:2011年5月21日(土) 午後7時

 ピアノのピョートル・アンデルシェフスキは、ポーランド人とハンガリー人の両親のもと、ワルシャワに生まれる。世界の名高いホールでのリサイタルを、欧米の名だたるオーケストラとの共演、さらに多くの室内オーケストラに弾き振りで出演するなど、現在世界で最も注目を集めているピアニストの一人。1999年シマノフスキ賞、2001年ロイヤル・フィルハーモニック協会2000年最優秀演奏家賞、2002年ギルモワ・アーティスト・アワードをそれぞれ受賞。

 

 

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◇クラシック音楽◇コンサート情報

2011-03-23 11:23:21 | コンサート情報

 

<コンサート情報>


ショパン:8つのノクターン
     3つのマズルカ
     幻想曲
     幻想ポロネーズ

ピアノ:マリア・ジョアン・ピリス

会場:神奈川県立音楽堂 木のホール

日時:2011年5月7日(土) 午後4時

 ピアノのマリア・ジョアン・ピリス(マリア・ジョアン・ピレッシュ)は、1944年ポルトガル・リスボンで生まれる。1953年から1960年までリスボン大学で作曲・音楽理論などを学ぶ。以後、西ドイツに留学。1970年に、ブリュッセルで開かれたベートーヴェン生誕200周年記念コンクールで優勝。ピリスは、1970年以来、芸術が人生、社会、学校に与える影響の研究に没頭、社会において教育学的な理論をどのように応用させるか、その新しい手法の開発に身を投じてきた。その成果の一つは1999年ポルトガルのベルガイシュでの芸術研究センター設立として結実。また、2005年、“アート・インプレッションズ”という演劇、ダンス、音楽の実験グループを結成した。2009年春の日本ツアーでのショパン・プログラムなどで絶賛を博す。

 

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◇クラシック音楽CD◇ギレリス&ライナー指揮シカゴ交響楽団のチャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番

2011-03-22 11:25:23 | 協奏曲(ピアノ)

チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番

ピアノ:エミール・ギレリス

指揮:フリッツ・ライナー

管弦楽:シカゴ交響楽団

CD:IMD MUSIC DISTRIBUTING  ANDRCD 5100/3

 ロシア(旧ソ連)の生んだ名ピアニストのエミール・ギレリス(1916年―1985年)は、チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番を数多く録音している。「私のクラシック音楽館」でもこれまで、1971年にムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィル(現サンクトペテルブルグ・フィルハーモニー交響楽団)と録音した盤、1979年にメータ指揮ニューヨーク・フィルと録音した盤の2つを既に紹介済みである。今回のCDは、1955年10月29日にライナー指揮シカゴ交響楽団と録音した盤なのである。結論から言えることは、これまでの録音より20年ほど前に録音されたためか、ギレリスの実に若々しいピアノ演奏が聴かれ、これはこれでチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番の名盤と言えるものになっており、数多くある同曲の録音の中でも、今後も生き続ける価値のある1枚と言える。指揮のフリッツ・ライナーもこのときばかりは、いつもの強烈な個性でシカゴ響を引っ張っていくこともなく、ギレリスとの優雅な対話を楽しむがごとき指揮ぶりを見せており、聴いていて十分に楽しめる。

 旧ソ連は、芸術家が西側で自由に活動しずらい体制であったにもかかわらず、ギレリスだけは、西側での活動が自由に認められというから、その実力のほどが偲ばれる。1929年に13歳でデビューし、1930年にオデッサ音楽院へ入学。1933年、17歳で全ソ連ピアノコンクール優勝。オデッサ音楽院を卒業後、1937年まで有名なゲンリフ・ネイガウスに師事した。1938年、22歳でイザイ国際コンクール優勝している。以後、ヨーロッパ、アメリカでもデビューを果たし、当時、世界的な名声を得て、その強烈なピアノタッチから“鋼鉄のタッチのピアニスト”と呼ばれた。日本でも演奏活動を行っている。ソ連政府からは、1946年にスターリン賞、1961年と1966年にはレーニン勲章、1962年にはレーニン賞を受賞したとあるから、当時のソ連政府からも信頼が厚かったことが裏付けられる。現在NHK交響楽団の桂冠指揮者のウラジミール・アシュケナージなどは、亡命してようやく西側での演奏活動を続けられたのだった。ギレリスのようなケースは、当時そう多くはなかった。それほど、当時の東西の双方から支持された豊かな能力を持ち合わせていたということであろう。

 早速、エミール・ギレリスの弾くチャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番を、フリッツ・ライナー指揮シカゴ交響楽団の演奏で聴いてみよう。第1楽章の有名な出だしのフレーズからして、実に軽快にギレリスのピアノ演奏が始まる。当時ギレリスは35歳であり、ピアニストとしてこれから成熟を迎えようとしている時期なのだ。ここには“鋼鉄のタッチのピアニスト”と呼ばれた面影は、あまり強くは感じられない。むしろ、ナイーブな感じが強く、微妙なピアノのタッチが鮮やかな色彩感がリスナーを優しく包んでくれる。そんなギレリスの演奏スタイルを意識してか、いつもは、“豪腕”で鳴るライナーもここではとても優雅なピアノ伴奏に徹している。この辺を聴くと、当時のギレリスの力というものを無言で感じる。「ギレリス、ライナーをも走らす」とでも言ったところか・・・。ただ、時折ギレリスが見せる鋭く、スケールの大きなピアニズムは、後年の演奏振りを彷彿とさせる。ただ、ここではギレリスが洗練されたチャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番を披露しているのにはびっくりさせられる。この辺が当時、東西双方の音楽界から支持を受けた秘密がありそうな気がする。それにしても、ここでギレリスは、何と優雅なチャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番聴かせてくれるのであろうか。思わずうっとりと聴きほれてしまうほどの乗りなのである。

 第2楽章は、第1楽章の続きというより、さらに繊細さが増したギレリスのピアノが一際光る。ライナー&シカゴ響もギレリスに合わせるように幻想的ともいえる見事な伴奏を聴かせてくれる。この楽章でのピアニストとオーケストラのやり取りは、これまで聴いたことのないような世界へとリスナーを自然に誘う。もう、こうなるとロシアの民族色といった匂いは、ほとんど感じられない。良くも悪くもグローバル化されたチャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番の演奏とでも言ったらいいのかもしれない。第3楽章に入ると、ようやくお待ちどう様とも言いたげに、ギレリスのピアノ演奏が炸裂し、それに呼応するかのようにライナー&シカゴ響が従来の持ち味を発揮してギレリスのピアノ演奏を盛り上げる。この辺の演奏を聴くと、名人同士の横綱相撲とでも言ったらよいような醍醐味に酔うことができる。そして最後に来て、このチャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番の演奏は、ギレリスとライナー&シカゴ響の計算し尽くされた演奏だったのとに気づく。しかし、それはごく自然に聴こえるため、リスナーは少しの違和感も抱くことはない。やはりこの録音は、名人同士の考え抜かれた、レベルの一段と高い演奏だったのだ、ということを強く思い知らされた。(蔵 志津久)

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◇クラシック音楽◇コンサート情報

2011-03-21 11:30:33 | コンサート情報

 

<コンサート情報>


ドビュッシー:ヴァイオリンソナタ
メンデルスゾーン:ヴァイオリンソナタ
モーツァルト:ヴァイオリンソナタ第40番
サラサーテ:カルメン幻想曲

ヴァイオリン:アンネ=ゾフィー・ムター

ピアノ:ランバート・オルキス

会場:東京文化会館

日時:2011年5月9日(月) 午後7時

 ヴァイオリン:アンネ=ゾフィー・ムターは、1963年ドイツ・バーデン生まれ。ヴァイオリンをヘンリク・シェリングに師事する。早くから受賞歴を重ね、音楽に13歳でヘルベルト・フォン・カラヤンに招かれ、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団と共演、国際的にその名を知られることになる。1977年には、ザルツブルク音楽祭にもデビューを果たす。1980年には米国デビューするなど、現在では“ヴァイオリンの女王”の愛称で親しまれている。今年は日本ビューから30周年。今春のブラームスのヴァイオリンソナタ全集の名演から一転して、今回は、ドビュッシー、メンデルスゾーン、モーツァルトのソナタとサラサーテの「カルメン幻想曲」を演奏する。絶頂期を迎えている名手の多彩な表現と名人芸を味わえる絶好のプログラムと言える。

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◇クラシック音楽CD◇スークのヴァイオリン名曲集

2011-03-18 11:25:11 | 室内楽曲(ヴァイオリン)

タイスの瞑想曲(マスネ)
ベートーヴェンの主題によるロンディーノ(クライスラー)
テンポ・ディ・メヌエット(プシャーニ)
月の光(ドビュッシー)
ハバネラ(ラヴェル)
夢のあとに(フォーレ)
シチリア舞曲(パラディス)
精霊の踊り(グルック)
スペインの歌(ニン)
スペイン民謡組曲(ファリャ)
愛の悲しみ(クライスラー)
協奏曲 ト長調~グラーヴェ(ベンダ)
古い歌(クベリーク)
エレジー・ワルツ(ヴェチュトモフ)
夕べのムード(スーク)
子守唄(スーク)
インテルメッツオ(シューマン)
優勝の歌(朝はバラ色に輝き)(ワーグナー)
即興曲 作品90の3(シューベルト)
歌劇(3つのオレンジへの恋)~行進曲(プロコフィエフ)

ヴァイオリン:ヨゼフ・スーク

ピアノ:ヨゼフ・ハーラ

CD:日本コロムビア(SUPRAPHON) COCO‐73208

 チェコ出身の名ヴァイオリニストのヨゼフ・スーク(1929年生まれ)は、チェコの大作曲家ドヴォルザークの曾孫に当るという。そんな毛並みの良いヴァイオリニストであることは、一度その演奏を聴いてみれば納得できる。何と伸び伸びとして決して力むこともなく、しかも妙に持って回ったような演出は決してない。ただ、一直線に音楽の生まれる方向へと我々リスナーを誘ってくれる。しかし、その奏でるヴァイオリンは、単調とは無縁の存在だ。その演奏の背景には物語が隠されているかのような面白味が常に存在するのだ。そんなヨゼフ・スークは私にとって、あらゆるヴァイオリニストの中で、灯台のような存在のヴァイオリニストなのだ。スークのヴァイオリンの音を聴くと何かほっとする。安心感が自然に湧き出し、それが自然に外の世界へ向い同心円を描くように広がって行く。演奏家、つまり再現芸術家は、通常どうしても自己主張を強調し過ぎるきらいがある。しかし、スークのヴァイオリンは、その世界とは無縁だ。演奏それ自体に、存在感を感じさせることができるヴァイオリニストがスークなのである。

 そんな、スークが愛すべき小品集を演奏したのが今回のCDである。このCDに収録されている3分の2程は多くのリスナーが御馴染みの曲なので、誰にでも楽しめることこの上ない。第1曲のマスネの名曲である「タイスの瞑想曲」を聴いてみよう。ゆっくりとした出だしで始まり、実に安定した弾きぶりは、リスナーが心置きなく、この名曲を聴くのにこの上ない環境をつくり出してくれる。特に高音に向かう曲の盛り上げの何とうまいこと・・・。思わず聴き惚れてしまう。次の御馴染みクライスラーの「ベートーヴェンの主題によるロンディーノ」を弾くスークのヴァイオリンは、肩の力を抜き、小粋な雰囲気を辺り一面に漂わす。さらに、プシャーニの「テンポ・ディ・メヌエット」は、いかにも楽しげな曲想をスークは、物語を語るようになヴァイオリン演奏を披露して、聴いていて決して飽きることがない。この辺の隠れた演出力は図抜けたものをスークは生来持っている。やはり、毛並みが違うなぁ~と思ってしまう。ドビュッシーの「月の光」は、ピアノ曲で有名だが、スークは、実に丁寧に弾き、ドビュッシーの世界を再現してくれる。

 ラヴェルの「ハバネラ」は、異国情緒漂う愛すべき小品であるあるが、ここでもスークの自然な技が光る。まったく演出を感じさせずにラヴェル特有の世界へとリスナーを誘う。フォーレの「夢のあとに」を弾くスークは、このCD中で一番の名演を披露する。ヴァイオリン特有の鮮やかな音色を最大限に聴かせると同時に、文字通り夢の中にいるような神秘の世界の表現にも、キラリとした感性を盛り込んでいる。スークのヴァイオリン演奏には、無駄がない。だからと言ってぶっきら棒でもない。中庸を得た演奏なのである。そんなスークの長所を遺憾なく発揮した演奏がフォーレの「夢のあとに」なのである。次のパラディスの「シチリア舞曲」となるとピンとこないリスナーもいるかもしれないが、一度聴くと忘れられない懐かしさが込み上げてくる名品なのだ。このCDの中での演奏中、フォーレの「夢のあとに」に次ぐ名演を聴かせてくれる。スークにこんな懐かしさに溢れた小品を弾かせたら、他に比肩するものがいないといっても決して言いすぎではない。グルックの「聖霊の踊り」は、実にシックに弾きこなしているところがまたいい。

 クライスラーの音楽は、いずれの曲もヴァイオリンの持ち味を最大限に発揮させており、聴いていて無条件に楽しいが、私は、そんなクライスラーの曲の中でも「愛の悲しみ」は飛びっきり好きである。これまで何人ものヴァイオリニストの演奏を聴いてきたので、そう簡単にいい演奏だとは、言わないのであるが、このスークの「愛の悲しみ」は、これまで聴いた中でも飛びぬけていい。表面的な演奏ではなく、心の中から自然に溢れ出す感情が素直に表現されている。それだけに一層悲しさが身に沁みる「愛の悲しみ」なのである。激しい悲しさでなく、静かな悲しみがひしひしと伝わってくる。次のベンダの「協奏曲 ト長調~グラーヴェ」は、あまり御馴染みではない曲ではあるものの、聴いてみると、その雰囲気に思わずうっとりと聞き惚れてしまうほど素晴らしい曲なのだ。このCDの中で一番の聴きものの一曲とっていいかもしれない。クベリークの「古い歌」、ヴェチュトモフの「エレジー・ワルツ」、スーク自作の「夕べのムード」と「子守唄」は、いずれもチェコの民族的な優しさと懐かしさに溢れた名品揃いで、無条件に聴き惚れてしまう。スークのヴァイオリン演奏は、実に自然にリスナーを豊かな音楽の世界へと誘ってくれる。それに較べ現在のヴァイオリニストの多くは、余りにも演出過剰だと感じるのは、私だけかもしれない。(蔵 志津久)

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◇クラシック音楽◇コンサート情報

2011-03-17 11:26:56 | コンサート情報

 

<コンサート情報>


モーツァルト:交響曲第38番「プラハ」
ヤナーチェク:狂詩曲「タラスブーリバ」
スメタナ:連作交響詩「わが祖国」から「モルダウ」
ヤナーチェク:シンフォニエッタ

指揮:シルヴァン・カンブルラン

管弦楽:読売日本交響楽団

会場:東京オペラシティコンサートホール

日時:2011年4月23日(土) 午後6時

 指揮のシルヴァン・カンブルランは、1948年フランス、アミアン生まれ。ベルギー王立モネ劇場、フランクフルト歌劇場の音楽監督を歴任。現在、バーデンバーデン&フライブルグSWR(南西ドイツ放送)交響楽団およびクラングフォーラム・ウィーンの首席客演指揮者を務める。2010年4月からは読売日響常任指揮者に就任した。さらに、2012年からはシュトゥットガルト歌劇場の音楽総監督に就任することになっている。色彩豊かでドラマティックな音楽で聴衆を引き付けている。

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