~ワーグナー:管弦楽作品集~
ワーグナー:歌劇「タンホイザー」 序曲とバッカナーレ(ヴェーヌスベルクの音楽)
:楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」第1幕への前奏曲
:歌劇「ローエングリン」第3幕への前奏曲
:歌劇「さまよえるオランダ人」序曲
:楽劇「ヴァルキューレ」から ヴァルキューレの騎行
: 楽劇「トリスタンとイゾルデ」前奏曲と愛の死
指揮:ジェイムズ・レヴァイン
管弦楽:メトロポリタン・オーケストラ
CD:ユニバーサル ミュージック UCCG‐50053
ベートーヴェン死後、ワーグナーほどクラシック音楽界のそのもののあり方に、大きな影響力を及ぼした音楽家は稀であろう。ワーグナーは作曲家としてより以前は、指揮者としての活動に重点が置かれていた。特にベートーヴェンの第9交響曲に対する思い入れは凄まじく、何とか演奏される機会を増やそうと日夜奮闘努力したようだ。もともと、ワーグナーは、ウェーバーの後継者としてオペラ作家曲者として位置づけられるが、ベートーヴェンの第9交響曲のように、独唱と合唱付きの交響曲には目がなかったというのが本当のところだろう。その指揮ぶりは、ベートーヴェン作品を演奏する時でもかなりロマン派に近い解釈で指揮したようで、主観主義に傾倒した指揮には、支持者も多くいた。一方では、主観主義を排除してあくまで楽譜に忠実に指揮するメンデルスゾーン支持者との間で、軋轢が生じるほどであったという。
ワーグナーは、オペラ作曲家としては、歌劇をさらに劇的にまで高揚させ、楽劇というジャンルを創造するなど、常に革新的な作曲者として名を馳せた。つまり、ワーグナーの音楽には、常に劇的な側面が圧倒的な比重を占めたいたわけである。これに対し、ブラームスは、人間に一人一人の心の内に秘められた心情を曲として表現し、人間の苦悩や抒情などを表現する作曲家として、リーダー的存在になっていた。ここで、現在でも知られるワーグナー派対ブラームス派の対立という構図を生むことになる。ただ、冷静に考えてみれば、両派は、もともと水と油のような関係で折り合う訳もないことが察しられる。このようにワーグナーは、指揮者としてはメンデルスゾーン派と対立し、作曲者としては、ブラームス派と対立するなど、常にクラシック音楽界に対し、波風を立てていた張本人であったことは確かだ。それだけ、内包した音楽的な理想像は高く、他に威圧感を感じさせるのに充分すぎる存在であり、今でも熱烈な支持者に囲まれている。
ワーグナーは、純音楽的以外にもその才能を開花させた。自作の歌劇や楽劇を演奏するコンサートホール自体を新設してしまったのである。それがドイツ南部のバイエルン州の小都市バイロイトにあり、毎年7月下旬から8月下旬に開催されるバイロイト音楽祭のワーグナー作品専用コンサートホールである。古今の音楽史上、自作の作品のためだけにコンサートホールを新設したのはワグナー以外にいなかっただろうし、これからも出てこないであろう。このバイロイト音楽祭で演奏するのは、ドイツ各地から選抜された特別編成のオーケストラ。このメンバーに選ばれること自体大変な名誉となっている。さらに、チケットの販売枠5000枚強に対して、全世界から毎年40万件強の申し込みがあるというから、聴けるだけでも名誉なこととなる。バイロイト音楽祭を生で聴くには最低でも8年間は必要とさえ言われているほど。ワーグナーの作品の多くが神話に基づこともあり、第2次世界大戦中はナチの国家意識の高揚に利用されたこともある。一方では、その根源とする思想は、現代にも通じるところがあり、新解釈の演出が毎年なされ、その出来栄えでは顰蹙を買うことも少なからずあるのである。その意味では、ワーグナーは、今でも騒動を巻き起こし続けているとも言えるかもしれない。
このCDは、そんなワーグナーの歌劇、楽劇で演奏される序曲、前奏曲を中心に、管弦楽で演奏される曲だけをピックアップしてある。独唱、合唱が入らないワーグナー演奏なんてつまらないと思うのは早計だ。ここで取り上げられている管弦楽作品は、ワーグナー作品のエキスともいえるものであり、これらの曲からワーグナーの歌劇、楽劇の全体を想像してみるのも、クラシック音楽の一つの鑑賞方法であろう。ワーグナーの歌劇や楽劇は「一眠りして、起きて聴いても前と変わらない音楽が鳴っていた」という笑い話があるほどに長大な作品である。そうならば、時間に追われている現代人には、このCDのようなワーグナーのエキスが凝縮された録音を聴くのが早道だ。何よりもここでの、アメリカ人指揮者レヴァイン(1943年生まれ)の演奏が素晴らしい。通常、我々がワーグナー作品の演奏で思い浮かべるのが、やたらと大音響で、おどろおどろしいものだ。レヴァインはその逆手でも取るように。ゆっくりと曲の細部が聴き取れるほどの繊細さでワーグナー作品を振っている。しかも、決して雄大さを損ねないで演奏しているところが凄い。レヴァインは、1973年からメトロポリタン歌劇場の芸術監督を務め、長年にわたりオペラ演奏を熟知していることを、このCDから充分に聴き取ることができる。(蔵 志津久)