元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「ウォール・ストリート」

2011-02-14 06:27:11 | 映画の感想(あ行)

 (原題:WALL STREET MONEY NEVER SLEEPS)87年に撮られた前作「ウォール街」と比べると、インパクトが弱い。それは“敵”の存在が曖昧であるからだ。おそらくは“敵とは何か”ということを作者自身も分かっていないのではないか。それだけ状況の見極めが難しい時代になったとも言える。

 前作の首魁であったマイケル・ダグラス扮するカリスマ投資家ゲッコー・ゴードンが刑期を終えて出所するところから始まるが、前科者になってもタダでは起きない彼は、バブル期の裏側を描いた書物を著してヒットさせ、第一線に復帰する。ただ以前と状況が違うのは、無謀な投資の担い手がゲッコーのような一部の“相場師”に限定されていた昔と違い、今は幅広く時にはそれがリスクの高い行為だとも知らずに、誰もが投資もどきの片棒を担がされているという点だ。

 今回ゲッコーと対峙するのは、彼の娘の婚約者である投資銀行の従業員ジェイコブだ。ジェイコブは、次世代の成長産業と見込んだ新エネルギーの開発元への投資者を募るために奔走している。大口顧客の経営者が阿漕なハゲタカどもの餌食になって自殺に追い込まれたりもするが、かえってこの仕事への使命感は高まる一方だ。

 しかし、その新エネルギー事業にしても、バブルの一種であることに彼は気付いていない。民主党支持のオリヴァー・ストーン監督にすれば、オバマ大統領が提唱していたグリーン・ニューディール政策への思い入れは強いのだと思うが、経済原則から言えばああいうのは徒花に過ぎない。

 成功するかどうか分からず、たとえ上手くいっても採算に乗るかどうも未知数で、さらにそのサービスを“消費”する需要サイドへの配慮はまったくない。百歩譲って事業が大々的に採用されたとしても、その需要が他の既存の需要を横に押しやる形でしか存在できないのならば(その可能性は高い)、マクロ面では何も変わらない。要するにサプライサイド一辺倒のスキームでは早々に行き詰まってしまうのだ。

 かつてのエゲツないバブル商法が、今では“新エネルギー”などの口当たりの良い響きを伴って提示されてくる。事態は何も変わっていない。ゲッコーはそれを理解しているのかもしれないが、映画の中では昔のパターンから一歩も抜け出ていないように見える。

 深く突っ込めないまま中盤以降は“親子の情愛”なんぞを絡めた作劇になってくるあたり、何ともやりきれない。大向こうを唸らせようとして、結局上手くいかなかったような感じで、マイケル・ムーアの諸作のようにネタを限定して一点突破を図るような方法には完全に遅れを取っている。

 ジェイコブ役のシャイア・ラブーフとその恋人のキャリー・マリガンは、M・ダグラスと張り合うには線が細すぎる。ストーン監督は今回映像ギミックも使いすぎで、これもあまり愉快になれない。ただ、前作の“あの人”がチラッと登場するあたりは御愛敬だ。彼も今はパッとしないが、大丈夫なのだろうか。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「ジャック・サマースビー」 | トップ | 「ロード・トゥ・パーディシ... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

映画の感想(あ行)」カテゴリの最新記事