中国の習近平国家主席が、米国トランプ大統領との首脳会談で「韓国は実際中国の一部だった」と発言したというニュースが流れ、韓国が大騒ぎになっています。
習氏がどの時代のことを念頭に発言したのか、いろんな憶測が飛び交っています。
漢の時代に漢四郡が置かれていたときのことか、三国時代の高句麗が中国の少数民族だったということなのか、元が高麗を占領したときのことなのか…。
そんなに古い時代のことではなく、清朝時代の冊封体制のことを言っているのではないかと思います。
これまで、清が朝鮮の宗主国であって、日清戦争後の下関条約で朝鮮が清から独立したという歴史的事実は、韓国の教科書には載っておらず、ひた隠しにされていました(リンク)。
今回、習主席の問題発言を報じたニュースの中に、この経緯について触れたものがありました。朝鮮日報の記事です(1、2)。
三国時代以降19世紀末まで、韓中関係は東アジアの朝貢・冊封秩序の中で進展してきた。中国周辺の国々が中国の皇帝から冊封を受けて貢ぎ物をささげれば、中国側が答礼の品を贈るという互恵関係は、中国および周辺諸国の王朝交代に関係なく続いた。中国は、朝貢冊封秩序とは宗主国と服属国の支配・隷属関係だったと主張する。しかし実際には儀礼的・経済的な性格が強く、周辺諸国は内治と外交の自律性を保証されていた-というのが、世界の学界における通説だ。
中国王朝の浮沈に伴って具体的な実情も変化していた韓中関係は、19世紀後半に東アジアが西洋列強の侵略を受ける中で変質した。1876年の江華島条約以降、日本や西欧列強が朝鮮にアプローチしてきたことを受け、中国は朝鮮に対する形式的な宗主権を実質的な支配権に転換しようとした。1882年の壬午(じんご)軍乱と1884年の甲申政変の後、朝鮮の「監国」として赴任した袁世凱は、10年間にわたって朝鮮の内政と外交を思いのままもてあそんだ。中国の政治家や知識人は、朝鮮を中華帝国の一部にしようとする構想まで打ち出した。辛亥(しんがい)革命に参加していた章炳麟は、文化的に異質な新疆・チベット・モンゴル・満州を独立させる代わりに、外交・文明を共有した朝鮮・ベトナム・琉球を編入して「大中国」をつくろうと主張した。
1894年の日清戦争の結果として、朝鮮は中国の手中から脱した。1895年4月に締結された下関条約は「清は朝鮮が完全な自主独立国であることを認める」とうたった。韓中間の伝統的な朝貢・冊封体制は廃止され、両国は1899年9月に韓清通商条約を締結して対等な近代的外交関係を結んだ。
下関条約の中に、「清は朝鮮が完全な自主独立国であることを認める」という条項があったことをこのようにはっきり書くことは、韓国において大変珍しいことです。
たとえば日本のウィキペディアで、下関条約を見ると(リンク)、第一条は、
清国は朝鮮国が完全無欠なる独立自主の国であることを確認し、独立自主を損害するような朝鮮国から清国に対する貢・献上・典礼等は永遠に廃止する。
となっている。一方、韓国のウィキペディアの下関条約では次の通り(リンク)。
清国は朝鮮から宗主権を永久に放棄し、朝鮮の完全な解放を承認する。
となっていて、「独立」という言葉が「解放」にすり替えられています。これは、下関条約以前は朝鮮が独立国でなかったことを隠したいためです。
うっかり筆を滑らせてこの記事を書いてしまった記者は、あとで譴責されるのではないでしょうか。
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