犬鍋のヨロマル漫談

ヨロマルとは韓国語で諸言語の意。日本語、韓国語、英語、ロシア語などの言葉と酒・食・歴史にまつわるエッセー。

米国下院の慰安婦証言

2007-02-18 00:44:45 | 慰安婦問題

 例のホンダ議員のお膳立てで,米国下院において3人の「従軍慰安婦」が証言したそうです(→記事)。

米下院〈日本軍慰安婦聴聞会〉
「20C最大の人身売買… 日謝罪を」

金君子,李容洙,オヘルンおばあさん出席
日帝の蛮行,一つ一つ告発…補償促す

 アメリカ下院外交委アジア太平洋環境小委は15日午後,下院レイバンビルディングで第二次世界大戦当時,日本軍の慰安婦に強制動員されたおばあさんたちが出席するなか,聴聞会を開催した。

 この日の聴聞会には,韓国人の金君子さん(80),李容洙さん(79),オランダ人のヤーンラフオヘルンさん(85)の3人と,今回決議案を提出した民主党のマイク・ホンダ下院議員,ソ・オクジャワシントン軍隊慰安婦対策協議会長,ミンディ・コトゥラーアジア政策ポイント所長などが証言に立った。

 10代半ばで軍隊慰安婦として連れて行かれ,日本軍の性奴隷にならなければならなかった,これらのおばあさんたちは,想像することさえ嫌な痛恨の慰安婦生活を,一つ一つ告発し,日本政府の公式謝罪と補償,アメリカの協力などを促した。

 米議会で軍隊慰安婦聴聞会の開かれたのは今回が初めてであり,過去,戦後のアメリカの軍事裁判でできなかったことを,米議会が今になってやっと道を開いたという次元で,少なからぬ意味をもつ。

 今回の聴聞会は,日系アメリカ人ホンダ議員が最近,慰安婦に対する日本政府の謝罪などを促す決議案を下院に提出したのにともなうもので,第二次大戦当時日本政府が軍隊慰安婦を強制的に徴集した実態を米議会に告発し,これを争点化することで,今後の軍隊慰安婦決議案処理に肯定的に働く見込みだ。

 マイク・ホンダ議員など民主党議員5人と,クリストファースミス議員など共和党議員2人は,先月31日,日本軍性奴隷は日本政府が行った20世紀最大の人身売買事件であり,集団強姦,強制堕胎,精神的侮辱,性的虐待などにより,身体的障害,虐殺または自殺を含む,前例のない残忍で重大な事件だとする日本軍「慰安婦」問題決議案(H. Res 121)を提出した。

 決議案は特に▲日本政府側に日本軍「慰安婦」の存在を公式に認め謝罪すること▲日本の首相が首相の資格で公式謝罪すること▲日本政府による「慰安婦」の存在を拒否したり美化しようとする主張を,公開の場で反駁すること▲国際社会の勧告に従い,現在と未来の世代に教育することを勧告した。

 これに先立ち,日本軍の「慰安婦」決議案は,昨年4月米下院に提出され,9月下院国際関係委で満場一致で通過したが,日本側の強力なロビーに押され,12月米下院109代の会期終了とともに,本会議に上程されることなく廃棄された。

 日本側は,今回も軍隊慰安婦決議案通過を阻止するため,トーマス・ポーリ前下院議長など政治的影響力が大きいロビイストを雇用,必死なロビー活動を行っている。現在,韓国の日本軍「慰安婦」被害者は123人が生存している。

ワシントン=ハン・ヨンゴル特派員
2007216

 次は中央日報(→記事)。慰安婦の証言部分を取り出すと…。

李容洙さん
「1944年の16歳の時に台湾に慰安婦として連行され、3年間にわたり日本軍に性的にもてあそばれた」
「2階建ての日本風の慰安所で一日平均4、5人の日本軍に強姦され、粥で生き延び、何かあるとすぐに暴行されるなど、犬や豚よりもひどい生活をした」
「性行為を拒否して電気拷問を受け、韓国語を話す度にひどく殴られた」
「終戦後に家に帰ると、母は死んだ娘が霊になって現れたと言い、父は鬱火病で中風になり、その年に亡くなった」
「日本政府は謝罪したと主張するが、一度も謝罪を受けたことはない。 世界の性的暴行を根絶するためにも日本は必ず謝罪しなければならない」

金君子さん
(16歳だった42年に中国に連行された)
「慰安所で一日平均20人、多い時は40人の日本軍を相手にする地獄のような生活を送った」
「日本軍は小さな刃物で私の体を少しずつ切りつけ、服を激しく破り、コンドームも使わず跳びかかってきた」
「いっそのこと死んでしまおうと思って何度も自殺を図ったが、日本軍が見張っていてそういう機会もなかった」
「45年8月の終戦で日本人が出て行けと言ったので、同僚8人と畑の白菜を取って食べ、1カ月以上も歩いて家に帰った」
「慰安所に到着した初日、抵抗して殴られ、左耳の鼓膜が破れた。体にも多くの傷が残っている」

オハーンさん
「日本軍は私の青春を無惨に踏みにじり、すべてのものを奪っていった」
(19歳だった42年、日本軍がインドネシアを占領した後、収容所に入れられた)
「その日の夜、日本式の花の名前が入った名前を付けられ、髪が薄い日本軍将校が待つ部屋に連れて行かれた。 彼は刀を抜いて殺すと脅した後、服を破り、最も残忍に私を強姦した。 その夜は何度強姦されたか分からない」
「一緒に連行なれたオランダ人少女らと3年半、毎日こうした蛮行にあい、飢えて苦しみ、獣のような生活をした」
「日本は95年にアジア慰安婦財団を作って私的な補償をしたというが、これは慰安婦に対する侮辱」
「日本は政府レベルで残虐行為を認め、行動で謝罪を立証しなければならず、後世に正しい歴史を教えなければならない」
「日本人は私たちが死ぬのを待っているが、私は死なない」

(2月16日中央日報)

 このほか,主要紙が軒並み社説にとりあげるなどして,韓国言論ではかなり大きく取り上げています。


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 米下院慰安婦証言~検証編① | トップ | ソッラル(正月)の言語学 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

慰安婦問題」カテゴリの最新記事