犬鍋のヨロマル漫談

ヨロマルとは韓国語で諸言語の意。日本語、韓国語、英語、ロシア語などの言葉と酒・食・歴史にまつわるエッセー。

原発決死隊

2011-03-20 08:37:19 | 日々の暮らし(帰任以後、~2015.4)

 朝鮮日報にこんな記事が出ました。

【萬物相】原発決死隊3月19日朝鮮日報

 米国ニューヨークの消防隊員ランディ・ウィビケさんが今月2日、死亡した。多発性骨髄腫を患い、3年以上にわたる闘病生活を続けてきた同氏の命を奪ったのは、血液のがんだった。同氏は、ニューヨークのワールドトレードセンターが2001年9月11日の米同時多発テロ事件で崩壊した際、その火柱のようなビルに飛び込んでいった消防隊員の1人だ。米CNN放送は「ウィビケさんは当時、有毒性のほこりを大量に吸い込んだことが原因で死に至った」と報じた。

 ウィビケさんの妻は言う。「ランディは常に『消防隊員は何をすべきか』を考えていました。彼は燃えさかるビルの中に飛び込んでいったのです。美しい生涯でした」。米職業環境医学ジャーナル(JOEM)は09年の報告書で、米同時多発テロ時に「グラウンド・ゼロ」(ワールドトレードセンター跡)で救助活動に当たった後にがんで死亡した消防隊員の数が数百人に上ることを明らかにしている。

 一昨日、福島第一原子力発電所に東京電力の社員180人、自衛隊員200人、警察官約20人が投入された。放射線累積被ばく量の総量限度が上限250ミリシーベルトに引き上げられたことを受け、彼らは力尽きて倒れ込む同僚を目にしながらも、冷却水のホースを手に5-15分ずつ交代で原子炉に近付き、必死で放水作業に当たっている。鉛のチョッキの上に「タイベック」という全身防護服を身に着けているが、後に白血病・リンパ腫・血液がん・甲状腺がんになる危険性が高いとされる。1986年にチェルノブイリ原子力発電所で事故が起きた当時、復旧作業に携わった人のうち28人が3カ月以内に死亡した。

 第2次世界大戦末期、戦闘機に爆弾を積み込んで連合軍艦隊に突撃したという「神風特攻隊」や「侍精神」を思い浮かべる人もいるだろうが、それとは大きく違う。映画『俺は、君のためにこそ死ににいく』(07年)や、手記をまとめた書籍『学徒兵の精神誌』(06年)によると、ためらう神風特攻隊員を地上要員が戦闘機の中に無理やり押し込めることもあったという。座り込み、声を上げて泣く隊員もいたとのことだ。

 だが、福島原発「決死隊」は全員匿名で、自発的に参加しているという。定年退職まであと半年という島根県の電力会社社員(59)も自ら志願した。彼は淡々と「使命感を持って行きたい」と語り、妻は最後になるかもしれない夫の姿を見送りながら「現地の人に安心を与えるために、頑張ってきて」と声をかけたとのことだ。世界のメディアは、こうした人々を「最後の決死隊」「名もなき英雄たち」と呼んでいる。今回の大震災を通じて、われわれは人間の無力さと偉大さを同時に実感している。

 私も今回の事態を前に,神風特攻隊を思い浮かべました。

 記事が言う「ためらう神風特攻隊員を地上要員が戦闘機の中に無理やり押し込める」という事例があったかもしれません。しかし,多くの若者は,米軍による非戦闘員に対する無差別爆撃という戦争犯罪から自分の家族,故郷の人々,そして日本国民の命を守るために,自己犠牲の精神で飛び立ったものだと思います。

 原発の放水活動や復旧作業にあたる人々は,被爆の許容量を考慮して,危険を最低限に抑える配慮の中で作業しているという点で,確実に死が待っていた特攻隊員とは違うでしょう。しかし,その精神において同一であると思います。

 ここで,フランスの小説家であり文化相も務めたアンドレ・マルローの特攻隊員を讃える言葉を引用しておきます。(→リンク)


特別攻撃隊の英霊に捧げる  アンドレ・マルロー

(略)

 「日本は太平洋戦争に敗れはしたが、そのかわり何ものにもかえ難いものを得た。これは、世界のどんな国も真似のできない特別特攻隊である。

 ス夕-リン主義者たちにせよナチ党員たちにせよ、結局は権力を手に入れるための行動であった。日本の特別特攻隊員たちはファナチックだったろうか。断じて違う。彼らには権勢欲とか名誉欲などはかけらもなかった。祖国を憂える貴い熱情があるだけだった。代償を求めない純粋な行為、そこにこそ真の偉大さがあり、逆上と紙一重のファナチズムとは根本的に異質である。人間はいつでも、偉大さへの志向を失ってはならないのだ。

  戦後にフランスの大臣としてはじめて日本を訪れたとき、私はそのことをとくに陛下に申し上げておいた。

  フランスはデカルトを生んだ合理主義の国である。フランス人のなかには、特別特攻隊の出撃機数と戦果を比較して、こんなにすくない撃沈数なのになぜ若いいのちをと、疑問を抱く者もいる。そういう人たちに、私はいつもいってやる。

《母や姉や妻の生命が危険にさらされるとき、自分が殺られると承知で暴漢に立ち向かうのが息子の、弟の、夫の道である。愛する者が殺められるのをだまって見すごせるものだろうか?》

と。私は、祖国と家族を想う一念から恐怖も生への執着もすべてを乗り越えて、いさぎよく敵艦に体当たりをした特別特攻隊員の精神と行為のなかに男の崇高な美学を見るのである」

 太平洋戦争のとき,私の父は埼玉の高射砲隊に属し,東京空襲を終えて中国大陸方面に抜けていくB29を撃墜する任務にあたっていました。しかし,B29は日本陸軍の高射砲の射程距離を上回る高度を飛んで行くため,ほとんど効果がなく,父は歯噛みして悔しがったといいます。それに,もし高射砲で打ち落としたとしても,すでにそのB29は東京で多くの人々を殺す任務を終えたあとのこと。「復讐」にはなっても,「防御」にはなりません。

 神風特攻隊員が課せられた任務は,「防御」です。それも,高射砲陣地というような安全地帯で迎撃するのではなく,死ぬことを前提に航空母艦につっこんでいく。

 父は,戦史記録映像で神風特攻隊が相手の軍用艦につっこみ,任務を果たせずに空しく撃墜される場面を見るたびに,うつむいて無言で涙を流していました。


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