トトヤンの家庭菜園

小旅行、読書、テレビ番組、家庭菜園のブログです。

聖徳太子考・その3

2019-01-31 14:01:15 | 携帯小説


仏滅後二千二百二十余年が間、迦葉・阿難等、馬鳴・竜樹等、
 南岳・天台等、妙楽・伝教等だにもいまだひろめ給はぬ法華経の肝心
 諸仏の眼目たる妙法蓮華経の五字、末法の始めに一閻浮提に
 ひろめまいらせ給ふべき瑞相に日蓮さきがけしたり。
 わたうども二陣三陣つづきて、迦葉・阿難にも勝れ、天台・伝教にもこえよかし。
 わづかの小島のぬしらがをどさんを、
 をぢては閻魔王のせめをばいかんがすべき。
 仏の御使いひとなのりながら、をくせんは無下の人々なりと申しふくめぬ

わづかの小島のぬしらがをどさんを、〉と、命を狙われる立場にあって、

ときの為政者をわずかの小島の主がと呼ぶあたり、その雄大な鳥瞰視的な

抵抗姿勢。


その他、公にされたという、「立正安国論」



〈 汝(なんじ) 須く(すべからず)一身の安堵(いっしんのあんど)を思わば 先ず(まず)四表の静謐(しひょうのせいひつ)を祷らん(いのらん)者か〉


近代でいえばユネスコ憲章の精神にも相通ずるような、「人の心の中に平和のとりでを築かなければならない。」という一文。

あなたが自分自身の安泰を願うのなら、まず世の中の平穏(四表=自分の前後左右の方角や周囲、静謐=平穏、平和)を祈ることが必要ではないか。と、



考えれば、クリスチャンの経済学者、矢内原忠雄が戦前に東大総長の座を引き摺り下ろされたときにこの一文に感化されるように、キリスト者が仏教者に畏敬の念を抱いたように、宗旨は異なるとはいえ

日蓮が弟子にあたえられたというお手紙、特に「種々御振舞御書」並びに、「開目抄」という文に着目したというのもうなづけるのだった。


聖徳太子が法華経に着目した時代に視点を移すと、まだ、民主主義とかけ離れた、君主制すら確立されていない時代。




それは官僚制を確立させようという国家の礎つくりの格闘。
一七条憲法の発令。



近代の官僚と

古代史との官僚と引き比べることも想像を逞しくさせていく。

寺社の創建、官僚の育成。晩年の仏典精読と保存作業。

これに、前後して、物部との戦と、その後の内政権力闘争、

一七条憲法のことまで、含めていくと、とても、これだけの沢山の輝かしい功績が

一人で出来たのだろうかという疑念は、

それはあるでしょう。

歴史学のその後の分析もむべなるかなというところも。

多分に後付けという部分も考えられるという反証が

いくつも。

たしかに、晩年の静かなる威厳あるイメージ。

誰しもが受け止める正統性を果敢に確立するための装飾の匂い

業績自体はタイムスパンからいっても、聖徳太子一人のというよりか
国際的緊張のもとで蘇我馬子や推古天皇と協力のもとで

成された業績だろうという見立て。

日本書紀だけの記述にたよることの危険を

唱えられている部分は

うなづけるところではある。

であっても、

法華経への共感とその慕われかたにおいては

遜色のないものと自分には受け取れるのだった。

官僚が古代に比べて

進化したなんて

感じてる人もすくないのでは、

それは確かに、

昭和、平成を顧みて、
一時期、こんな言葉でふりかえる人もいたっけなと。

醜悪な汚職、事件がつづいても、

優秀な官僚がいたから、日本はという。

まあ、一理ないこともないけれど、

政治家は選挙という禊があっても、官僚はどうなのか、

いいも悪いもふるいさえかけられることもなく、ずっと、官僚ではないんかい

民間より短い、それでも、天下りさきが、

天上がりじゃないのと揶揄されるような時もあったっけ。

それに、官僚の不祥事続きの昨今、

それを批判できるほど真っ向、

経済界も政治家もそれほど、きれいでも、優秀でもなさそう。


一時世界を席巻した日本企業も新興国に追い上げられ

ちょっと影が薄くも感じられることも。

その上、重厚長大産業と思われていた、日本経済を引っ張ってきたともいわれるところからの、

不祥事、業績低下。モノづくり王国といわれてきたそのなかでも、

東芝はどうだ。監査法人は、不正会計をのうのうとゆるしていたんだろうね。

白物家電だって当時の勢いはない。

鉄の産業でも、おさめていた先での車両にヒビ。重大インシデント。

命にかかわる危険は深刻の度を深めている。

顧客志向と表明しながら、

財界も、官僚も。

政治家は三流でも

企業家が頑張ってるから安心さ

と言っていた世代は

過去のもの。

身を粉にして普通に、

悪い事せずというか、できなくて、

納めるもの納めて、

投票義務も果たして、

ただ、家族のことを

ぼやくひとに至っては、

それこそ、関心事は、周囲になく、

それこそ、次々と、五感を刺激させてくれる

小市民的な満足に浸っている。

誘惑に事欠かない。

オルテガ・イ・ガセットのいうとおりだ。

スペインの生哲学者、社会学者。

いくら法整備が、文明が、制度が、といっても、

民主主義は永久革命。

上からの民主主義に頼る時代ではない。

これからは、悪なんてなくなりはしないというぐらいに、

どこまでいっても、仏と魔との闘い。

ハッカーが裏をかくように、

法を整えようとしているさきから、法の裏をかいくぐっていこうとするのも人間。

性善説よさようなら。

性悪説もさようなら。

冷厳たる実相を

見つめる他なし。

いにしえの聖徳太子がみつめたように、命を解き明かしたという

法華経の文を

いつぞや見ていた番組で注目してみたのは、

100分で名著シリーズの「法華経」だったなあと。


多分に内村鑑三もそうだけれど、矢内原忠雄も、日蓮の文章から、

自身の時局。

おかれた自身の立場。

促される天の声のように、受け止めた部分も感得できようかと。


左傾化したひとが取り上げるようにいう矢内原像は

クリスチャンのマルキストと言いたいようだ。

そういう人には読んでもらいたい、神国VS神国

それらと、佐藤優の『21世紀の宗教改革』

戦争と知識人の使命・矢内原忠雄は

知識人の顔と預言者の顔

その栄光と悲哀を明かしていますし

後者は、上からの宗教改革ではなくて、下からの宗教改革、

ひいては、それが、世界宗教になる普遍的原理であることを

悲哀感からではなく異なる立場から羨望をもって説いているという感じが。

よくいうリベラリズムを標榜する一部からは同調圧力だ、危険だ。その論調をささえるべく、矢内原忠雄の抵抗を持ってきたりする。

わからないわけでもないんだけれど、


戦争反対、護憲、安保法案反対

共謀法成立反対、いつか来た道をたどるなと、

なると、

自分の受け止めかたは、かなり違います。


おおくの間違った意見は条文もみていないし、国会質疑も聞いていない。



もちろん、丸山真男が述べたような、日本的ファシズムの精神

それへの警鐘、

無責任体質の相貌。

それなどは、わかります。

それだからこそ、責任という意味では、ジャーナリズムの刷新が求められるという

時代状況ではないかとも

報道機関に関わるひとりひとりが、長いものに巻かれている。


編集責任者が左と言えば、もしくは、右といえば、確証もない

事実は事実であろうがそれを、無理につなぎ合わせたような

捏造記事までだして煽り立てている。笑っちゃう。



昔と違って、マスコミ人のステータスはかなり下がってしまっている。残念です。

最終は
つらつらと、書きつらねた内容と関連する画像を

加えておきます。






























 

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聖徳太子考・その2

2019-01-29 22:08:36 | 携帯小説
(政治的な理由によるものはここでは除く)不祥事とされる事案。

何故って、そもそもが明らかになることはまれで、だからと言って事件は絶対にないというわけでもない。

ただ、政治性をおびたものよりか、表に出てくるのは交通キップの偽造、収賄、わいせつ事件、

警察官の酒気帯び運転、飲酒運転、無免許運転、ひき逃げ、そのような低俗なものに変わっていっている。


警察内部資料情報漏えい事件が

昨今ではまだまだ、思想性を問えるというか思想性を疑えるような事件かなと。


時代は変わってしまった。

『わが罪はつねにわが前にあり』

この書を過去に読んだ時点ではまだまだ、左右の思想対立は鮮明で、

著者の信仰がクリスチャンということもあって、

信仰は異にするとはいえ、上層部の権力意識を疑ったという告白も記されているところがこの書の焦眉かなと。

命じられた宗教団体への監視項目。偵察と、詳細な報告を求められてくるくだり、これが、行政の本来の職務なのかとの葛藤、苦悩。

政治世界への新規参入の勢いに危機感を抱いたのだろうか。為政者側の真の狙いは判らないまでも、ときの権力者、政治家の意図を読み解いていく。中立たる行政マンとしての矜持がにじみ出る記述。

著者が警察高級官僚で、同時に信仰者であるだけに、

筆の運びにはキリスト者としての良心と、本来の公に奉仕するという原理原則に忠実たらんとする気概と葛藤が行間ににじみ出ていると思える希少なる告白本でした。


聖徳太子考、その2としては、続いて税金をテーマとした子どもかるたの話題からはじめます。


いずれも政治性を帯びている。


営業で廻っているときのことが、夢に。

資金繰りに苦労している自営業者を支えるべく、カバンの中に亡くなった娘の手紙を

入れて歩く企業再生専門の弁護士になり替わった劇中劇のような夢だった。

いつかドキュメンタリーでみた内容がかぶっている。


古代史に造詣の深いこの前亡くなった梅原猛さんが描く太子像もでてきたりして


哲学者もその他の太子像を描いたという歴史学者も

自分の夢の中では、すべてが、小説家に似せられていて違いはなかった。

そして、夢の中にでてくるもう一人の自分も

営利を追いかける企業社会の中にいながら、二足の草鞋をはく登場人物

週末は小説家きどりの

家族にとっては、迷惑かもしれないいやらしい人間として

立ち現れる。夢が醒めてみれば、どうってこともない。

ただ、どうしても反芻してしまうのが、

忘れてしまうのが惜しいと感じた、自分なりの太子像。

聖徳太子の詩と真実。
まあ、小説は嘘の世界。

小説はもともと読まん、嘘に嘘を重ねただけだろうって受け取る人もいる。

読まない人はそうだし、そういう人少なくない。

架空のフレームを介して真実に迫ろうとするのが小説、、、といってみたところで。
だからといって
事実とは何。

事実って、いかにも真実に似てるけれど。

すべての事実は見たからと言って、騙されてる人もいる。
架空だからって、馬鹿には

より豊かに人生の真実をみてきた作家さんを知るにつけ
読書によってより多くの思考回路を

得た小説家さんの多くが、またステキな読み手でもあるということに気づいていく。

シャワーのように触れたより多くの異なった太子像。その経験によって

自分の見た夢はまた、それなりの意味があるようにも思えてくるのだった。

それはひとまずおくとして、今は、子どもかるたのyahooニュースにおけるコメントの、

あらかたに目を通していく。

働いて
税金取られて
収入減

国会議員継続させるに、税金掛ければよい
結果出せば、税金免除、結果、残せなかったらで、年金減額税
そうすればまじめにやることだろう
といった意見まで。

税金は至る所で取られてることを再認識してヘイトがつのるばかりだ、 という感想も。これなんてどう。

「嬉しそう 酒税をおさめる お父さん」

税金納めて嬉しそうなお父さんなんて
ドMでしかないだろが。

本質を避けてるようで、なんかもやもやする。





そう、聖徳太子の時代にタイムスリップしたかと
思えば、学生時代のアルバイト先でのバイト代の受取りの真夏日を思いだしてみたり、

めらめらとしてきて、昨日の見た夢のおさらいが、蘇ってくる。


使途不明 納めた税は どこへいく


タバコ税
まだまだとれる
いい財源

政治全般からくると思われる空気感を
感じながら

聖徳太子の時代を
引き合いに出す、今日的テーマも浮上してきたりして。

面白い皮肉。でも感情論で煽ったところでそっぽ向かれるだけ。

いずれ増税する為の布石でしょ。
増税は良い事と洗脳するための。

いろいろな意見と感想が続いていきます。

なかなかウイットが効いた、面白そうな「かるた」ではある。

様々な税を見つめ直し、理不尽な税金を見直すきっかけになれば良いと思います。という感想なども。


税について学ぶのは良いことですが、思想誘導はされるべきではない。


国民が税金を渋るのは、その使途があまりにも杜撰で社会に
貢献していないと感じているからではないですか。

かるたで税金の重要性を訴えるのではなく、使い方で暮らしを
良くして、納税の重要性を納得させるのが王道だろが。

実際は、税の厳しさより、徴収する側の都合いい文句が
カルタとなっているように思える。


費用対効果で言えば、無駄が多いと思われる日本の税金も年収500万円未満であれば、恩恵に浴している部分が大きい。
報道や感覚だけで税の無駄を批判する前に、どこがどう無駄なのか?
きちんと整理して批判しなければ、それこそ子供の教育に悪い影響を及ぼす。


税金自体がどんなものがあるのか知るのはいいきっかけなのかもしれませんが、事実と乖離した内容をかるたにするのはおかしいと思います。



というものまでと色々と。

時報がなったので、ニュースの画面に目を転じれば、どこどこの市長の

恐喝まがいの音声が

元民主党の衆議院議員であって、その前はというと、NHKのディレクターだったという。

音声だけ聞いていたら、どこかのヤバい世界の怖い人としか

思えない。

それに政府の「勤労統計の不適切調査問題」

政権与党のガバナンスや如何に。

加えて、「沖縄・辺野古埋め立て問題」はまだまだ迷走がつづいていく。

宜野湾市と宮古島市が投開票事務に協力しない方針を表明しているし、それが波及するかもという報道。

オール沖縄って、いったい何?という感じです。
それで国民投票の際に、参加しない自治体が出たらどうするのか?どちらでもないが出たらどうするのか?本来の趣旨から考えて、沖縄市民は市民であると同時に沖縄県民であり、県民投票に参加して当然で、これをやったら悪しき前例になり、投票ではなくアンケートぐらいの感覚。

真剣さ、疑ってしまいます。

騒いで、それだけだったら、普天間の周辺に通う児童、生徒の危険な状態が今後も続くっていうことではないのかと。

それが、わかっていて、それで、それを放置しつづけることで、いいと思っているわけではあるまいし、民主党政権の時に最終は首相が沖縄に詫びにきて辺野古の選択をした。

あるといいながら、鳩山由紀夫、示せなかった別な候補地。そのときの政権についていた側の玉城氏でもあったわけであるのに、また同じ轍を踏もうとしているかのように、見えて仕方がない。

県民投票に反対していた人たちがどちらでもないの選択肢が足されたことで、お茶を濁したように満足しているのには、県民投票の意味はわかっているのだろうか?と問いかけてみたいぐらいでもあるのだが。

移設工事を巡っての強硬なる阻止行動と強制執行。

法廷手続きをめぐって、今後もあらゆる場面で対決と対立がつづいていくことは想像に難くない。

年が明けての報道。県議会の玉城知事の与党会派は、選択肢に「どちらでもない」を加えた3択にすることで、投票を実施しない方針の5つの市が実施に転じるのであれば、必要な条例の改正に向けた調整を始める方針で一致しました。

とあるのには、笑うしかない。危機感のなさを感じてしまいます。どちらでもないという答えになったとしたら、結局、県民投票って、税金使ってやる意味ある?疑う人も出てくるでしょうね。国民投票の際に、参加しないオール沖縄って、いったい何?二つの市が協力しない方針を表明しているって、結論だすことより、もめ続けること望んでいるわけ。?

内憂外患の日本政治。

これに引き比べるように聖徳太子の時代もまさにそうだったはず。


その後に律令体制を確立させていくが、

疾風怒濤の時代。

大陸からの脅威もとみに強く、

方針をめぐる政争は時代が時代だけに血を血で洗う権力闘争。

視点が違うのは後の世代の日本の未来を太子が考えていたこと。

和をもって尊しとなす

には戦禍をものともしなかった闘いの覚悟に裏打ちされてきた

自身の過去、

それも身内の悲惨な謀略や罠をくぐり抜けてきたという

体験、

加えて、太子の親類の不倫

事件の数々は枚挙にいとまない。

タイトルは聖徳太子考。

最初の掲載ジャンルからしてなぜ携帯小説か?って問うもう一人の自分。

前編。後編ぐらいかと思ってみていたけれど。

上中下で終わればいいけれど。

そのようにしめくくれなければ、
数字で、その1から始めるのが無難かとも

夢にでてくるもう一人の自分に問いかけている自分。

君は、日中友好派じゃなかったの?石平さん最初のブログで彼の書アップするって、どうなの、嫌中ってこと?。

わかっている。それはそれ、嫌中なんていったってそれ、そんな人の色分けって無意味だと思うけれど
と答える自分。

  国家とよぶにふさわしい基礎にはほど遠く

つき従う従者も弱肉強食に生きる世がならわし

早熟の太子は

生まれの環境を巧みに利用して、

たちまちのうちに見抜いていく。

見習うべき素養は移植すべし、

周囲からの異端視

困難の上の困難。

国難には不感症で永田町の論理と地元しか関心のないタイプとは比較しようもない

税の観点からしても、庶民の側に立つとはどういうことなのか。
そのような時系列を飛び越えたようなドラマ展開の夢。

醒めたら忘れそう。


思いだす限りは。と
そのような
さわりで、
その2だというのに、なかなか、肝心のところにはたどり着きません。

追加画像に佐藤優氏の『日本論』をアップして

終わります。





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聖徳太子考・その1

2019-01-26 23:55:52 | 携帯小説


蘇我氏、聖徳太子らによって、仏教がこの地に興隆し、仏教文化が開花してから、千三百年余の歳月が流れ、今、その仏教はというと、いにしえの繁栄を伝える遺跡や伽藍はあっても、生き生きとした精神はどうなのかと?。

それでも、日本における仏教史を語るとき

聖徳太子と伝教大師と日蓮のこの三者が念頭に来る人は少なくないのではと考えています。
いずれにしても、法華経を宣揚してきたということにおける共通項だけはみえます。
そのうち聖徳太子と伝教大師によって主導された法華経を基軸にした宗教改革。それら二つは、いずれも天皇の権威(国家権力)に基づいてなされた国策宗教の成功例であったととらえることもできるかなと。



国策という言葉もあんまり使いたくもないのですが、

上からの改革という意味でなら、当然ながら、
聖徳太子は物部氏との熾烈な対立を終焉させ、その上で
国政に仏教を定着させている点ではすばらしく感じます。否定的意見、もとより、いなかった説も知っていますが、これに同調する気もあんまりありません。

現代人の皮膚感覚で物事の是非を簡単に論じることも憚れます。
血を見る経験を幾度も経た上での和を持って尊しの格言。
そういう思いを抱かされた物語として、幾点かの書を紹介して、まず今回のブログ記事の始まりとしておきます。


















【検索参考】飛鳥から遥かなる未来のために、聖徳太子の生きた時代

      

      聖徳太子の智略  石平

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大坂なおみ世界1位へ

2019-01-26 21:48:28 | 日記


大坂なおみ日本人初全豪シングルス優勝!世界1位へ


クビトバと頂上決戦、見ていて、感動。

優勝おめでとう。


すごい試合でしたね。

みんな熱い中きてくれまして、の感謝とお礼の挨拶。

そうだよな、むこうは夏だよなあ。

こちらは地球の反対側、今日、和歌山で初雪だったよ。


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柿くへば 鐘が鳴るなり 法隆寺

2019-01-26 17:16:44 | グルメ


「柿くへば 鐘が鳴るなり 法隆寺」

柿の日本国内の生産高ランキングでいえば、1位は和歌山・2位 奈良・3位 福岡・4位愛知・5位岐阜らしいです。

和歌山の柿、今度は豪州へ 米国向けも好評で 「KAKI」は世界共通語に。
 



アメリカへの輸出は今までは検疫関係がハードルとなっていたらしく、関係法令も見直され、輸出も可能となってきて、関係者の鼻息も荒く活況を呈している模様です。

守りの農業から、攻めの農業へという言葉が多少の実感を伴って受け取っています。

法隆寺と言えば、聖徳太子。

次のブログ記事は聖徳太子に関することをと、
思っています。




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