トトヤンの家庭菜園

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聖徳太子考・その2

2019-01-29 22:08:36 | 携帯小説
(政治的な理由によるものはここでは除く)不祥事とされる事案。

何故って、そもそもが明らかになることはまれで、だからと言って事件は絶対にないというわけでもない。

ただ、政治性をおびたものよりか、表に出てくるのは交通キップの偽造、収賄、わいせつ事件、

警察官の酒気帯び運転、飲酒運転、無免許運転、ひき逃げ、そのような低俗なものに変わっていっている。


警察内部資料情報漏えい事件が

昨今ではまだまだ、思想性を問えるというか思想性を疑えるような事件かなと。


時代は変わってしまった。

『わが罪はつねにわが前にあり』

この書を過去に読んだ時点ではまだまだ、左右の思想対立は鮮明で、

著者の信仰がクリスチャンということもあって、

信仰は異にするとはいえ、上層部の権力意識を疑ったという告白も記されているところがこの書の焦眉かなと。

命じられた宗教団体への監視項目。偵察と、詳細な報告を求められてくるくだり、これが、行政の本来の職務なのかとの葛藤、苦悩。

政治世界への新規参入の勢いに危機感を抱いたのだろうか。為政者側の真の狙いは判らないまでも、ときの権力者、政治家の意図を読み解いていく。中立たる行政マンとしての矜持がにじみ出る記述。

著者が警察高級官僚で、同時に信仰者であるだけに、

筆の運びにはキリスト者としての良心と、本来の公に奉仕するという原理原則に忠実たらんとする気概と葛藤が行間ににじみ出ていると思える希少なる告白本でした。


聖徳太子考、その2としては、続いて税金をテーマとした子どもかるたの話題からはじめます。


いずれも政治性を帯びている。


営業で廻っているときのことが、夢に。

資金繰りに苦労している自営業者を支えるべく、カバンの中に亡くなった娘の手紙を

入れて歩く企業再生専門の弁護士になり替わった劇中劇のような夢だった。

いつかドキュメンタリーでみた内容がかぶっている。


古代史に造詣の深いこの前亡くなった梅原猛さんが描く太子像もでてきたりして


哲学者もその他の太子像を描いたという歴史学者も

自分の夢の中では、すべてが、小説家に似せられていて違いはなかった。

そして、夢の中にでてくるもう一人の自分も

営利を追いかける企業社会の中にいながら、二足の草鞋をはく登場人物

週末は小説家きどりの

家族にとっては、迷惑かもしれないいやらしい人間として

立ち現れる。夢が醒めてみれば、どうってこともない。

ただ、どうしても反芻してしまうのが、

忘れてしまうのが惜しいと感じた、自分なりの太子像。

聖徳太子の詩と真実。
まあ、小説は嘘の世界。

小説はもともと読まん、嘘に嘘を重ねただけだろうって受け取る人もいる。

読まない人はそうだし、そういう人少なくない。

架空のフレームを介して真実に迫ろうとするのが小説、、、といってみたところで。
だからといって
事実とは何。

事実って、いかにも真実に似てるけれど。

すべての事実は見たからと言って、騙されてる人もいる。
架空だからって、馬鹿には

より豊かに人生の真実をみてきた作家さんを知るにつけ
読書によってより多くの思考回路を

得た小説家さんの多くが、またステキな読み手でもあるということに気づいていく。

シャワーのように触れたより多くの異なった太子像。その経験によって

自分の見た夢はまた、それなりの意味があるようにも思えてくるのだった。

それはひとまずおくとして、今は、子どもかるたのyahooニュースにおけるコメントの、

あらかたに目を通していく。

働いて
税金取られて
収入減

国会議員継続させるに、税金掛ければよい
結果出せば、税金免除、結果、残せなかったらで、年金減額税
そうすればまじめにやることだろう
といった意見まで。

税金は至る所で取られてることを再認識してヘイトがつのるばかりだ、 という感想も。これなんてどう。

「嬉しそう 酒税をおさめる お父さん」

税金納めて嬉しそうなお父さんなんて
ドMでしかないだろが。

本質を避けてるようで、なんかもやもやする。





そう、聖徳太子の時代にタイムスリップしたかと
思えば、学生時代のアルバイト先でのバイト代の受取りの真夏日を思いだしてみたり、

めらめらとしてきて、昨日の見た夢のおさらいが、蘇ってくる。


使途不明 納めた税は どこへいく


タバコ税
まだまだとれる
いい財源

政治全般からくると思われる空気感を
感じながら

聖徳太子の時代を
引き合いに出す、今日的テーマも浮上してきたりして。

面白い皮肉。でも感情論で煽ったところでそっぽ向かれるだけ。

いずれ増税する為の布石でしょ。
増税は良い事と洗脳するための。

いろいろな意見と感想が続いていきます。

なかなかウイットが効いた、面白そうな「かるた」ではある。

様々な税を見つめ直し、理不尽な税金を見直すきっかけになれば良いと思います。という感想なども。


税について学ぶのは良いことですが、思想誘導はされるべきではない。


国民が税金を渋るのは、その使途があまりにも杜撰で社会に
貢献していないと感じているからではないですか。

かるたで税金の重要性を訴えるのではなく、使い方で暮らしを
良くして、納税の重要性を納得させるのが王道だろが。

実際は、税の厳しさより、徴収する側の都合いい文句が
カルタとなっているように思える。


費用対効果で言えば、無駄が多いと思われる日本の税金も年収500万円未満であれば、恩恵に浴している部分が大きい。
報道や感覚だけで税の無駄を批判する前に、どこがどう無駄なのか?
きちんと整理して批判しなければ、それこそ子供の教育に悪い影響を及ぼす。


税金自体がどんなものがあるのか知るのはいいきっかけなのかもしれませんが、事実と乖離した内容をかるたにするのはおかしいと思います。



というものまでと色々と。

時報がなったので、ニュースの画面に目を転じれば、どこどこの市長の

恐喝まがいの音声が

元民主党の衆議院議員であって、その前はというと、NHKのディレクターだったという。

音声だけ聞いていたら、どこかのヤバい世界の怖い人としか

思えない。

それに政府の「勤労統計の不適切調査問題」

政権与党のガバナンスや如何に。

加えて、「沖縄・辺野古埋め立て問題」はまだまだ迷走がつづいていく。

宜野湾市と宮古島市が投開票事務に協力しない方針を表明しているし、それが波及するかもという報道。

オール沖縄って、いったい何?という感じです。
それで国民投票の際に、参加しない自治体が出たらどうするのか?どちらでもないが出たらどうするのか?本来の趣旨から考えて、沖縄市民は市民であると同時に沖縄県民であり、県民投票に参加して当然で、これをやったら悪しき前例になり、投票ではなくアンケートぐらいの感覚。

真剣さ、疑ってしまいます。

騒いで、それだけだったら、普天間の周辺に通う児童、生徒の危険な状態が今後も続くっていうことではないのかと。

それが、わかっていて、それで、それを放置しつづけることで、いいと思っているわけではあるまいし、民主党政権の時に最終は首相が沖縄に詫びにきて辺野古の選択をした。

あるといいながら、鳩山由紀夫、示せなかった別な候補地。そのときの政権についていた側の玉城氏でもあったわけであるのに、また同じ轍を踏もうとしているかのように、見えて仕方がない。

県民投票に反対していた人たちがどちらでもないの選択肢が足されたことで、お茶を濁したように満足しているのには、県民投票の意味はわかっているのだろうか?と問いかけてみたいぐらいでもあるのだが。

移設工事を巡っての強硬なる阻止行動と強制執行。

法廷手続きをめぐって、今後もあらゆる場面で対決と対立がつづいていくことは想像に難くない。

年が明けての報道。県議会の玉城知事の与党会派は、選択肢に「どちらでもない」を加えた3択にすることで、投票を実施しない方針の5つの市が実施に転じるのであれば、必要な条例の改正に向けた調整を始める方針で一致しました。

とあるのには、笑うしかない。危機感のなさを感じてしまいます。どちらでもないという答えになったとしたら、結局、県民投票って、税金使ってやる意味ある?疑う人も出てくるでしょうね。国民投票の際に、参加しないオール沖縄って、いったい何?二つの市が協力しない方針を表明しているって、結論だすことより、もめ続けること望んでいるわけ。?

内憂外患の日本政治。

これに引き比べるように聖徳太子の時代もまさにそうだったはず。


その後に律令体制を確立させていくが、

疾風怒濤の時代。

大陸からの脅威もとみに強く、

方針をめぐる政争は時代が時代だけに血を血で洗う権力闘争。

視点が違うのは後の世代の日本の未来を太子が考えていたこと。

和をもって尊しとなす

には戦禍をものともしなかった闘いの覚悟に裏打ちされてきた

自身の過去、

それも身内の悲惨な謀略や罠をくぐり抜けてきたという

体験、

加えて、太子の親類の不倫

事件の数々は枚挙にいとまない。

タイトルは聖徳太子考。

最初の掲載ジャンルからしてなぜ携帯小説か?って問うもう一人の自分。

前編。後編ぐらいかと思ってみていたけれど。

上中下で終わればいいけれど。

そのようにしめくくれなければ、
数字で、その1から始めるのが無難かとも

夢にでてくるもう一人の自分に問いかけている自分。

君は、日中友好派じゃなかったの?石平さん最初のブログで彼の書アップするって、どうなの、嫌中ってこと?。

わかっている。それはそれ、嫌中なんていったってそれ、そんな人の色分けって無意味だと思うけれど
と答える自分。

  国家とよぶにふさわしい基礎にはほど遠く

つき従う従者も弱肉強食に生きる世がならわし

早熟の太子は

生まれの環境を巧みに利用して、

たちまちのうちに見抜いていく。

見習うべき素養は移植すべし、

周囲からの異端視

困難の上の困難。

国難には不感症で永田町の論理と地元しか関心のないタイプとは比較しようもない

税の観点からしても、庶民の側に立つとはどういうことなのか。
そのような時系列を飛び越えたようなドラマ展開の夢。

醒めたら忘れそう。


思いだす限りは。と
そのような
さわりで、
その2だというのに、なかなか、肝心のところにはたどり着きません。

追加画像に佐藤優氏の『日本論』をアップして

終わります。





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