トトヤンの家庭菜園

小旅行、読書、テレビ番組、家庭菜園のブログです。

池上彰と初対談の蓮池薫

2018-04-29 21:23:35 | 日記
南北首脳会談を受けて拉致問題解決に期待を寄せた蓮池薫氏

番組トーク内容覚書。

11年ぶりに南北首脳が握手を交わし、友好ムードで進んだ27日の会談。これまでの対決姿勢から一転、にこやかな表情で現れた金正恩委員長だったが、蓮池氏は「演技だと思います。演技というよりは、これから自分たちが求めることの為にはああいう姿勢をとっていかなければ駄目だということからの演技・行動だと思います」とバッサリ。方向転換は核開発と経済発展の並進路線の行き詰まりからと分析し、「国内的には行き詰まったとは言えないため、(核開発を)勝利という形にして終わらせ経済発展という方向に向かった」と冷静に語った。

 さらに、共同宣言で「核のない朝鮮半島を実現するという共通の目標を確認した」と言及したことに蓮池氏は注目。「北朝鮮が非核化に動こうとする兆しが見えている。つまり、核・ミサイルの問題が解決する可能性が見えてきた。ならばそこに拉致問題さえ解決すれば、2002年の(日朝)平壌宣言がもう一回復活する可能性が出てきているわけです。だから非常に大きなチャンスが今、到来しつつある」と、拉致問題の進展に期待を込めた。

 池上氏は、今回の首脳会談は日本にとって蚊帳の外と考える人が多い中、蓮池氏が大きな期待していることに驚き。「これは拉致問題を解決するチャンスなんだと話されました。積極的に受け止めており、日本政府に対する思い、期待をヒシヒシと感じました」と印象を語り、「当然のことながら、北朝鮮のような国に支援するのか?という声もある。拉致問題を解決するために日本政府の大胆な妥協って事もあり得る。それを認めて欲しいと。核とミサイルの放棄がもちろん前提になっていて、そこに拉致を解決すれば日朝平壌宣言に立ち戻れる。そうなった場合は、政府の方針を支持して欲しいという気持ちが良くわかりました」と受け止めた。

 蓮池氏は対談で、拉致された当時の生活や、02年の小泉元総理初訪朝の時の様子、なぜ蓮池氏らが日本に一時帰国するメンバーに選ばれたのか。さらに、まだ北朝鮮に拉致され戻ってこられない日本人への思いについて語る。初めて本人の口から生々しい証言を聞いた池上氏は「拉致被害者は何人もいるのに、なぜ蓮池さんや地村さんが選ばれたのか、疑問や憶測があった中で、蓮池さんが『子供が(北朝鮮に)いて人質がいるから、日本にとどまりたいと言わないと思われて自分たちが選ばれたのではないか。また戻ってくるだろうと北朝鮮が考えた人だけを日本側に帰したのではないか』とご本人の口から聞いたのは初めてなので、なるほどと思いました」と納得した様子だった。

 約1時間の対談を終え、「(池上氏の)引き出すテンポが上手く、ついつい話してしまいました」と語った蓮池氏。北朝鮮での生活について詳細に明かしたが、「使命感もありますし、国民にも関心を持ってもらうためには、一般論ではなく現実を聞いてもらうのが大前提。あとは外交問題なので、北朝鮮の体制を露骨に批判はしません。それ以外は、そのままを伝えていこうと覚悟を決めています」と語る一方、拉致問題を解決するという問題は、外交問題であると再認識してもらいたいと強調。「外交というのは、ギブ&テイク。力尽くではないんです。外交交渉で解決するためには、日本も柔軟な姿勢を見せなくてはならない。そういう意味では、寛大な思いで、これから日本政府がやっていくであろう交渉を応援してもらえたらという思いを伝えたかった」と語った。



お兄さんのほう、ヘソ曲げてしまっているのには複雑ですね。兄弟といっても、難しいんですね。

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南北会談

2018-04-27 23:15:16 | 日記
南北会談

日本は北の出方を見極めて適切に行動すれば良いという感想しかない。

北は経済制裁でとうとう南北融和でしか生き残る道がない事を悟ったのだろう。

ピョンチャン五輪以後のシナリオ通りの行動をとっているまでの話で、特に騒ぐ事でもないだろう。

それまではというと、国際情勢、日朝関連では北からの挑発もあった。

朝鮮半島の融和の動きにだまされてしまいかねないような流れ。

バスに乗り遅れた日本であるかのような北からの嘲笑。

永久にそのままではチケットがもらえないぞと、おどすかのような言動。

米朝会談を前にして、下地づくり。

それまでの国際社会での傍若無人ぶりを記憶から消したかのような、丁重な中国の歓待ぶり。

当てつけられたかのような韓国、日本。

アメリカも中国からは事前の通告は受けていたことを明かしてはいたが、

構えは、自国の中間選挙がまずは最優先といった、また、ポピュリズムの人気取りが優先であるかのような構えがちらつきだしてきているトランプ。

日本の今、現状はというと、国会周辺のデモと、近くは大阪駅周辺での似たようなプラカード行進。

国会審議においては「首相、何時おやめになるんですか。」と、偉そうに迫ってもいた野党。

質疑内容も、聴いていたけれど、野党の自説の演説が主に述べられていくばかりで、最後にその一言、そのような問いかけですか?と笑っちゃうことばかり。

まあ、何を質そうと自由だし、国民からの票をいただき、信任を得てもいるんだからそれもいいんだけれど、いずれの野党も多少の差はあっても

政権打倒の声はこの程度で五十歩百歩。最近は、審議拒否。

そのような必要性があるとも思えないが、野党の結集の掛け声もちらほらとTV画面から

現実的でない選挙公約ばかりを掲げる野党をいくら束ねてもなあッていう気がするんだけれど、なにしろ

実現可能な図式は未だ見せられた試しもない。先の解散総選挙にしてからが、日米安保廃棄と在日米軍撤退を叫んでいる共産党と、その公約さえ綱領さえ違う政党が

いくら、選挙協力して、現政権打倒を叫ぼうが、判断のしようがないというところ。国の根幹にもかかわる基本的政策においてすら、このような態様できただけに

仮に選ばれたとして日米安保廃棄で、どう北からの脅威にむかおうとするのか。

まともな野党が存在しないことが国民の不幸であろうという識者の声もある。

国会周辺のデモはどこかの国のゴネ得を許すようなものに声を合わせるような感じで安倍をたたき出しているようにも見えてくるから、なんとも妙ではある。

プラカードの恣意行為のほうは昨今は穏やかが主流なんだろうけれど、掲げてる内容、まあ、ちょっとそれどうなの?と疑問符つくものばかり。

まあ、そういう論法、やるほうは面白いだろうなと。並べてくる用語はきまって、戦前回帰を許さないですとか。

一強政治は大政翼賛日本ファシズム、いつかきた道であるとか。まずは共謀罪、テロ防止法案廃案にだとか。先の安保法案は戦争する国になるんだとか。

それに極端な一部のメディアのなかには安倍をヒトラーに例えたりして嘲笑しているのにぶち当たることも。「まあ、それこそ、ヘイトではないの」と思ってもみたり。

馬鹿も休み休みにしたほうが。

賛同と納得をどこまで得られるものなのでしょうかねえ。

拉致問題はありえないという、どちらかいうと、今の人は知ることもないんだろうけれどあちらの肩もっていた感がつよかった、共産党。

それに対して被害を述べるほうの関係者の声に寄り添うような動きをして除名された、元党員の兵本氏のことは覚えている。告白手記なるものも読んだ。

徐々に真相が明らかになるにつけ、方針を転換せざるを得なくなっていく共産党。

それまでは信憑性が疑わしいとか、南のデマかもしれないなどとも言っていた社民党、もと社会党。

それとよく似た発言者もその後はそのようなことも知らないで受け皿になった、参議院民進とかに混ざって、そのころそのようなこと吐いたこと忘れたかのように振舞っている。

立憲民主とか、希望とか、面々の多くは知らないはず。

テロ防止法、共謀罪と呼ぶのもいいが、先の安保法案を戦争法案、叫ぶのと、同じぐらいの勢いで、北朝鮮の国家テロ、拉致犯罪を許さないぞとか、中国の不法な海洋進出を許さないぞとか、叫んだことあるのだろうかと。

北の微笑み外交に惑わされている韓国に、右へならえして、圧力の北風路線は失敗だっただなんていいかねない野党もあるくらいだ。

野党の森友に関しての非難。官僚の不祥事は不祥事として、ここは与党の丁寧さこそを問われなければならないところにきているのは、それはそのとおり。

が、しかし、今後の日本の、踏ん張りどころが試されてもいるここ数か月でもある。

猶予は、ひと月半だろうなあ。

日本国内のまとまりかた、拉致問題への結束した在り様の如何も、問われていくかもしれない微妙な関係国の力関係。

国民が、どう怒っていくのか。

新しくは全米の銃乱射事件を受けての、青少年のとてつもない盛り上がりの声。銃からの不安解放の訴えはまぶしくもある。


賢明な世論を背景にもつ確固たる外交は強く、


愚昧なる大衆に翻弄される弱い基盤の政権は内外、共に軽くもみられていく。


韓半島の国民はキムといっても、一方で政治的プロパガンダを繰り返す人の口からでるところのものに、耳を傾けるのではなくして、
今は、日本でベストセラーにもなったという、金完燮(キム・ワンソプ)という韓国人青年の書いた「親日派のための弁明」という書をふりかえっている。

著者の言葉から、一部引用。

私は、歴史とは過去の分析ではあるが現在の問題の反映でもあるとの思いを強くしました。100年前の日本統治を肯定的に評価したというだけで、一介の物書きが身の危険を感じなければならない現実は、いろいろな意味で概嘆すべきものです。しかし本書によって韓日関係の未来にあらたな希望が生まれるなら、私は正しい仕事をしたという誇りをもてるでしょう。

金玉均(1851-94)
伊藤博文(1841-1905)
朝鮮の文明開化のために殉じた
二人の霊前に本書を捧げる

とありました。

韓国にこのような人がいるんですね。
これは例えていうなら中国で堂々と共産党批判の書を出版するに等しいくらいの、勇気のある行為に近いとの好評が。

韓国での「親日派」とは、日本統治時代に日本に協力した者という意味で、「売国奴」「民族反逆者」という非難を込めて使われるぐらいの時期もあったというから余計にそう思うし、怖いことでもある。

日本国内、言論の自由、出版の自由が保障されているのかとか、たまにマスコミ連中叫ばれることもあるが、


言論不自由ということにおいては日本国内では想像できない言論弾圧下にちかい状態での最初の刊行。実感は我々日本人にはピンとこない。


命がけで言論を展開するというのは、そういうことなんだなと。思うしかない。

100年前の日本統治を肯定的に評価したというだけで韓国国内でのバッシング受けた著者キム・ワンソプ。


最後に(キム・ワンソプ)のちょっと、自分の認識にない、違うところの



一文を


私たちは戦後、朝鮮半島が二つに分断されたが、日本は運良く分断を免れたと考えてきた。統一を語るときにも南北朝鮮の統一だけを言うだけで、日本や台湾との統一を言う人はいなかった。しかし敗戦後日本帝国が五つの地域に分割占領されたのであり、南北朝鮮が分断されたのではない。戦勝国にとって朝鮮半島は日本の領土の一つに過ぎず、彼らは日本帝国を韓国、北朝鮮、台湾、サハリン、日本の五つに分離し、それぞれ占領したのである。この中でサハリンだけが未だにロシアの領土になっていて、残りの四つは独立国となった。日本帝国が明治維新以後獲得した領土を分離するということは戦勝国の論理であり私たちが選択したのではない。勿論日本が望んだのでもないからこれは明らかに強制的な分断と言えよう。(『親日派のための弁明』金完燮より)


追伸

南北会談に関して特に騒ぐ事でもないだろう。と言いましたが
しかし、あえて、むこうの立場に立って、今後の物事をながめてみようかなと。


南北融和だけで、物事が解決し、ことがうまく運ぶことでもないことを。

経済を自由にすれば、必ず世界から自由に情報が入ってくる、

経済活動は自由にするが、政権批判は禁じて社会体制は維持する。

経済的には南北格差は歴然としてきている。今後だって容易ではない。

かつては中国の胡錦濤前主席からは、晩年の父親金正日に対して、「改革開放をやって経済成長を目指せ」と促された姿も見てきている。


他国が、恫喝外交だとか言おうがなんと言おうが、核を手に入れ、最大限に活用してみせる生き方。

改革開放も大事だけれど、順序としては、そっちの道筋をおうことを第一義としたのだった。

経済的に食糧自給ができない一方で、政権が国際社会に対して「頭を下げている」姿勢を見せれば政権のメンツが保てない。

そこで、反対に国際社会を脅し、国際社会を翻弄して見せて、政権としては威信を保ちつつ、最後にはカネを出させるというストーリー。

北朝鮮は最初は使えるだろうかという心配もあったが、

実にこれが、うまくいった。

あとは、それの焼き直しを、

繰り返すことで、ついにここまで来た。

(しかし、もう体制がもたない。経済の裏付けなしには。)

国際社会からカネを引き出すというのが本筋であり、そのために核開発などという面倒な芝居を続けてきたというのですかと。北朝鮮サイドからすれば、もちろん反論もあるだろうけれど。

体制保障というのは、立憲君主制から、より進化して戦後復興を

駆け上がった国のことと違って、

まったくの、為政者保身でいうところの

保障を願うこと

内心それでいいのかと、問い続けてきたそれ。そういうことではないのか。

保障を求められた側の米国側は、「なぜ我が国が?」という向けられた側の率直な感想は

ありませんよね。

軍事的担保はアメリカが保証しよう。
お金が欲しければ、それは、日本に
出してもらおうとでも言うのだろうか。

もう、世界の警察官の役割り果たすのも疲れた。
今後は世界のことより米国第一。
内向きだ言われようが、
もうそれぞれの国が、それぞれに、自国の安全保障の
手立てを考えていってくれ
とでもいう感じなのかも。

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自衛隊員vs民進小西

2018-04-24 22:07:38 | 日記
自衛隊員も、議員も。








どちらも言っていることは当たっている。



国会での、安倍首相にむかってのクイズ形式の質疑には聞いていて、自分もイラッと思った議員なだけに。


今回問題になった、発言の経過。ニュースナインでまあ、ざっと、再度おさらいするように

得心。

自分のなかでは「個人の尊厳を踏みにじる点が発言にあり、お詫びする」との自衛隊員の発言もあり、隊員への処罰に関しては寛大にという思いのほうが強いです。



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介護・福祉を>国政議論に

2018-04-20 23:56:54 | 日記
医の世界でまつわること。地元の介護とか医療関係でのニュースということで
新聞のタイトル大文字で

目につくところはこのようなものか。

医師の残業超過で是正勧告 日赤和歌山と大阪市大病院

2018年度改定、重点課題は「地域包括ケアシステムの構築」

まさしく、自助、共助、公助をいかに組み合わせていくか。支えての負担。サービスの内容。が喫緊の財政問題と絡んできている。

福祉の視点がそもそも問われてきている。

思い起こすのは国内の作家では医療福祉の視点で

障害者の問題を描いて見せた水上勉『車椅子の歌』。


【検索】昭和38年「中央公論」6月号で,作家水上勉が重障児をもつ親の立場から「拝啓池田総理大臣殿」の書翰を発表し,時の政府に
その他色合いはまったく違うが国内作家では『白い巨塔』 暴かれた医療の暗部 山崎豊子の作品などを思いだす。

それから、いまでこそ、ケアシステムとかやっと形になってきているが、そのような

取り組みもない時代に 高齢化社会を予言した先駆的作品『恍惚の人 』 有吉佐和子の斬新な目線なんかが脳裏を

よぎります。


それから、ひとりの医師を主人公にすえた作品。海外ものとしては

クローニンの『城砦』


これは、善悪の二項対立というのではなくて、単純な展開ですませないところがよかったといえる作品です。純粋な向学心とそれを忘れたかのような、一時の野心的な俗世的な誘惑、その夢と挫折も描きながら

連れ添いを失って後に、背中を推されるようにして再び深く医療に従事して目覚めていくくだりの最終章が秀逸でした。

国情の違いはあるといえ、医療を悪くしているのは、厚生労働省でも、大学医局でも、医師会でもなく、ましてや金儲けに勤しむ医者と薬屋の結合でもなく、はるかに大きいのは
我々の内面に巣食うそれぞれのそうした複雑系の悪意のない個々のプライドではないのか、とそう問いかけられているような。そして、それが権威の怠惰な傘となって「城砦」として立ちはだかっていることに気付いて欲しいと言う意味でつけられているようなタイトル。主人公アンドルーの印象が瞼に浮かびます。

遠い過去を振り返って感化されたといえる作品です。

似た系列としては、志賀貢作品のたくさんな作品の内でもこの二作。

『女医翔子の復讐』と『漁火医者』をあげておきます。



最後に
最近の読後本として、

次の書を。紹介しておきます。

神様のカルテ  夏川 草介著

背景は医療現場ですが、医療行政をかたったり、医療技術をかたるようなアーサーヘーリーのような作品ではありません。

長時間労働は万年医師不足による勤務医を主人公にはすえていますが、湿っぽくもなく、どちらかというと患者に囲まれてどう生きるかという作品。作者は現役の医師。


直接、小説などには関係することもないんだけれど、
あげれば、遅ればせながら理解したことは

「老々介護は

わかるんだけれど、認認介護ってなに」って

聞いたら、認知症の人を介護する側も認知症がきているっていう意味で、

老老介護が進めばそれこそ認認介護の段階だよということで、そう呼んだら

気づきやすいかなということで、呼んでんじゃないの?ということがわかりました。

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世界に人権意識を問え

2018-04-19 09:15:43 | 日記
産経、シェア記事。



日朝間の問題なのは、確かですが、

日米の拉致問題への共通認識に変わりないことを表明した。

意識の有る国からは

心強い、国際世論に呼びかける働きも。

「世界の人権意識が問われる問題ですよ」と。


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