トトヤンの家庭菜園

小旅行、読書、テレビ番組、家庭菜園のブログです。

映画『記憶にございません』に

2019-09-29 22:16:13 | 日記


中井貴一はまり役。

導入部分では、周囲の笑いの多い中で、自分の場合はそれほど、笑えませんでしたが

途中からけっこう、笑わせてもらいました。


別に余裕あるわけでもないんだけれど、特に増税前の賑わいという感じでもなかったなあと。




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雑賀崎に新たな

2019-09-28 19:25:28 | 旅行

雑賀崎に新たな観光スポットが完成したという産経ニュースの情報から拝借。



行ってみたいなあと。




ほれみいそ、はよ着きすぎたいてよ。

まあ、ええわいしょ。

そこらへん、腰掛けていっぷくしょうらよ。

大島や中ノ島、双子島があり、晴れた日には遠くに淡路島も見えるらしいです。

「雑賀崎灯台展望広場」

※(景色から懐かしい和歌山弁での会話をふりつけてみました。)


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彼岸花2019チェック記事

2019-09-24 11:34:00 | 日記

















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御雇い外国人が描いた『大日本』

2019-09-19 21:14:23 | 学び
国そのものの意欲的なステップアップの取り組み。過去の歴史に学んでみようかと。ひとっとびに明治の頃に

当時の攘夷一辺倒の輩と二重写しのように、眺めてもいる。

改革派のなかでも先々を考え始めていた連中。万機公法に決し、後々の国の処し方をまでを、意見する中で温度差の始まり。PKО反対、安保反対とか、言ってる連中なんかを、あの頃でいう単純な攘夷派として見つめていた。

さどかし、表向き、パフォーマンスの開明派。理解しているようにみせて、TPPなんかも結局のところ反対ですか。それ無いでしょ、と笑っていた。

働き方改革も、ようは、前向きにどうとらえるかの問題。

コラボレーション、ステップアップ。





明治時代に日本の工業の発展に貢献したヘンリー・ダイアーという御雇い外国人。
「大日本」という日本への観察眼がちりばめられた書を残している。副題は「東洋のイギリス」。

ダイアーがもっとも魅せられて書き残したかったことは、それは、日本人の頑張る必死さの根源を知りたいということではなかったか、という解説も。

以前、通勤途中のラジオで聞いたことがある。(2016.12.8 )
東京大学月尾さんのコーナー。全国8時です。


それは「“ものづくり日本”の父、ヘンリー・ダイアー」というタイトルで、お雇い外国人のヘンリー・ダイア―に感謝、という内容でした。



「明治維新という一大事業を推進する動機となったのは、物質資源の開発や国富の増進ではない。ましてや西洋の習慣の闇雲な模倣の追求でもない。安政の不平等条約を5ヵ国と締結してしまい、世界から劣等国として見下されることは耐え難いという、名誉を重んじる気持ちこそが最大の動機である」と引用しています。

ダイア―が見抜いた、日本のたぐいまれな精神。騎士道にも似て汚れない精神。のちに新渡戸が解くところにある武士道。

「大日本」という日本のガイドブックのようなそれでいて専門的なずしりと重たい本、ダイアーが西欧人に紹介したいところの核心部分。

現在、日本は激変する国際情勢のなかでもがいてるように見えますが、官も民もこの言葉を今まさに思い起こすべきときのように思われます。


月尾さんの解説もそのまま引用させてもらいながらの紹介を。

日本政府はなんと、大臣より高い月給を、しかも24歳の大学を卒業したばかりの青年ダイアーに払っていたというのは驚きでした。

イギリスの大学というとオックスフォード大学やケンブリッジ大学を思い浮かべますが、当時、技術の分野で世界最高の大学は1451年に創設されたグラスゴー大学でした。
文系では「国富論」を書いたアダム・スミスや、「金枝編」を書いたジェームズ・フレーザー、理系では蒸気機関の改良で名高いジェームズ・ワットや、アインシュタイン以前の最高の天才といわれるウィリアム・トムソンが卒業している名門です。

ダイアーはその世界最高の大学(機械工学と土木工学)を主席で卒業したばかりで、突然、東洋の島国に行ってほしいといわれ、多分、複雑な心境だったと思いますが、恩師のウィリアム・ランキン教授の推薦で1873(明治6年)、8人の教授陣とともに日本に到着します。

当時の平均寿命は現在より短かったといえ、大学を卒業した直後に発展途上国の大学を創って教育できたと考えると、大変な能力だったと思います。

その分、給料は高額で、明治政府のナンバー2である右大臣の岩倉具視の月給が600円のときに、ダイアーの月給は660円でした。

なかなか換算は難しいのですが、現在の金額では月給200万円、年俸2400万円程度ですから、いかに期待されていたかが分かります。

明治時代に日本は短期間で先進欧米諸国に追いついていきますが、それは明治維新を実現した中心人物の多くが、幕末に密出国して欧米諸国との格差を痛感したことに出発点があります。

長州藩からはのちに初代内閣総理大臣になる伊藤博文、内務大臣を勤めた井上馨、初代法制局長官に就任した山尾庸三などなどに共通する危機意識。

伊藤博文と山尾庸三が1870年(明治3年)に「工部大学校建設の建議」により技術者を育成するための学校を設立する提言をし、伊藤や山尾が密航するときに手配をしてくれたジャーディン・マセソン商会に、校長になる人間の紹介を依頼します。

そこで選ばれたのがスコットランドのグラスゴー大学を卒業したばかりで24歳のダイアーだったのです。


1875年(明治8年)から工部大学校の授業が開始されますが、当然、すべて英語でした。そのようなハンディキャップがあるにも関わらず、ダイアーのもとからは優れた人材が育っていきました。

例えば、第5期生の田邊朔郎は、6年間の勉強の成果として設計した琵琶湖疎水という大土木事業を自身で工事責任者として完成させたわけですから、大変な人材が集まってきたことになります。
それ以外にも東京駅や日本銀行本店を設計した辰野金吾、赤坂離宮を設計した片山東熊、アドレナリンを発見した高峰譲吉、本家のスコットランドで現在は世界遺産に登録されているフォースブリッジという鉄骨の鉄道橋の工事監督をした渡辺嘉一など211名が卒業していきます。


欧米諸国に追いつくため様々な分野で外国人を政府の顧問などに雇いますが、その御雇外国人のなかで最も多い分野が技術関係の指導者でした。

1874年(明治7年)の資料では426名の政府の御雇外国人のうち、228名(54%)が工部省の雇った技術者でした。

日本に8ヵ月しか滞在しなかった札幌農学校の実質的な初代校長ウィリアム・クラークは「ボーイズ・ビー・アンビシャス」という言葉で多くの人に知られていますが、10年近く滞在して多数の優秀な人材を育てたダイアーは意外に知られていません。


ダイアーは日本がイギリスのような議院内閣制の憲法による民主国家になることを期待していましたが、伊藤博文がドイツを見習った立憲君主制の憲法を採用したことに落胆しています。

それが、帰国の切っ掛けとも言えないでしょうが、帰国後も、日本に対する関心は衰えることがありません。スコットランドでその後日本について20年間研究し、1904年に出版されたのが「大日本」という大著なのです。

当時の日本についての百科事典といってもいいような内容で、歴史、文化、教育、軍事、産業、貿易、財政について説明していますが、出版が日露戦争の勃発から半年後であったため、急遽、追加して日露戦争の結末を予測しています。

当時、グラスゴー大学に留学していたロシアの将校たちの勉強態度と比較して、日本は絶対に勝つと書いているのがおどろきです。


追記として、経済学の先生の所見を



ヘンリー・ダイアーと日本   



その後の展望
北  政巳


ダイアーは、前述した如く「西洋の日本」で資本主義の成熟期を迎えたイギリス・スコットランドから
「東洋のイギリス」で資本主義への道を歩みはじめた極東の日本へ到来し、
「社会進化論」を実践.成功して帰国、再び母国でその実現に努めた。

グラスゴウ西部スコットランド短大の創立等の輝やかしい業績を残したが、工部大学校(東大工学部)程ではなかったという本人の思い。
そのことが、彼をして一層「日本論」へ、日本への探求の情熱を傾けたさせたのではなかったか


彼は・率直に日本から学ぶべき点として①優越感の撤廃、②道徳・教育水準を高めて国民的能率の増進、
③国有企業の成功(鉄道例)、④平和・共存共栄の思想を挙げる。
しかし日本の未来について警告も与えている。
即ち中国と日本の比較から、前者が東洋文化を保守的に保っているのに対し、
後者日本は「西洋のカの論理」を吸収して発展したため、その償いとして西欧と同じ類の運命をたどるかもしれないとする。
国民倫理についても、キリスト教は定着できず仏教も対応できず、
「忠誠心」「愛国心」を根本としたが、果して将来はどのように進展するのであろうかの疑問を投げかける。
さらに個人主義の高揚こそ真の国民主義であり、そのため物質的・便宜的哲学の必要性を訴える。

日露戦争については、日本の立場をH ・スペンサーの「事実による抑圧された三段論法」で弁護し、日本は自身の放恣のためではなく、生存のために戦いで、国際通商の自由と友好のため」、「東洋と西洋のより深い融合のために」、「自由を求めて欧米のために」戦ったと定義する、そして日露戦争の中でも、自分の教え子が「エンジニアの重要性を、鉄道は軍隊・物財を迅速に輸送し、造船所は船舶を早急に修理し、種々な機械を巧案、製造し、電信・電話は勿論のこと化学.機械.電気工学においても威力を発揮して証明」したと賛める。
しかし今や日本人の「世界」は、明治以前の中国・朝鮮ではなく、太平洋沿岸・アジア全域に拡大した。
またその脅威を「黄禍」と警戒する動きも生まれつつあった。
またインドでは、日本の活躍に刺戟されて独立への動きも始まっていた。
ヨーロッ.ハではドイツ資本主義が、また太平洋沿岸ではアメリカ資本主義が膨張しつつあった。
さらに同盟国イギリスについても・日本警戒論が高まりつつあった。
そしてダイアー自身も「日本は今や世界の他の工業化諸国と同じ社会・経済問題に直面している。
興味あることは東洋のイギリスが西洋のイギリスの経験から、
どれほど教訓を生かしきれるかであると(苦肉の表現を文末に載せざるをえなかった。)

そして伊藤博文の日本の二〇世紀初めの目的」の弁明・①近代文明の世界性・②東洋と西洋の思想の調和、
③中国.朝鮮の再生、④東洋での平和・通商の促進の実現が、世界に敵を生むことの可能性を心配する。
その日本の将来を憂慮する中で、カントの『恒久平和論』の3点、 ①エンジニアの貢献で世界は狭くなった、② 民主主義勢力の拾頭による国際関係、③知識の拡大と社会科学の発達による「真理」探究への努力それを通じての団結(世界平和)の結実を期待し、その先導的役割を日本に熱望していたのが良く分かる。
それ以後の歴史は我々の知るところである。日本の国民倫理は軍国主義一辺倒になり、第一次大戦では友好国であったものの、第二次大戦では敵対国として「東洋のイギリス」と「西洋の日本」は戦うことになる。
ダイアーは、その悲劇を見ることなく一九一八年に没した。彼にとってはせめてもの幸いであったろう。
しかし戦後〇〇年、再び日本の経済力が世界に拾頭した今日、一〇〇年前の我国工業化の父ダイアーの著作と思想が注目されても不思議ではない。
私にはこれほど今なお新鮮味を失はない「日本論」を、如何にして彼は綴りえたのであろうかとの率直な疑問が浮んでくる。そして彼の「社会進化論」が再び日の眼を見るのではなかろうかとさえ思えてならない。








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一強多弱は望むところなれど

2019-09-07 22:49:58 | 日記

憲法を真摯に考えようとしない護憲派


感ずることを一言でいえばそういうことになるだろうか。

私自身は安全保障政策については、先の議論、まきおこった安保法制備議論で、盛んに、戦争法案だとさけぶ連中を横目に、

あらたな法整備が必要ではないかとも感じていたところ、シームレスな漏れない防衛の取り組みとしての立法措置としての政府与党案の説明、それからの法案が成立したことは、歓迎すべきところと感じています。

国連の集団安全保障体制には参加しても、米国の勝手な軍事行動に無制限に巻き込まれる危険性が高い集団的自衛権は認めない。あくまでもフルスペックでない、限定的集団的自衛権容認です。

つまりは、護憲派の多くの立場と変わらないかもしれませんが、私が護憲派を毛嫌いするように批判したいのは、彼らが自己の政治的立場を実現する手段として憲法のこれまでの論点整理を抜きして、ただ、憲法を「政争の具」に変質させているようにみえてくるからです。

かえって、立憲主義は遠のいているからです。

政治家が判断するべき局面で、過去のそれも、引用されるべき言葉でもない、内閣法制長官がこういっていたとかの文言で、その場しのぎでことをしのいできた数々の解釈改憲。
権力抗争を公正な政治的競争のルールに従って行うことを要求するガチンコ議論ならいいです。それなら立憲主義に叶っていると言えるでしょう。問題なのは中途半端な、妥協で、より、複雑化して、整理をややこしくさせてきた、議会の責任。
改憲論議に反対しようとする立場のひとも色々です。

護憲派の9条解釈には二つの立場がみえてきます。専守防衛・個別的自衛権の枠内、これを専守枠内と略称することにしますが、この枠内なら自衛隊を合憲と見なす立場で、まあ「修正主義的護憲派」とでも呼びましょうか。

それと、自衛隊・安保は9条が禁じた戦力に他ならず、存在自体が違憲だとする「原理主義的護憲派」です。それに、それらの違いには関係なく国会の周囲を囲むデモの人なんかもいます。生真面目にマスコミの論調におしなべて従順な方ともいえるかもしれません。

ほとんどがそういう行動がとれるともいえませんけれど、中には、使命感のように勝手に思い込んでいるという人々もおられるでしょう。


 歴代保守政権と内閣法制局は、自衛隊は「戦力」ではなく専守防衛のための「最低限度の実力」であり、他国からの武力攻撃に対する防衛行動は「交戦権の行使」ではないと解釈してきました。修正主義的護憲派はこれを追認していきます。

しかし、これ自体が、朝鮮戦争を機に高まった日本の再軍備化への政治的圧力に駆られて行った、あからさまな解釈改憲だと場合によってはいえないこともありません。

 いまや自衛隊は、世界5指に入る5兆円超の年間予算と最新鋭のイージス艦やファントムジェットを備え、国際的評価機関によっても、非核保有国の中堅どころの軍隊組織を備えた軍事最強国と並び称されるようなとランク付けされてもおかしくない武装組織です。

これを戦力でないと言い張るのは、詭弁以外の何物でもないでしょう。憲法解釈という点では、そういう文脈では、違憲を唱える原理主義的護憲派が正しいのかもしれません。

 極端に言う人なんかでは修正主義的護憲派は、専守枠内という自分たちの政治的立場に従った解釈改憲を是認している点ですでに、憲法9条だけでなく96条の憲法改正規定をも侵犯しているとまでいう人がいます。

そのうえ、その点で立憲主義を蹂躙しながら、さらに、自分たちが解釈改憲に惑溺しながら、集団的自衛権行使、一部解禁をした安倍政権の解釈改憲だけを違憲として批判しているのはおかしいとまで。

 これはあからさまなダブルスタンダードで、公正な政治的競争のルールに反し、二重の意味で立憲主義を蹂躙しているというわけでしょう。

先の、安保法制の議論通じて、現状の憲法の存在から、色々な論点整理が見えてきたというのが、大きな成果といえば、成果だったのかなあと。別にほじくりだしたり、いらわなくても、そこまで極論を吐く必要もなくても、おおむね、肝心なところはこの法案が戦争するための法案ではないことはわかってきているうえでの議決。

自分にとってはこれで、現憲法下でのなおざりにしてきた隙間を埋めるのに整った法整備が済んだという印象。

だから、その後の飽きもしないような改正論議の堂々巡りのような風潮には疑問符の残るところ。

3項に加えるとかの自衛隊銘記なんて、それほどの意味も感じてはいない。

それどころか最近の日本を取り巻く情勢変化。日米同盟さえ、両国の温度差が、特にトランプ政権になって、不安にも感じてきているところ。

憲法改正より、そっちのほうが詰めるべきことなんじゃないのと。

米韓同盟だって、その前に怪しくなっても来ている。

日韓問題のもめ事ばかりが、目立ちますが、

ここにきて、もっと、大局的な立場から、鳥瞰視すれば、日本のよって立とうとする

従来の基軸すらも疑いを持って検証せざるを得ないところに

たたされてきているように、思えてならないんだけれどはたして、日本の国会議員は個々にどういうお考えなのだろうかと。

GSOMIA破棄はひょっとしてイレギュラーなことでもないのかもしれないなあと。

中露はひそかに喝采。

核を温存したままでの統一朝鮮の姿が垣間見えもしてきている。

より反日であり続けようとする隣国が厳然と国際社会にモノ申し始めていく予兆。

昨今の貿易戦争。アメリカをけん制していきたい、中国も、ロシアも、その局面では利害が一致していく様相。

安全保障面での日本の防衛力を試すかのような、日米韓の連携の軋みを狙ったような韓国GSOMIA破棄以降の

ロシア側のジェット戦闘機スクランブル発進。中国機との連携もにおわせるような。事件。

北朝鮮の弾道ミサイル発射も決議違反ではない、会談合意内容に照らして、明確に違反といわないトランプがいることだから。

ここにきて、尖閣列島のスクランブル問題も、同様な、問題にはしない発言もでてきてもおかしくはない。想定内だとされてしまいかねない様相も。ミサイルの件、同様、それでは日本は困るのだ。

一強多弱は望むところなれど、先の参議院選、勝ったと浮かれているような場合でもない事象が起こりつつある。

アジア周辺の劇的変化、変化の連続。

ムンジェイン政権と韓国国民を分けてみるべきという意見にも、それは、あまりにもナイーブな。

わからんでもないんだけれどと、自身は違うんだなあと。ひとり言のように。

それは、別にしても、日経新聞に兼ねてより抱いていたこの件を憲法と国際法という視点から述べられた一文に

眼を止めてみました。


連立のタッグを組んだ両党首の胸の内。
リーダーのそれぞれの孤独な胸の内。
相前後するように、繰り出されてきた外交訪問先での
地ならし。と現下の実感。

相違は有りやなしや
それが為でか
国内での引き続いての選挙は、自治体の
首長選を控えて、参院の勝利で浮かれてしまって
いるところとそうでないところとの温度差も

党首のみでしか、
想像するに、
わからないであろう緊張感と孤独感

有りやなしや

それから、韓国国民の少数のなかに
産声の様に

事実認識を大事に押さえながら、
間違ったこれまでの反日歴史教育を批判する動き
反日種族主義批判という呼称で
始まっていることはひとつの救いではあるなぁと。

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