政治腐敗の汚点、とり上げられる度に、思い起こす
暴君ディオニス王を改心させたメロスのことを。
政治家の原点にしていってほしいと常々、思う逸話。
信頼醸成は友情の証。
メロスのように語り、動いた無償のそれらの友情を決して忘れることのないように。
太宰作品『走れメロス』を書き上げるヒントとも言うべき原点。
メロスとセリヌンティウスの美談のもとはというと、宗教の教義流布にまつわるゴラス派の教団員ダモン(デイモン)とフィンティアス(ピシアス)の友情。
基になった伝承がそれ。
世代は近いと言っても馴染みのない物語でもあるのに、少し上の従兄弟とのつながりが事の始まり。
会うごとになにやら、気に入った読書本の交換の始まり、それが双方の文学好きのきっかけ。
その後学校でも、教科書の朗読に、授業では「走れメロス」が教材で。
当てられた級友のたどたどしい朗読を横目に、
胸の内で思い起こしていたことといえば
すでに従兄との会話の中でも議論と解釈の
やりとりをしていた内容のことだ。
当時は変にませたガキだったことを。
心の内では暴君ディオニス王はときに、政界の重鎮であったり、首相であったり。
そして、セリヌンティウスは地域の有力者でもないけれど、人々に信頼される憧れの教師や、
TVドラマの主人公や、脇役の俳優になり替わっている。
メロスは、もちろん、こころに演じる自分のことだ。
世相はというと、アメリカで公民権運動。
人種差別問題、黒人への差別が大きく政治問題化してきたという波を受けるようにして、
そういった情報に接するごとに、「それは遺憾な事だろう。」と憤慨していた。
だからといって、どうこうするでもなし、また、時が過ぎれば、流行りのプロレスや、サッカーに興じる日常性に安んじてもいた。
故郷を離れて、学ぶ機会を得た頃は、
両極端な、左右の論にかぶれる学友を横目に
ただただ、未来の道のことだけは考えていた。
それは、就職の事かと聞かれれば、否定しようもないけれど、
ちょっと、そんなにはっきりと割り切れるものでもないもの。
つまりは、暴君ディオニス王を改心させるような
人と人とのサークル的な心的繋がりを
学生の身分の内に
築き上げていくんだという誓いでもあったことを。
やりとりをしていた内容のことだ。
当時は変にませたガキだったことを。
心の内では暴君ディオニス王はときに、政界の重鎮であったり、首相であったり。
そして、セリヌンティウスは地域の有力者でもないけれど、人々に信頼される憧れの教師や、
TVドラマの主人公や、脇役の俳優になり替わっている。
メロスは、もちろん、こころに演じる自分のことだ。
世相はというと、アメリカで公民権運動。
人種差別問題、黒人への差別が大きく政治問題化してきたという波を受けるようにして、
そういった情報に接するごとに、「それは遺憾な事だろう。」と憤慨していた。
だからといって、どうこうするでもなし、また、時が過ぎれば、流行りのプロレスや、サッカーに興じる日常性に安んじてもいた。
故郷を離れて、学ぶ機会を得た頃は、
両極端な、左右の論にかぶれる学友を横目に
ただただ、未来の道のことだけは考えていた。
それは、就職の事かと聞かれれば、否定しようもないけれど、
ちょっと、そんなにはっきりと割り切れるものでもないもの。
つまりは、暴君ディオニス王を改心させるような
人と人とのサークル的な心的繋がりを
学生の身分の内に
築き上げていくんだという誓いでもあったことを。
だって、王さまが、わしも仲間にいれてくれと
言わしめたんだから。
今ふたたび(ブラック・ライブズ・マター)
時を経ても変わっていなかったという
現実。
内政においても
国際社会においても
格差と、ネットでの陰湿な印象操作ある一方で
使う側のリテラシーでは
ネット環境は
人と
人との
繋がりを
たくましくして
普遍的な
人権とか
平和にも
有益な
貢献の
可能性を
秘めても
いることを。
メロスの勇気を
信じるように
そこは希望は持ち続けていたいもの
今ふたたび(ブラック・ライブズ・マター)
時を経ても変わっていなかったという
現実。
内政においても
国際社会においても
格差と、ネットでの陰湿な印象操作ある一方で
使う側のリテラシーでは
ネット環境は
人と
人との
繋がりを
たくましくして
普遍的な
人権とか
平和にも
有益な
貢献の
可能性を
秘めても
いることを。
メロスの勇気を
信じるように
そこは希望は持ち続けていたいもの
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