厚労省の元局長である村木厚子氏を被告とする「郵便不正事件」については、このブログでも郵便不正事件の謎、郵便不正事件の謎(2)で話題にしてきました。
いままでの公判に関するニュースを総合すると、検察側のストーリーが証人の証言によってほぼ全面的に否定されています。今までの公判で判明した事実をまとめてみたいと思います。
《登場人物》(肩書は事件当時)
村木厚子氏(この裁判の被告人):厚生労働省障害保健福祉部企画課長
上村勉氏:同課社会参加推進室係長
塩田幸雄氏:厚生労働省障害保健福祉部長
石井一氏:民主党議員
河野克史氏:「凛の会」発起人
倉沢邦夫氏:「凛の会」会長(元石井議員秘書)
木村英雄氏:「凛の会」(元新聞記者)
《【郵便不正事件】検察側冒頭陳述要旨》(2010/01/28 産経新聞)を底本とし、その後の法廷における証人の証言をもとに、実際にあったらしいことを再現してみます。供述調書と法廷証言が食い違っているときは、法廷証言が正しいとしました。検察側冒頭陳述部分を〈 〉でくくり、その中で、法廷証言に基づいて修正した部分を“ ”でくくって示しました。
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〈河野氏は低料第三種郵便を悪用する目的で、平成16年2月下旬、倉沢氏に石井国会議員へ口添えを依頼するよう指示“していない”。〉
凛の会の木村氏は倉沢被告と共に石井一・民主党参院議員(75)に口添えを頼んだとされるが「会った記憶がない。検事にもそう言ったが聞き入れられなかった」と法廷で証言した。
倉沢氏は、「国会議員の事務所から来た」と(役所に)陳情すると、ていねいに応接していただいた経験を持っていた。そういう意味で、『石井議員の事務所のものだ』と名乗る許可を求めて石井議員の事務所を訪ねた。それ以外に期待したことはなかった。
倉沢氏が石井事務所を訪問した当日、石井議員本人はゴルフに出かけていて留守だった。
〈石井議員は当時の塩田障害保健福祉部長に電話を“かけなかった”。当然、証明書の発行を要請“しなかった”。〉
〈塩田部長は村木課長に便宜を図るよう指示“しなかった”。村木課長は企画課長補佐に担当者を紹介するよう指示“しなかった”。〉
元課長補佐が証人出廷し、捜査段階で村木被告から「担当者を紹介してあげてください」などと指示されたとの供述調書に署名していることについて「わたしはずっと『記憶にない』と話した」と述べた。
2月下旬、倉沢氏は、凛の会に認可をもらう手続きのために、厚労省の係長(上田被告の前任係長)を訪問した。このとき、倉沢氏は村木被告に会い、『石井一事務所の倉沢と申します。障害者支援団体の件で相談に上がりました』と述べた。村木被告はそれに対し『ああ、そうですか』と言った程度であり、名刺交換はしていない。
村木被告は、このときのやりとりを記憶していないと証言している。何年も前に行われたこの程度のやりとりを記憶していなくても、何ら不自然ではない。
〈村木氏は上記のように倉沢氏と会話しただけで、説明を受け“ていない”。従って、倉沢氏を塩田部長に会わせ“ていない”。以後、村木課長ら担当者間では、実体がどうあれ発行が決まっている「議員案件」と位置づけ“ていない”。〉
倉田氏から話を聞いた元係長は法廷で、村木被告に報告したかは「覚えていない。おそらく報告もしていないし、まったく指示も受けていない」と話した。
元係長は、16年4月に自身が異動する際、後任の上村被告に「石井議員がらみで、障害者団体としての実態はよく分からないから慎重にやるように、と引き継いだ」とも証言した。
上村氏は4月1日付で係長となったが、凛の会から審査資料はまったく提出されていなかった。
〈日本郵政公社に実体がないことを気づかれると危惧した河野氏は、厚労省から近く証明書を発行する予定だと伝えてもらおうと考えた?が、その話を受けた倉沢氏は、5月中旬、企画課に赴“いていない”。従って、村木課長は面前で公社東京支社に電話し“ていない”。〉
被告側冒頭陳述によると、村木被告が企画課から日本郵政公社東京支社に電話をかけたとの検察官の主張についても、通信記録は存在しないし、支社長も電話を受けたと述べていない。
〈6月上旬、上村係長は村木課長に問題点を伝え“なかっ”た。それでも発行していいか指示を仰“がなかった”。村木課長は「先生からお願いされて部長からおりてきた話だから、決裁なんかいいんで、すぐに証明書を作ってください。上村さんは心配しなくていいから」などと告げ“なかっ”た。〉
上村被告は検察側の質問に対し、村木被告を含む上司には「まったく報告していない。一刻も早くこの雑事を片付けたかった」と証言。証明書は6月1日ごろに自分で作成した、と証言した。
〈村木課長は部長に発行を伝え“なかった”。部長は国会議員に電話で報告し“なかっ”た。〉
元部長(塩田氏)は、検察側の尋問に対し、村木被告から「証明書を渡した」と報告を受けた後に石井議員に連絡したという内容の供述調書についても、「電話の交信記録があると検事に言われたので論理的に判断したが、書かれてあることは事実ではない」と証言した。公判で一転させた理由として、最近になり、検事から交信記録はないと聞かされた▽倉沢被告が公判で「(私と)会ったことがない」と証言した▽上村被告が「村木被告の指示を受けていない」と供述を翻していると報道された-ことなどを挙げ、「この話が壮大な虚構ではないかと思った」と述べた。
〈上村係長は稟議書だけでも残した方が言い訳しやすいと考えた?が、村木課長は「もう気にしなくていいですよ。忘れてください」などと告げ“なかっ”た。〉
---ここまでは、法廷での証人の証言の間に矛盾が見られません。---
ところが1点だけ、「出来上がった報告書は、誰が誰にどこで手渡したのか」という点において、証人間の証言が食い違っています。
《検察側冒頭陳述》
〈上村係長は6月上旬、深夜に書面を作り、翌早朝ごろ企画課長の公印を押して5月28日付の虚偽の証明書を作成し、村木課長に手渡した。
村木課長は証明書を受け取りにきた倉沢に証明書を交付した。〉
《上村被告の公判での証言》
上村被告は、報告書を作成した直後に厚労省の隣の建物の喫茶店で、自称障害者団体「凛(りん)の会」発起人河野克史被告(69)に渡したと述べた。
《河野被告の証言》
上村被告から受け取ったことは100%ない。
《倉沢被告の証言》
課長(村木被告)が厚労省の封筒の上に、2行ぐらいの短い書類を載せて『ご苦労さまです』と手渡してくれた。私はお礼を言って帰った。
ただし、6月上旬のいずれの日についても「(その日には)行っていない」と証言した。
《村木被告の主張》
省内で課長から報告書を手交した記憶はないし、そのようなことは(事務慣行上)あり得ない。
検察側証人と弁護側証人の法廷証言で、食い違っているのは報告書の交付の場面のみであり、それ以外については証人間の証言に食い違いが見られず、検察側冒頭陳述がことごとく覆されている状況です。
一方で、これら証人たちは、捜査段階では検察側が構築するストーリーに準拠した供述調書に署名しているわけで、その点にも唖然とするばかりです。
ps 4/10 凛の会の河野氏と木村氏を混同していましたが、記事を修正しました。
いままでの公判に関するニュースを総合すると、検察側のストーリーが証人の証言によってほぼ全面的に否定されています。今までの公判で判明した事実をまとめてみたいと思います。
《登場人物》(肩書は事件当時)
村木厚子氏(この裁判の被告人):厚生労働省障害保健福祉部企画課長
上村勉氏:同課社会参加推進室係長
塩田幸雄氏:厚生労働省障害保健福祉部長
石井一氏:民主党議員
河野克史氏:「凛の会」発起人
倉沢邦夫氏:「凛の会」会長(元石井議員秘書)
木村英雄氏:「凛の会」(元新聞記者)
《【郵便不正事件】検察側冒頭陳述要旨》(2010/01/28 産経新聞)を底本とし、その後の法廷における証人の証言をもとに、実際にあったらしいことを再現してみます。供述調書と法廷証言が食い違っているときは、法廷証言が正しいとしました。検察側冒頭陳述部分を〈 〉でくくり、その中で、法廷証言に基づいて修正した部分を“ ”でくくって示しました。
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〈河野氏は低料第三種郵便を悪用する目的で、平成16年2月下旬、倉沢氏に石井国会議員へ口添えを依頼するよう指示“していない”。〉
凛の会の木村氏は倉沢被告と共に石井一・民主党参院議員(75)に口添えを頼んだとされるが「会った記憶がない。検事にもそう言ったが聞き入れられなかった」と法廷で証言した。
倉沢氏は、「国会議員の事務所から来た」と(役所に)陳情すると、ていねいに応接していただいた経験を持っていた。そういう意味で、『石井議員の事務所のものだ』と名乗る許可を求めて石井議員の事務所を訪ねた。それ以外に期待したことはなかった。
倉沢氏が石井事務所を訪問した当日、石井議員本人はゴルフに出かけていて留守だった。
〈石井議員は当時の塩田障害保健福祉部長に電話を“かけなかった”。当然、証明書の発行を要請“しなかった”。〉
〈塩田部長は村木課長に便宜を図るよう指示“しなかった”。村木課長は企画課長補佐に担当者を紹介するよう指示“しなかった”。〉
元課長補佐が証人出廷し、捜査段階で村木被告から「担当者を紹介してあげてください」などと指示されたとの供述調書に署名していることについて「わたしはずっと『記憶にない』と話した」と述べた。
2月下旬、倉沢氏は、凛の会に認可をもらう手続きのために、厚労省の係長(上田被告の前任係長)を訪問した。このとき、倉沢氏は村木被告に会い、『石井一事務所の倉沢と申します。障害者支援団体の件で相談に上がりました』と述べた。村木被告はそれに対し『ああ、そうですか』と言った程度であり、名刺交換はしていない。
村木被告は、このときのやりとりを記憶していないと証言している。何年も前に行われたこの程度のやりとりを記憶していなくても、何ら不自然ではない。
〈村木氏は上記のように倉沢氏と会話しただけで、説明を受け“ていない”。従って、倉沢氏を塩田部長に会わせ“ていない”。以後、村木課長ら担当者間では、実体がどうあれ発行が決まっている「議員案件」と位置づけ“ていない”。〉
倉田氏から話を聞いた元係長は法廷で、村木被告に報告したかは「覚えていない。おそらく報告もしていないし、まったく指示も受けていない」と話した。
元係長は、16年4月に自身が異動する際、後任の上村被告に「石井議員がらみで、障害者団体としての実態はよく分からないから慎重にやるように、と引き継いだ」とも証言した。
上村氏は4月1日付で係長となったが、凛の会から審査資料はまったく提出されていなかった。
〈日本郵政公社に実体がないことを気づかれると危惧した河野氏は、厚労省から近く証明書を発行する予定だと伝えてもらおうと考えた?が、その話を受けた倉沢氏は、5月中旬、企画課に赴“いていない”。従って、村木課長は面前で公社東京支社に電話し“ていない”。〉
被告側冒頭陳述によると、村木被告が企画課から日本郵政公社東京支社に電話をかけたとの検察官の主張についても、通信記録は存在しないし、支社長も電話を受けたと述べていない。
〈6月上旬、上村係長は村木課長に問題点を伝え“なかっ”た。それでも発行していいか指示を仰“がなかった”。村木課長は「先生からお願いされて部長からおりてきた話だから、決裁なんかいいんで、すぐに証明書を作ってください。上村さんは心配しなくていいから」などと告げ“なかっ”た。〉
上村被告は検察側の質問に対し、村木被告を含む上司には「まったく報告していない。一刻も早くこの雑事を片付けたかった」と証言。証明書は6月1日ごろに自分で作成した、と証言した。
〈村木課長は部長に発行を伝え“なかった”。部長は国会議員に電話で報告し“なかっ”た。〉
元部長(塩田氏)は、検察側の尋問に対し、村木被告から「証明書を渡した」と報告を受けた後に石井議員に連絡したという内容の供述調書についても、「電話の交信記録があると検事に言われたので論理的に判断したが、書かれてあることは事実ではない」と証言した。公判で一転させた理由として、最近になり、検事から交信記録はないと聞かされた▽倉沢被告が公判で「(私と)会ったことがない」と証言した▽上村被告が「村木被告の指示を受けていない」と供述を翻していると報道された-ことなどを挙げ、「この話が壮大な虚構ではないかと思った」と述べた。
〈上村係長は稟議書だけでも残した方が言い訳しやすいと考えた?が、村木課長は「もう気にしなくていいですよ。忘れてください」などと告げ“なかっ”た。〉
---ここまでは、法廷での証人の証言の間に矛盾が見られません。---
ところが1点だけ、「出来上がった報告書は、誰が誰にどこで手渡したのか」という点において、証人間の証言が食い違っています。
《検察側冒頭陳述》
〈上村係長は6月上旬、深夜に書面を作り、翌早朝ごろ企画課長の公印を押して5月28日付の虚偽の証明書を作成し、村木課長に手渡した。
村木課長は証明書を受け取りにきた倉沢に証明書を交付した。〉
《上村被告の公判での証言》
上村被告は、報告書を作成した直後に厚労省の隣の建物の喫茶店で、自称障害者団体「凛(りん)の会」発起人河野克史被告(69)に渡したと述べた。
《河野被告の証言》
上村被告から受け取ったことは100%ない。
《倉沢被告の証言》
課長(村木被告)が厚労省の封筒の上に、2行ぐらいの短い書類を載せて『ご苦労さまです』と手渡してくれた。私はお礼を言って帰った。
ただし、6月上旬のいずれの日についても「(その日には)行っていない」と証言した。
《村木被告の主張》
省内で課長から報告書を手交した記憶はないし、そのようなことは(事務慣行上)あり得ない。
検察側証人と弁護側証人の法廷証言で、食い違っているのは報告書の交付の場面のみであり、それ以外については証人間の証言に食い違いが見られず、検察側冒頭陳述がことごとく覆されている状況です。
一方で、これら証人たちは、捜査段階では検察側が構築するストーリーに準拠した供述調書に署名しているわけで、その点にも唖然とするばかりです。
ps 4/10 凛の会の河野氏と木村氏を混同していましたが、記事を修正しました。
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