弁理士の日々

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原発事故政府事故調中間報告~事故後の国の対応・事故対策

2012-05-11 22:08:50 | サイエンス・パソコン
このブログでは、政府が設けた東京電力福島原子力発電所における事故調査・検証委員会の「2011.12.26 中間報告」から、注目される項目をピックアップして内容の抜粋を紹介してきました。

3月11日に福島第一原発を津波が襲った以降、事故の被害を最小限にくい止めるためにどのような措置が執られ、その措置は適切な措置だったのか否かについて、第一原発の構内で行われていた対応に関しては、とりあえず1号機ついて1月8日に原発事故政府事故調中間報告~1号機の初期状況、3号機について5月8日に原発事故政府事故調中間報告~3号機の初期状況として記事にしました。

マスコミは事故直後以来、まずは「東電が原子炉の廃炉を恐れて対応が遅れたが、官邸が叱咤して対応させた」と報道し、その後は「政府・東電本店の対応、とりわけ管総理の対応が悪かったので事態を悪化させた」との報道に変化しました。
このような点について、今回の中間報告はどのように認識しているのでしょうか。中間報告の「Ⅲ 災害発生後の組織的対応状況」から抜粋してみました。

末尾の抜粋を読んでいただくとわかるのですが、政府事故調は、中間報告で以下のような評価を行っています。
(1) 原子力安全保安院は経産省にある緊急時対応センター(ERC)に原災本部の事務局を設置し、伊藤哲朗内閣危機管理監は、緊急参集チームのメンバーを官邸地下にある官邸危機管理センターに招集しました。ところがこれとは別に、管総理が官邸5階にコアメンバーを呼び出して独自の議論と指示出しを行いました。
法定の組織(原災本部事務局、官邸危機管理センター)にさらに官邸5階が乱立し、統一の取れた対応が困難になりました。
(2) ERCの原災本部事務局には情報が集まりません。東電本店とオフサイトセンターは現地との間にテレビ会議システムを立ち上げてリアルタイムで情報を入手できる体制を整えていたのですが、ERCメンバーは同じシステムをERCにも導入しようという発想をもつ者がいませんでした。
(3) 情報を持たない保安院が出す指示は、時期に遅れたものばかりで、実際の役には立ちませんでした。
(4) 官邸5階からは、東電の武黒フェローらが現地の吉田所長にあれこれ官邸の意向を電話しました。しかしその意向のうちで採用すべきものは、すでに現地の判断で実施検討開始されていましたし、現地の方針と異なる意向については、現地の吉田所長が官邸の方針ということで重く受け止め、かえって対応を誤らせた可能性があります。
(5) 現地には保安院の保安検査官が駐在していました。しかし現地本部のメインテーブルに常駐することがなく、情報を迅速的確に入手できませんでした。さらに理由を付けて現地から撤退してしまいました。こうして、保安院の現地の目となることができませんでした。
(6) 以上のように、国の対応は事故を収束する上で何の役割も果たしておらず、「あのときにこうしていたらもっと良い結果が得られた」というような「惜しい!」という場面は皆無だったのです。
(7) 中間報告では、原子力安全委員会の活動結果評価がまだ不足しています。

マスコミでは事故時の対応として「政府の対応」に注目が集まりますが、この事故調査委員会は、「現地の対応には、さまざまなミスはあったが、少なくとも怠慢はなかった。一方、政府の対応の善し悪しは、今回の事故対応においてクリティカルな影響を及ぼしていない」と認識していたようです。政府事故調は中間報告の段階では管元総理に事情聴取を行っていませんでしたが、あまり興味がなかったのでしょう。
以下に中間報告からの抜粋を載せます。

--抜粋はじめ-----------------------------
Ⅲ 災害発生後の組織的対応状況
1 原災法、防災基本計画等に定められた災害対応
(1)総論
、原子力災害対策特別措置法(「原災法」)は、原子力災害の予防に関する原子力事業者の義務、原子力緊急事態宣言の発出、原子力災害対策本部(「原災本部」)の設置、緊急事態応急対策の実施等について規定している。
・・・
(2)原災法第10条に基づく通報後の対応
① 保安院は、原子力防災管理者から10条通報を受けると、・・・経済産業大臣を本部長として経済産業省に設置される同省原子力災害警戒本部(「警戒本部」)において、事故対応に当たる。
・・・
② 内閣官房は、官邸地下にある官邸危機管理センターに官邸対策室を設置し、情報の集約、内閣総理大臣への報告、政府としての総合調整を集中的に行うとともに、事態に応じ、政府としての初動措置に関する情報集約を行うため、各省庁の局長等の幹部(緊急参集チーム)を同センターに参集させる。
③ 安全委員会は、直ちに、緊急技術助言組織を立ち上げる・・・。
④ 現地に駐在している原子力保安検査官事務所の職員は、直ちにオフサイトセンターに参集し、現地警戒本部を設置するとともに、原則として2名の原子力保安検査官(「保安検査官」)が現場に赴き、現場確認を行う。
(3)15条事態発生時の対応
保安院が、実用炉において原災法第15条第1項の規定する事態(原子力緊急事態)が発生したと判断した場合、政府は、以下のとおりの対応をとることとされている。
① 保安院は、経済産業省に設置される原子力災害対策本部において事故対応に当たる。

③ 内閣総理大臣は、原子力緊急事態宣言を公表し、自らを本部長、経済産業大臣を副本部長とする原災本部を内閣府に設置する。
この原災本部の事務局は、保安院長を事務局長として、経済産業省別館3階にある経済産業省緊急時対応センター(ERC)に置かれ、六つの機能班(総括班、放射線班、プラント班、医療班、住民安全班、広報班)から成る。
④ 官邸対策室は・・・。
⑤ 現地においては、経済産業副大臣を本部長として、国の原子力災害現地対策本部(「現地対策本部」)をオフサイトセンターに設置する。(47ページ)

2 事故発生後の国の対応
(1)国の対応の概観
平成23 年3 月11 日14 時46 分の地震発生直後、経済産業省は、震災に関する災害対策本部を設置し、被災地に所在する原子力発電所の原子炉の状況等に関する情報収集を開始した。他方、官邸においては、同日14 時50 分、伊藤哲朗内閣危機管理監(「伊藤危機管理監」)は、地震対応に関する官邸対策室を設置するとともに、関係各省の担当局長等からなる緊急参集チームのメンバーを、官邸地下にある官邸危機管理センターに招集した。
・・・
(2)保安院の対応
保安院は、3 月11 日14 時46 分の地震発生以降、ERC に必要人員を参集させ、六つの機能班(総括班、放射線班、プラント班、医療班、住民安全班、広報班)を編成し、情報収集や必要な対応を行う態勢を整え、さらに、原災本部が官邸に設置されると同時にその事務局がERC に設置された。
  ・・・・
東京電力本店においては、事故発生直後から、社内のテレビ会議システムを用いて福島第一原発の最新情報を得ており、このシステムは、12 日未明までには、保安院職員が派遣されていた現地対策本部(オフサイトセンター)でも使用できるようになり、プラント情報等が共有されていた。
しかしながら、ERC にいたメンバーには、東京電力本店やオフサイトセンターが、社内のテレビ会議システムを通じて福島第一原発の情報をリアルタイムで得ていることを把握していた者はほとんどおらず、情報収集のために、同社のテレビ会議システムをERC に持ち込むといった発想を持つ者もいなかった。また、迅速な情報収集のために、保安院職員を東京電力本店へ派遣することもしなかった。
ERC での情報収集は、例えば、原災本部事務局プラント班の保安院職員が、ERC詰めの東京電力職員に対し、携帯電話で同社本店からプラントパラメーターの情報を収集させ、電話をつないだまま電話口で、口頭で報告させるといった方法で行っていた。
保安院の東京電力に対する指示・要請は、そのほとんどが「正確な情報を早く上げてほしい。」というものであり、時折、監督官庁として具体的措置に関する指導・助言を行うものの、時宜を得た情報収集がなされなかったために、その指導・助言も時期に遅れ、又は福島第一原発のプラントやその周辺の状況を踏まえないものであることが少なくなかった。あるいは、保安院の指示は、既に実施し、又は実施しようとしている措置に関するものが多かったため、現場における具体的な措置やその意思決定に影響を与えることはほとんどなかった(例えば、3 月12 日朝に行われた福島第一原発1 号機のベントの実施命令の発出。また、同日夕方に行われた同原発1 号機への海水注入命令の発出)。(55ページ)

(3)官邸危機管理センター(緊急参集チーム)の対応
3 月11 日14 時46 分の地震発生直後から、官邸地下にある官邸危機管理センターにおいては、緊急参集チームとして、保安院その他の関係省庁の局長級職員や担当職員が集まり、各地の被災状況に関する情報を収集するとともに、避難、物資・機材の調達その他の被災者支援のため必要な対応を検討し、関係部署に対して必要な指示・要請をするなどしていた。
ただし、官邸地下においては、情報保全のため平時から携帯電話が使用できず、携帯電話で事故情報を迅速かつ機動的に収集することが困難であった。また、地震発生後は、原発事故だけでなく、地震・津波等に関する情報収集や連絡も並行して行われたため、回線が混雑し、FAX により関係省庁等から福島原発事故等に関する情報を収集することも困難な状況にあった。
他方、後記(4)のとおり、菅総理ら官邸5 階にいたメンバーは、地震・津波発生以降、官邸5 階の総理大臣執務室又はその隣室等において、避難区域の設定、福島第一原発内の各プラントの現在及び将来の動向とそれへの対応等について検討・決定していたが、緊急参集チームのメンバーは、その経緯を十分把握し得なかった。(57ページ)

(4)官邸5 階
また、この官邸5 階での協議においては、単にプラントの状況に関する情報を収集するだけではなく、入手した情報を踏まえ事態がどのように進展する可能性があるのか、それに対しいかなる対応をなすべきか、といった点についても議論され、その結果、主に東京電力の武黒フェローや同社担当部長が、同社本店や吉田所長に電話をかけ、最善と考えられる作業手順等(原子炉への注水に海水を用いるか否か、何号機に優先的に注水すべきかなど)を助言した場合もあった。
ほとんどの場合、既に吉田所長がこれらの助言内容と同旨の判断をし、その判断に基づき、現に具体的措置を講じ、又は講じようとしていたため、これらの助言が、現場における具体的措置に関する決定に影響を及ぼすことは少なかった。しかし、いくつかの場面では、東京電力本店や吉田所長が必要と考えていた措置が官邸からの助言に沿わないことがあり、その場合には、東京電力本店や吉田所長は、官邸からの助言を官邸からの指示と重く受け止めるなどして、現場における具体的措置に関する決定に影響を及ぼすこともあった(1 号機原子炉への海水注入、2 号機原子炉の減圧・注水等、3 号機原子炉への淡水注入)。(59ページ)
(5)安全委員会の対応
(6)他の政府関係機関等の対応
(7)福島第一原子力保安検査官の活動の態様
3 月11 日14 時46 分の地震発生当時、保安院職員としては、原子炉の定期検査等のため、福島第一原子力保安検査官事務所の保安検査官7 名全員及び保安院本院職員1 名が、福島第一原発敷地内におり、・・・5 名が福島第一原発敷地内に残り、同発電所敷地内の免震重要棟内において、情報収集及び保安院への報告に当たった。
当時、保安院等への連絡は、屋外に駐車した福島第一保安検査官事務所の防災車に搭載された衛星電話を用いて行っていたが、放射線量の上昇に伴い屋外に出ることが困難になり、この電話を用いた連絡ができなくなったことから、3 月12 日5 時頃、前記5 名は、福島第一原発から退避することとし、ERC にいた保安院原子力防災課長の了承を得た上で、オフサイトセンターに退避した。
前記5 名がオフサイトセンターに戻った後の翌13 日未明、海江田経産大臣から、現地に保安院職員を派遣して原子炉への注水作業を監視するようにとの指示があった・・・。
現地対策本部は、・・・4 名の保安検査官の福島第一原発への再派遣を決め、この4 名は、13 日7 時40 分頃から、再び福島第一原発敷地内に常駐し、ローテーションを組んで、情報収集及びオフサイトセンターへの報告を行う態勢をとった。
再派遣された4 名の保安検査官は、免震重要棟内の緊急時対策室に隣接する一室において、東京電力職員からプラント状況等に関する資料を受け取り、東京電力から貸与された同社内部のPHS を用いて、オフサイトセンターに置かれた現地対策本部プラント班に、これらの資料の内容等を報告していたが、免震重要棟の外に出て注水現場を確認することはなかった。
・・・
3 月14 日午後、同日11 時頃の3 号機原子炉建屋の爆発や、その後の2号機の状況悪化を受け、前記4 名の保安検査官は、福島第一原発敷地内にとどまった場合には自分たちにも危険が及ぶ可能性があると考え、オフサイトセンターへ退避することについて現地対策本部に指示を仰いだが、明確な回答が得られなかったため、同日17 時頃、退避することを決め、現地対策本部にその旨を伝えた上で、オフサイトセンターに退避した。
さらに、翌15 日、この4 名を含む福島第一原発担当の全ての保安検査官は、他のオフサイトセンター要員と共に、福島県庁に移動した。
--抜粋おわり-----------------------------
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