弁理士の日々

特許事務所で働く弁理士が、日常を語ります。

東京の街中に残る川の痕跡

2010-11-28 10:11:48 | 杉並世田谷散歩
日経新聞11月18日夕刊「らいふプラス」の欄に
「街探検、川の跡 見~つけた/ネットで古地図と現在比較」
という記事が載っています。

『普段、何気なく歩いている近所の遊歩道。そこが実は、かつて川だった、と聞くと驚く人が多いのではないだろうか。都市化に伴い、日本全国の多くの地域で、小さな河川は暗きょ化され、道路や遊歩道に生まれ変わっている。だが、注意深く歩くと、川だった時代の痕跡があちこちに見つかる。インターネットも活用しながら、身近な場所で、懐かしい過去の風景に思いをはせる。こんな趣味が静かに広がっている。』

何を隠そう、私も隠れ川跡フェチなのです。
杉並・世田谷の道々を散歩で回って、「ここは昔のどぶ川の跡ではないか」という怪しい路地が見つかるとわくわくし、その路地に分け入っていきます。
どのような場所が川跡かというと、
○ ものすごく狭い路地だが、くねくねとどこまでも続いている
○ 両側が段になって高くなっているところが多く、いかにもその路地が昔どぶ川だった風情である
○ 道路と交差する箇所に自転車止めの柵があり、「遊歩道」と書かれていることが多い
などの特徴を備えているところです。

杉並・世田谷は、戦前から終戦直後にかけては畑だったところが多く、畑の真ん中をくねくねと流れていた川が、その後の宅地化の時代にもそのまま川として残り、最後にどぶ川に蓋をされて暗渠化した、ということでしょう。暗渠になった後もそこは空間のままで残り、今では遊歩道と名前を変えて路地として残っているのです。

杉並の善福寺川北岸にある川跡を一つ紹介しましょう。
このグー地図を開いてみてください。
地図の真ん中あたりに、南北にくねくねと鎖線が走っています。この鎖線は、成田東一丁目と松ノ木一丁目との境界を示す線なのですが、同時に私が紹介しようとする川跡路地の位置をも示しています。この線に沿って歩くと、人がすれ違うのがやっとという狭くてじめじめした路地に入り込み、そしてその路地が延々とどこまでも続くのです。南の和田堀公園から北上した場合、五日市街道と交叉したあたりまで続き、そこで消滅しています。

ネットで検索したら、この川跡、善福寺川 リバーサイド Blog松ノ木支流という名称で紹介されていました。

日経新聞記事では、川跡の探し方をいくつか紹介しています。その一つは、過去の航空写真を見ると、川は黒い筋のように写っているので見つけることができるというものです。グー地図が便利だとしています。それでは上のグー地図をもう一回見てみましょう。この地図に「昭和22」「昭和38」というボタンがありますが、このボタンを押すと、その当時に撮影された航空写真に切り替わります。今回紹介した路地はとても細い川の跡なので、さすがにグー地図でも川として認識することは困難なようです。

ところで、村上春樹著「ねじまき鳥クリニクル」に路地が登場します。主人公の家のブロック塀の向こうにある路地で、長さは300m、主人公の僕が笠原メイに出会い、古い井戸を見つけたあの路地です。今は入り口も出口もありませんが、昔はあったとのことです。私はこの路地も、川跡であるに違いないと踏んでいるのですがどうでしょうか。
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