私は高校時代に2年ほどサッカー部に所属していました。東京ではけっこう強豪で、私が2年のときに東京都ベスト4に入ったりしました。大学の附属高校で、附属中学から大勢上がってきます。その中学にサッカーに熱心な先生がいらっしゃったので、中学ではサッカーが盛んだったのです。その連中が高校でもサッカー部で活動するので、強豪であり得たということです。
今では、中学から始めたのでは遅すぎるぐらいですが、何しろ40年以上前のことです。中学からサッカーを始めていれば十分に上手な人となり得ました。
しかし私の代は谷間の世代でした。中学からサッカーをやっていた連中が2名を除いて皆退部してしまい、私を含めて高校で始めたメンバーばかりになってしまったのです。中学では山岳部(私)、野球部、水泳部、陸上部、柔道部だった者の集まりになりました。これでは強豪の仲間には入れません。
それに対し、われわれの先輩世代ははるかに強豪でした。
サッカー部のOB懇親会が毎年開かれ、私も10年ほど前に1回だけ参加したことがあります。すると、先輩世代は元気も元気、現役時の活躍を自慢しあっています。私はすごすご退散し、以後は参加していません。
その懇親会の二次会で、隣に座っていらしたのが7年先輩の畔柳(くろやなぎ)信雄という方でした。三菱銀行の取締役と紹介されました。それが現在の三菱UFJフィナンシャル・グループ社長の畔柳氏です。
2004年に東京三菱銀行の頭取になられて以来、テレビや新聞でお顔を拝見するたびに「あっ、サッカー部だ!」と叫んでいます。
今では、モルガンスタンレー問題で世界の経済に影響を与える存在になっているのですね。
10月30日の日経朝刊に、MUFGが1面広告を出しています。畔柳信雄社長とキャスターの八木亜希子さんの対談です。リクルート記事のようです。なになに?
「スポーツはサッカー(30歳半ばまでプレー)」と紹介されています。
社会人の新人時代:
「社会人になりたての頃は楽しくてしょうがなかったですね。というのも、私は中学生の時からずっとサッカー一筋で、高校時代にはチームが全国大会ベスト4に入り、大学でも当然のように体育会サッカー部に所属していました。ですから毎日毎日が厳しい練習の繰り返しだったのです。ところが会社へ入ったら、それほど体力をすり減らすこともない。」
それから:
入社5年目で通産省に出向し、「日本の産業は今後どう進むべきか」を議論し、その中で情報産業を育てるためのプロジェクトを起こし、身を粉にして働きました。
入社して21年目、1985年、“銀行のシステム”を立ち上げるため、システム部の部長代理として全体を取りまとめる役目を任されます。
そのときどき、どのような想いで働いていたのか:
「『FOR THE TEAM』でベストを尽くそうとするサッカー精神ですね。どんな場面でも、まずは全力を出し切ってみる。すると状況を打開できたり、新しい道が開けたりするものです。」
最近は入社式のあいさつで、新渡戸稲造の言葉を引用:
「TO KNOW(知ること)」「TO DO(成すこと)」は大切。しかしそれらより更に大切なのは「TO BE(如何にあるべきか)」ということ。どういう人間であるか、どういう社会人であるか、どういう存在であるかが大事と説いているわけです。
畔柳社長の現在の「TO BE」はどのようなことですか:
サッカーで言えば、会社という壮大なチームの中で、「FOR THE TEAM」でベストを尽くすということ。これからも、身体を張って、全力でプレーし続けますよ。
(以上)
なるほど。さすが私のサッカー部の先輩だけのことはあります。今でも思考の中心にサッカーがあるのですね。
これからもますますのご活躍を祈念しております。
今では、中学から始めたのでは遅すぎるぐらいですが、何しろ40年以上前のことです。中学からサッカーを始めていれば十分に上手な人となり得ました。
しかし私の代は谷間の世代でした。中学からサッカーをやっていた連中が2名を除いて皆退部してしまい、私を含めて高校で始めたメンバーばかりになってしまったのです。中学では山岳部(私)、野球部、水泳部、陸上部、柔道部だった者の集まりになりました。これでは強豪の仲間には入れません。
それに対し、われわれの先輩世代ははるかに強豪でした。
サッカー部のOB懇親会が毎年開かれ、私も10年ほど前に1回だけ参加したことがあります。すると、先輩世代は元気も元気、現役時の活躍を自慢しあっています。私はすごすご退散し、以後は参加していません。
その懇親会の二次会で、隣に座っていらしたのが7年先輩の畔柳(くろやなぎ)信雄という方でした。三菱銀行の取締役と紹介されました。それが現在の三菱UFJフィナンシャル・グループ社長の畔柳氏です。
2004年に東京三菱銀行の頭取になられて以来、テレビや新聞でお顔を拝見するたびに「あっ、サッカー部だ!」と叫んでいます。
今では、モルガンスタンレー問題で世界の経済に影響を与える存在になっているのですね。
10月30日の日経朝刊に、MUFGが1面広告を出しています。畔柳信雄社長とキャスターの八木亜希子さんの対談です。リクルート記事のようです。なになに?
「スポーツはサッカー(30歳半ばまでプレー)」と紹介されています。
社会人の新人時代:
「社会人になりたての頃は楽しくてしょうがなかったですね。というのも、私は中学生の時からずっとサッカー一筋で、高校時代にはチームが全国大会ベスト4に入り、大学でも当然のように体育会サッカー部に所属していました。ですから毎日毎日が厳しい練習の繰り返しだったのです。ところが会社へ入ったら、それほど体力をすり減らすこともない。」
それから:
入社5年目で通産省に出向し、「日本の産業は今後どう進むべきか」を議論し、その中で情報産業を育てるためのプロジェクトを起こし、身を粉にして働きました。
入社して21年目、1985年、“銀行のシステム”を立ち上げるため、システム部の部長代理として全体を取りまとめる役目を任されます。
そのときどき、どのような想いで働いていたのか:
「『FOR THE TEAM』でベストを尽くそうとするサッカー精神ですね。どんな場面でも、まずは全力を出し切ってみる。すると状況を打開できたり、新しい道が開けたりするものです。」
最近は入社式のあいさつで、新渡戸稲造の言葉を引用:
「TO KNOW(知ること)」「TO DO(成すこと)」は大切。しかしそれらより更に大切なのは「TO BE(如何にあるべきか)」ということ。どういう人間であるか、どういう社会人であるか、どういう存在であるかが大事と説いているわけです。
畔柳社長の現在の「TO BE」はどのようなことですか:
サッカーで言えば、会社という壮大なチームの中で、「FOR THE TEAM」でベストを尽くすということ。これからも、身体を張って、全力でプレーし続けますよ。
(以上)
なるほど。さすが私のサッカー部の先輩だけのことはあります。今でも思考の中心にサッカーがあるのですね。
これからもますますのご活躍を祈念しております。
俊輔さんの叔父さんが、畔柳信雄さんと高校同級生だったのですね。ということは、叔父さんは私の先輩になられます。
私は、サッカー部OB懇親会の二次会で畔柳さんに1回お会いしたきりで、あとはテレビでご尊顔を拝するのみです。
俊輔さんは畔柳さんとお会いになるチャンスが多いのでしょうか。
俊輔さんのコメントが2つダブっていますので、一方を消去しておきますね。
ちなみに父に確認したところ父の兄も畔柳さんと同じ高校だったとのことでした。
父と一緒に米国にいたときは顔を合わすことはありましたが今はありません。父はたまに会うことがあるようです。
俊輔さんのお父様のご兄弟も、この高校に進学された方が2名おられたのですね。
でもそんなにいらっしゃるとは驚きです。
叔父は昨年の今頃亡くなりましたが高校、大学も一緒だったこともあり弔電を頂いたと聞いております。
ライバルであった父も珍しく感謝を述べていたぐらいですから。
三菱銀行も関わった問題を公表中
畔柳氏は御存知でしょうか? それとも畔柳氏まで
お知らせしないまま、役員らが決断したのでしょうか?
詳細はURLを押してみてください。
世にも珍しい日系社会を公開中