この5月4日、神戸で親戚の結婚式がありました。その関係で5月3日から5日にかけて神戸に滞在したので、そのときの記録を記します。
宿泊はメリケンパークにあるホテルオークラ神戸です。着いた日の夕食はホテルの近くということで(近くもないですが)、明治屋神戸中央亭に行きました。モザイクの1階です。大正15年創業の老舗洋食店ということです。ガイドブックお薦めのビーフシチューを注文しました。大変おいしいお味でした。
明治屋神戸中央亭
ホテルオークラ神戸 ホテルからの夜景 神戸大橋・ポートアイランド方向
宿泊したホテルオークラ神戸は、波止場のすぐ近くに位置しています(左上写真)。南側は海浜のメリケンパークです。われわれの部屋は南側に面しており、メリケンパークと神戸港を一望することができます。
南東方向の遠くには、神戸大橋とその先のポートアイランドが見えます(右上写真)。南方向はメリケンパークです(下写真)。手前に緑色に見えるメッシュ屋根は神戸海洋博物館、左奥のビルはオリエンタルホテルです。右端には神戸ポートタワーが見えます。真ん中遠くにある観覧車は、モザイクの施設のようです。
ホテルからの夜景 手前は神戸海洋博物館、奥は左からオリエンタルホテル、ハーバーランド、神戸ポートタワー
《メリケンパーク》
ところで「メリケンパーク」の名前の由来です。メリケンパークは、上の写真の左側にあった「メリケン波止場」と右側のポートタワー近くの中突堤の間を埋め立ててできた土地です。メリケン波止場から名前をとってメリケンパークとなりました
その「メリケン波止場」ですが、慶応4年(1868)、ここに小さな波止場が設けられ、第三波止場と名付けられました。近く(現在の神戸郵船ビル)にアメリカ領事館があったために「アメリカ領事館前波止場」と呼ばれ、それがなまって「メリケン波止場」になったとのことです。1987年にこの波止場と中突堤間を埋め立て、「メリケンパーク」となりました。
ところで、横浜にもメリケン波止場があります。今の大桟橋がそう呼ばれていたとのことです。私は関東人なので、メリケン波止場というと横浜港の情景が思い浮かびます。歌もありました。
調べたところ、淡谷のり子さんの「別れの歌」のようです。
「窓をあければ 港が見える
メリケン波止場の 灯が見える」
そうそう、そんな歌でした。
阪神淡路大震災で、元メリケン波止場は海中の土台が崩れ、半壊しました。今は半壊したまま保存され、震災メモリアルパークとなっています。
神戸港震災メモリアルパーク
震災メモリアルパークから神戸ポートタワー方向に歩くと、途中に近未来的な外形をした船が屋外展示されています。
海洋博物館 ヤマト1
調べたところ、この船(ヤマト1)は、超伝導電磁石を利用し強力な磁場を作り出し、磁場中の海水に電流を流してローレンツ力により海水を噴射するウォータージェット推進方式を採用しているそうです。1992年(平成4年)6月16日神戸港において、海上航行実験に成功したとあります。ただし、推進力が弱く、実用にはほど遠かったような印象を受けました。
ホテルオークラ神戸を出て元町方面に歩いていくと、途中に大きな魚のオブジェが待ち構えています。
「フィッシュダンス」
掲示された案内板によると、フランク・O・ゲーリーがデザイン、安藤忠雄監修で製造されたとのことで、高さ22m、チェーンリンクメッシュで作られているとあります。
《旧居留地》
元町の南側の海岸付近一帯は「旧居留地」と呼ばれています。ウィキペディアによると、『旧居留地(きゅうきょりゅうち)とは、かつて主に安政の五か国条約により外国の治外法権が及んでいたことのある区域を指す。神奈川県横浜市、大阪府大阪市、兵庫県神戸市、長崎県長崎市、の旧居留地が有名。』と紹介されています。
本日参加する結婚式は、旧居留地に位置するオリエンタルホテルで行われます。メリケンパークにあるオリエンタルホテルとは別の場所です。
集合時間まで間があるので、旧居留地を散策することとしました。
神戸郵船ビル
神戸郵船ビルは、1918年に曾禰達蔵・中條精一郎の設計により建設された近代ビルであり、当初は銅葺きの屋根と円形ドームを戴いていましたが、1945年の神戸大空襲で焼失しました。建物自体は大空襲に耐えたようで、阪神・淡路大震災の1年前に施された耐震補強工事によって、軽微な被害で震災をも乗り越えた。
ところで、メリケン波止場の語源となったアメリカ領事館は、1868年にこの地に開設されたとのことです。
商船三井ビル
商船三井ビル 大正11(1922)年に建てられました。
チャータードビル(イギリス領事館の跡地)
昭和13(1938)年、イギリスのチャータード銀行神戸支店として建てられました。イギリス領事館の跡地だそうです。
チャータードビル 1階
十五番館
旧アメリカ領事館だそうです。木骨レンガ造りの2階建てで、竣工は明治13(1880)年といいますから古いですね。国の重要文化財です。
旧神戸外国人居留地の下水道(十五番館横)
大丸神戸店東側
旧居留地に大丸神戸店が位置しています。おしゃれな建物です。東側の並木道が絵のように美しいです(上写真)。
上の写真に見える大丸のアーチの下は、屋外カフェのようになっています(下写真)。
大丸神戸店東側
38番館(大丸そば)
大丸の南川コーナーに上の38番館が位置しています。昭和4(1929)年築の、元ナショナル・シティ・バンクで、現在は大丸別館として使われているようです。
《生田神社》
結婚式が終了した後、生田神社に足を延ばしました。
生田神社
生田の森 楠の神木
夕食は、神戸元町別館牡丹園で中華をいただきました。
以下次号
宿泊はメリケンパークにあるホテルオークラ神戸です。着いた日の夕食はホテルの近くということで(近くもないですが)、明治屋神戸中央亭に行きました。モザイクの1階です。大正15年創業の老舗洋食店ということです。ガイドブックお薦めのビーフシチューを注文しました。大変おいしいお味でした。
明治屋神戸中央亭
ホテルオークラ神戸 ホテルからの夜景 神戸大橋・ポートアイランド方向
宿泊したホテルオークラ神戸は、波止場のすぐ近くに位置しています(左上写真)。南側は海浜のメリケンパークです。われわれの部屋は南側に面しており、メリケンパークと神戸港を一望することができます。
南東方向の遠くには、神戸大橋とその先のポートアイランドが見えます(右上写真)。南方向はメリケンパークです(下写真)。手前に緑色に見えるメッシュ屋根は神戸海洋博物館、左奥のビルはオリエンタルホテルです。右端には神戸ポートタワーが見えます。真ん中遠くにある観覧車は、モザイクの施設のようです。
ホテルからの夜景 手前は神戸海洋博物館、奥は左からオリエンタルホテル、ハーバーランド、神戸ポートタワー
《メリケンパーク》
ところで「メリケンパーク」の名前の由来です。メリケンパークは、上の写真の左側にあった「メリケン波止場」と右側のポートタワー近くの中突堤の間を埋め立ててできた土地です。メリケン波止場から名前をとってメリケンパークとなりました
その「メリケン波止場」ですが、慶応4年(1868)、ここに小さな波止場が設けられ、第三波止場と名付けられました。近く(現在の神戸郵船ビル)にアメリカ領事館があったために「アメリカ領事館前波止場」と呼ばれ、それがなまって「メリケン波止場」になったとのことです。1987年にこの波止場と中突堤間を埋め立て、「メリケンパーク」となりました。
ところで、横浜にもメリケン波止場があります。今の大桟橋がそう呼ばれていたとのことです。私は関東人なので、メリケン波止場というと横浜港の情景が思い浮かびます。歌もありました。
調べたところ、淡谷のり子さんの「別れの歌」のようです。
「窓をあければ 港が見える
メリケン波止場の 灯が見える」
そうそう、そんな歌でした。
阪神淡路大震災で、元メリケン波止場は海中の土台が崩れ、半壊しました。今は半壊したまま保存され、震災メモリアルパークとなっています。
神戸港震災メモリアルパーク
震災メモリアルパークから神戸ポートタワー方向に歩くと、途中に近未来的な外形をした船が屋外展示されています。
海洋博物館 ヤマト1
調べたところ、この船(ヤマト1)は、超伝導電磁石を利用し強力な磁場を作り出し、磁場中の海水に電流を流してローレンツ力により海水を噴射するウォータージェット推進方式を採用しているそうです。1992年(平成4年)6月16日神戸港において、海上航行実験に成功したとあります。ただし、推進力が弱く、実用にはほど遠かったような印象を受けました。
ホテルオークラ神戸を出て元町方面に歩いていくと、途中に大きな魚のオブジェが待ち構えています。
「フィッシュダンス」
掲示された案内板によると、フランク・O・ゲーリーがデザイン、安藤忠雄監修で製造されたとのことで、高さ22m、チェーンリンクメッシュで作られているとあります。
《旧居留地》
元町の南側の海岸付近一帯は「旧居留地」と呼ばれています。ウィキペディアによると、『旧居留地(きゅうきょりゅうち)とは、かつて主に安政の五か国条約により外国の治外法権が及んでいたことのある区域を指す。神奈川県横浜市、大阪府大阪市、兵庫県神戸市、長崎県長崎市、の旧居留地が有名。』と紹介されています。
本日参加する結婚式は、旧居留地に位置するオリエンタルホテルで行われます。メリケンパークにあるオリエンタルホテルとは別の場所です。
集合時間まで間があるので、旧居留地を散策することとしました。
神戸郵船ビル
神戸郵船ビルは、1918年に曾禰達蔵・中條精一郎の設計により建設された近代ビルであり、当初は銅葺きの屋根と円形ドームを戴いていましたが、1945年の神戸大空襲で焼失しました。建物自体は大空襲に耐えたようで、阪神・淡路大震災の1年前に施された耐震補強工事によって、軽微な被害で震災をも乗り越えた。
ところで、メリケン波止場の語源となったアメリカ領事館は、1868年にこの地に開設されたとのことです。
商船三井ビル
商船三井ビル 大正11(1922)年に建てられました。
チャータードビル(イギリス領事館の跡地)
昭和13(1938)年、イギリスのチャータード銀行神戸支店として建てられました。イギリス領事館の跡地だそうです。
チャータードビル 1階
十五番館
旧アメリカ領事館だそうです。木骨レンガ造りの2階建てで、竣工は明治13(1880)年といいますから古いですね。国の重要文化財です。
旧神戸外国人居留地の下水道(十五番館横)
大丸神戸店東側
旧居留地に大丸神戸店が位置しています。おしゃれな建物です。東側の並木道が絵のように美しいです(上写真)。
上の写真に見える大丸のアーチの下は、屋外カフェのようになっています(下写真)。
大丸神戸店東側
38番館(大丸そば)
大丸の南川コーナーに上の38番館が位置しています。昭和4(1929)年築の、元ナショナル・シティ・バンクで、現在は大丸別館として使われているようです。
《生田神社》
結婚式が終了した後、生田神社に足を延ばしました。
生田神社
生田の森 楠の神木
夕食は、神戸元町別館牡丹園で中華をいただきました。
以下次号
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