7月12日朝日新聞朝刊では、3ページ全面でシリーズ「歴史と向き合う」の第1回として東京裁判のパル判決を取り上げています。
東京裁判(極東国際軍事裁判)では、戦争犯罪とされた罪状のうち「平和に対する罪」をA級と名付け、この罪状で東条英機をはじめ28名が起訴されました。裁判の途中で死亡した2名および精神障害のため起訴を取り消された1名を除き、被告人全員が有罪とされ、7名が絞首刑、16名が終身禁固刑、2名が有期禁固刑に処せられたものです。
判決文は英文にして1212ページに及びました。インドのパル裁判官は、これを上回る長文の反対意見を述べ、全被告人を無罪とすべきことを主張しました。この反対意見書が「パル判決書」と呼ばれているものです。
私は、先の戦争の様子を少しでもよく理解するために、いつかはパル判決書を読んでおきたいと考えておりました。日本語訳も講談社学術文庫で出ています。しかし分量が生半可ではありません。文庫本なのに、上下合わせて1700ページ近く、値段も2冊で4300円です。通勤時に持ち歩くにも重くて難儀します。
最近になってやっと重い腰を上げ、文庫本の上巻を3分冊にばらし、判決文本文の最初から読み始めたところです。法律書の翻訳書ですから本当に骨が折れます。
ところで朝日新聞の3ページ特集記事ですが、関係者にインタビューした結果が記事になっていますね。わざわざパル判事の故郷であるインドまで取材に行っているようです。その一方、3ページにわたる記事を読みましたが、取材陣がパル判決書を読了した気配がありません。日本語訳があるにもかかわらず、パル判決の特集記事を書く上で本文に当たっていないということでしょうか。
これはまた浅はかですね。
パル判決書が「日本無罪論」とも呼ばれ、あたかもパルが「第二次大戦に関して日本は無罪である」と立証しているように受け取られている風潮があり、これが問題であることは確かです。「題名や後からついた尾びれが独り歩きし、読まない人たちによる“伝言ゲーム”が続いている」との評論が朝日記事でも紹介され、そのとおりと思います。しかし、取材する朝日新聞自身が「読まない人たち」の一人じゃないですか。
東京裁判の法律的な争点として、(1)連合国は、平和に対する罪について裁判に付しうると指定する権能をもつか。戦勝国だけがこのような裁判を行うのは平等原理に反しないか。(2)侵略戦争は不戦条約によっても刑事犯罪とはされていないのではないか。(3)戦争は国家の行為であり、個人に責任が帰属するとは考えられないのではないか。(4)裁判所条例の規定は事後法であり、事後法による処罰は許されないのではないか。(5)ポツダム宣言にいう戦争犯罪人とは、従来の通常の戦争犯罪を前提とした概念ではないか。(6)戦争遂行過程での殺害行為は違法といえないのではないか。(7)部下の行為について上官に刑事責任が帰属するとはいえないのではないか、などが挙げられており(日本大百科全書から引用)、パル判決書もその点をまさに問題にしています。
国が起こした行為について、その国の為政者個人の刑事責任を問うことに意味があるのか。また個人の罪を追求することで、国が国として行った行為の問題点をすべてクリアーにすることができるのか。
JCO臨界事故の刑事裁判結果(1、2、特に3)を見ても、個人を裁く刑事裁判によって事故の本当の原因を明らかにすることが困難であると痛感させられます。
同じように、第二次大戦とそれに先立つ日中戦争において、日本が諸外国の国民に計り知れない迷惑をかけたことは明らかなのですが、日本の当時の為政者を個人として裁くことで、責任の全容を解明しようとすることがそもそも無理なのです。
日本は、「東京裁判は正しかったか否か」という不毛な議論をするのではなく、東京裁判を離れ、国として真の責任をとるべく、真相解明に努めるべきです。
またそのためにも、少なくともパル判決書を読んでおくことは役に立つのではないか、そんな思いで苦労しながら読み進めています。
東京裁判(極東国際軍事裁判)では、戦争犯罪とされた罪状のうち「平和に対する罪」をA級と名付け、この罪状で東条英機をはじめ28名が起訴されました。裁判の途中で死亡した2名および精神障害のため起訴を取り消された1名を除き、被告人全員が有罪とされ、7名が絞首刑、16名が終身禁固刑、2名が有期禁固刑に処せられたものです。
判決文は英文にして1212ページに及びました。インドのパル裁判官は、これを上回る長文の反対意見を述べ、全被告人を無罪とすべきことを主張しました。この反対意見書が「パル判決書」と呼ばれているものです。
私は、先の戦争の様子を少しでもよく理解するために、いつかはパル判決書を読んでおきたいと考えておりました。日本語訳も講談社学術文庫で出ています。しかし分量が生半可ではありません。文庫本なのに、上下合わせて1700ページ近く、値段も2冊で4300円です。通勤時に持ち歩くにも重くて難儀します。
最近になってやっと重い腰を上げ、文庫本の上巻を3分冊にばらし、判決文本文の最初から読み始めたところです。法律書の翻訳書ですから本当に骨が折れます。
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ところで朝日新聞の3ページ特集記事ですが、関係者にインタビューした結果が記事になっていますね。わざわざパル判事の故郷であるインドまで取材に行っているようです。その一方、3ページにわたる記事を読みましたが、取材陣がパル判決書を読了した気配がありません。日本語訳があるにもかかわらず、パル判決の特集記事を書く上で本文に当たっていないということでしょうか。
これはまた浅はかですね。
パル判決書が「日本無罪論」とも呼ばれ、あたかもパルが「第二次大戦に関して日本は無罪である」と立証しているように受け取られている風潮があり、これが問題であることは確かです。「題名や後からついた尾びれが独り歩きし、読まない人たちによる“伝言ゲーム”が続いている」との評論が朝日記事でも紹介され、そのとおりと思います。しかし、取材する朝日新聞自身が「読まない人たち」の一人じゃないですか。
東京裁判の法律的な争点として、(1)連合国は、平和に対する罪について裁判に付しうると指定する権能をもつか。戦勝国だけがこのような裁判を行うのは平等原理に反しないか。(2)侵略戦争は不戦条約によっても刑事犯罪とはされていないのではないか。(3)戦争は国家の行為であり、個人に責任が帰属するとは考えられないのではないか。(4)裁判所条例の規定は事後法であり、事後法による処罰は許されないのではないか。(5)ポツダム宣言にいう戦争犯罪人とは、従来の通常の戦争犯罪を前提とした概念ではないか。(6)戦争遂行過程での殺害行為は違法といえないのではないか。(7)部下の行為について上官に刑事責任が帰属するとはいえないのではないか、などが挙げられており(日本大百科全書から引用)、パル判決書もその点をまさに問題にしています。
国が起こした行為について、その国の為政者個人の刑事責任を問うことに意味があるのか。また個人の罪を追求することで、国が国として行った行為の問題点をすべてクリアーにすることができるのか。
JCO臨界事故の刑事裁判結果(1、2、特に3)を見ても、個人を裁く刑事裁判によって事故の本当の原因を明らかにすることが困難であると痛感させられます。
同じように、第二次大戦とそれに先立つ日中戦争において、日本が諸外国の国民に計り知れない迷惑をかけたことは明らかなのですが、日本の当時の為政者を個人として裁くことで、責任の全容を解明しようとすることがそもそも無理なのです。
日本は、「東京裁判は正しかったか否か」という不毛な議論をするのではなく、東京裁判を離れ、国として真の責任をとるべく、真相解明に努めるべきです。
またそのためにも、少なくともパル判決書を読んでおくことは役に立つのではないか、そんな思いで苦労しながら読み進めています。
ただ、勝者の理論で事後法で裁かれたことには、どうしても納得出来ませんでした。貴方のトラックバックは非常に参考になりまいた。お礼申し上げます。
私もこの記事よんで途中までコピーしました。
ただし、朝日は裁判は問題あるが、日本の戦争責任は自分で認めよという底流で一貫していますね。判決など読んでないことはあきらかでしょうにね。詳細はどうでもいいのでしょう。細部に神が宿るのがほんとうでしょうが。
私はこれに答えるだけの知識がありませんが、戦後の米国による徹底したプロパガンダに非常にひっかかります。人間は情報操作のなかに生きているようなものだからです。
それにしても判決読まれているとのことすごいですね。
現代の価値観で当時を顧みるのではなく、同時代の目線で事件を紐解くことも大切と思います。その意味では、パル判事の目を通して事件を顧みるおもしろさがあります。
パル判決書通読は、最初の法律問題の検討が終わり、事実問題の検討に入ったところです。
パル判事は、満州事変のリットン報告書を考察しています。リットン報告書は、現代の感覚からすると、信じられないぐらい日本及び満州国に好意的だと感じました。