弁理士の日々

特許事務所で働く弁理士が、日常を語ります。

国会事故調が指摘した1号機の初期事象

2012-07-11 20:40:51 | サイエンス・パソコン
国会 東京電力福島原子力発電所事故調査委員会(国会事故調)の調査報告書(ダウンロードはこちらが便利)が公表されました。

報道では、東電や政府事故調よりも深く掘り下げ、今まで着目されていなかった事故原因が明らかになりつつある、というようなとらえ方をしています。
640ページの報告書のうち、やっと半分程度まで読み進めました。
報告書(本文)は以下の構成です。
第1部 事故は防げなかったのか?(57ページ~)
 事故発生までの対応
第2部 事故の進展と未解明問題の検証(127ページ~)
 事故発生後の対応の検証(原発そのもの)
第3部 事故対応の問題点(249ページ~)
 東電、政府、官邸、官邸及び政府、福島県、情報開示
第4部 被害の状況と被害拡大の要因(347ページ~)
 避難、防災対策、健康被害、環境汚染
第5部 事故当事者の組織的問題(487ページ~)
 東電・電事連の「虜」となった規制当局、東電の組織的問題、規制当局の組織的問題
第6部 法整備の必要性(575~585ページ)

内容については順次追いかけていこうと思います。
ここではまず、事故発生直後の各号機の挙動・対応とその評価について拾ってみます。報告書では第2部に集録されているのですが、まずページ数が少ないことに気づきます。読んでみると、3月11日から16日までの事象を、詳細に時系列に追いかけた記述になっていません。その部分はほとんど省かれています。どういうことでしょうか。詳細記述は政府事故調報告書で明らかだから、その点は省いてしまったのでしょうか。変な気がします。
私は、今までの東電報告書や政府事故調中間報告を読み、その中に「現場で何が起きていたか」が時系列で詳細に記述されていましたから、国会事故調報告書のこの薄い記述でも理解できます。しかし、国会事故調報告書を最初に読んだ人は、おそらく現場で起きていた事態を十分には把握できないことでしょう。

世の中で注目されているのは、
2.2 いくつかの未解明問題の分析または検討(207~248ページ)
です。ここでは1号機についてさまざまな視点からスポットを当てています。1号機についてひろってみましょう。

まず当ブログ記事から11日の1号機の非常用復水器稼働状況 2011-08-18
14:52 非常用復水器(IC)自動起動
15:03頃 ICによる原子炉圧力制御を行うため、手動停止。その後、ICによる原子炉圧力制御開始。
15:37 全交流電源喪失
18:18 ICの戻り配管隔離弁(MO-3A)、供給配管隔離弁(MO-2A)の開操作実施、蒸気発生を確認。
18:25 ICの戻り配管隔離弁(MO-3A)閉操作。
21:30 ICの戻り配管隔離弁(MO-3A)開操作実施、蒸気発生を確認。
--以上--
こんな時系列記述も、国会事故調報告書では不十分です。

国会報告書に戻ります。(①~④の記号は私が付けました。)
① 東電も政府事故調も、原発事故は津波によってもたらされたのであって、地震動そのものでの損傷はなかったといっているが、本当か?
 私も、地震によって主蒸気配管のギロチン破断のような大規模損傷は起こらなかったことは首肯します。一方、地震によってどこかの冷却配管に3平方センチ程度の開口が生じたことまでも「皆無だ」と言える根拠はないと思います。この点に争いはないと思いますが。

② 非常用ジーゼル発電機は津波で機能喪失したと言われているが、少なくとも1号機A系の電源は津波到来の前に機能喪失しているのではないか。
 世間では大騒ぎされていますが、多くのジーゼル発電機のうちの1機だけが対象のようです。

③ 地震直後、1号機原子炉建屋4階で激しい出水があった。この出水の原因は今でもまったく不明である。

④ 1号機で非常用復水器(IC)が自動起動した直後、操作員が手動停止した。その理由は、東電や政府事故調は「冷却速度が55℃/hを超えたから規定により停止した」と述べているが違う。炉圧の低下が激しいので冷却材が漏れているのではないかと疑って手動停止したのだ。
--以上--
上記①~④は、「まだ事故の経過を断定的に述べることはできない」ことは示すものの、「実は事故はこのように起きていた」とまで積極的に何かを指し示すほどのものではなさそうです。

《1号機ICは、フェールセーフ機能によって機能不全に陥ったのか否か》
国会事故報告書236~239ページで、1号機の非常用復水器(IC)が機能しなかった理由について論じています。
政府事故調中間報告では、ICの制御系にフェイルセーフ機能が付与されており、電源喪失によってこのフェイルセーフ機能が働き、圧力容器とICをつなぐ配管の4つの弁(電動弁)を遮断してしまったので、ICが作動しなくなった、というストーリー(だったような気がします)。
それに対して国会事故調報告書では、フェイルセーフ機能が働いた前提は「電源喪失」だが、電源喪失していれば電動弁が動かないのだから、圧力容器とICの間は遮断されなかったはずが、と論じています。
さらに、3月11日18時18分以降に、運転員がICを「オン」にしたにもかかわらず冷却ができなかった理由について、238ページで「その時点までに炉心損傷によって水素ガスが充満していたからだ」と論じています。
これはその通りではあるのですが、決して新しい議論ではありません。

このブログの記事「東電発表「1号機の非常用復水器動作状況評価」」(2011-11-23)では、
『A系の冷却水温度は、津波が来襲したときにちょうど100℃に到達しました。冷却水が蒸発して容量が減少するとしたらそれ以降です。そして、10月に確認したところA系の冷却水量が65%ということで、津波来襲後に冷却水量が80%から65%まで減少したということは、津波来襲後もA系が作動していたことを示します。
圧力容器とA系との循環ループには4つの弁(1A、2A、3A、4A)があり、1Aと4Aは格納容器の中なので状況確認できません。津波来襲時のフェールセーフ動作で閉指令が自動的に出されたものの、全閉とはならなかったのだろうと推定しています。津波来襲後もA系が作動していたことが分かったからです。
11日の21:30にA系の「開」操作を行ったにもかかわらず、A系の冷却水量は65%までしか減っておらず、ICによる冷却効果はきわめて限定的であったことがわかります。なぜ圧力容器をもっと冷やすことができなかったのか。今回の報告書に推定が記載されています。
「燃料の過熱に伴って、水-ジルコニウム反応により発生した水素がICの冷却管の中に滞留し、除熱性能が低下した可能性が考えられる。
時期は不明だが、遅くとも 12 日3時頃には原子炉圧力が低下していることから、この圧力の低下により原子炉で発生した蒸気のICへの流れ込む量が低下し、結果としてIC性能が低下した。」』
と記述しました。

つまり、去年の11月段階で、ICの冷却水量が判明したことから、圧力容器とICを結ぶ配管の弁が全閉ではない、ということを私は推測できていたのです。
そして、圧力容器内に水素が充満したことが、ICの機能不全の理由であったこともそのときから明らかでした。

《1号機のSR弁(主蒸気逃がし安全弁)は作動したか》
国会事故調報告書239~243ページでこの点を論じています。

地震発生後、ICによる冷却が機能しなければ、原子炉で発生する熱で蒸気圧が上昇します。この蒸気圧は、SR弁のバネを押し上げて逃がし安全弁の機能を果たし、格納容器へと逃げていくように設計されています。国会事故調報告書では「1号機ではSR弁のこの機能が働いていなかったのではないか」と疑問を投げかけているのです。その理由は、圧力容器配管に破損があり、その破損箇所から圧力容器から格納容器に蒸気が逃げるので、SR弁が作動するまで圧力容器圧力が上がらなかった、というものです。

この点も、さほど目新しい推理ではありません。
このブログの記事6月18日東電報告書(2)1号機(2011-06-27 )では、
『12日2時45分、圧力容器圧力が0.8MPa(8気圧)であることが判明しました。前日の20時7分には6.9MPa(69気圧)でしたから、知らないうちに圧力容器の圧が抜けていたことになります。後から考えれば、これは圧力容器の損傷を示す事象でした。一方では、消防車での注水がほぼ可能な圧に自然に下がっていたことになります。』
即ち、去年の6月には、今回の国会事故調での推理程度のことは十分に可能だったということです。

さて。
ICの機能がフェイルセーフ機能で喪失していようがいまいが、3月11日18時時点で機能しなかったことにかわりありません。
SR弁が作動していようがいまいが、圧力容器内で冷却が行われず、発生した蒸気が格納容器へと移動していたことにもかわりありません。
いずれにせよ、11日夜の段階で一刻も早く1号機の圧力容器に海水を注入すべきであったのであって、国会事故調のいう通りであろうとなかろうと、行うべき対策に変更はなかったものと思われます。

こうして読み込んでみると、少なくとも1号機の初動に関しては、国会事故調報告書によって新しい地平が見えてきた、というようなものではなさそうです。
「まだまだわからないことだらけだ」という主張については、そのとおりだと思います。
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