弁理士の日々

特許事務所で働く弁理士が、日常を語ります。

日本サッカーは強くなったか

2007-03-01 22:56:27 | サッカー
前回、セルジオ越後の「日本サッカーと『世界基準』」について記事にしました。

セルジオは1972年に日本にやってきて、藤和不動産で2年間プレーしたあと、1974年頃から日本全国で「セルジオ越後さわやかサッカー教室」の開催を始めたそうです。
「それこそ日本全国津々浦々をまわりました。今では信じられないことですが、当時の日本にはサッカーのサの字もありませんでした。」

私がサッカーをやっていたのは高校時代で、ちょうど東京オリンピック(1964年)が開催された頃です。オリンピックが始まる直前、「せっかくだからサッカーの試合でも見るか」と切符を買いに行きました。そんなときに切符が残っているはずはないと予測していました。ほとんどの競技は案の定売り切れていたのですが、2つの競技のみはまだ入場券が余っていました。ホッケーとサッカーです。当時のサッカー人気はそんなものだったと言うことです。
ということでたしか2試合分の予選の入場券をゲットし、駒沢の第二競技場に出かけた記憶があります。

当時はそのような状況でしたが、日本代表(当時は「全日本」といっていた)については東京オリンピックで善戦し、その次のメキシコオリンピックで銅メダルを獲得する活躍をしました。全日本のこの躍進には、ドイツからやって来たデッドマール・クラーマーコーチの力が大きいです。
しかしこのとき極めて不思議だったのは、実力が向上したのは当時の代表選手の、それもレギュラー組だけだったのです。それら選手が現役を退いたら、あとには何も残りませんでした。
それから、日本サッカーの冬の時代が到来です。
たまに日本リーグ(Jリーグの前身)をテレビで観戦すると、必ず途中で居眠りしてしまいます。とにかく試合がつまらないのです。
しばらくは、日本にサッカーが根付きませんでした。

セルジオが日本全国でサッカー伝道師を始めたのは、その頃のことだったのですね。セルジオがサッカー教室で出合った子どもたちの数は50万人を超えているということです。

Jリーグが始まる直前のナビスコカップの試合をニュースで見ました。正直びっくりしました。試合が面白いのです。各チームの選手はエキサイティングな試合を展開していました。「これならファンの人気を得ることができるだろう。Jリーグも成功するかもしれない」と思ったものです。
私が知らないうちに、日本のサッカーレベルは向上していたのですね。

それではJリーグ開始以降、日本のトップレベルの力は向上し続けているのでしょうか。

最近のワールドカップでの日本代表の戦績を比較してみると・・・

《1994アメリカW杯》
アジアで3位だったためアジア予選敗退(ドーハの悲劇)

《1998フランスW杯》
アジアで3位だったためアジア予選通過(ジョホールバルの歓喜)
一次リーグでアルゼンチン(ベスト8)とクロアチア(ベスト4)と同組となり、一次リーグ敗退。

《2002日韓W杯》
開催国でアジア予選免除
一次リーグでロシア、チュニジア、ベルギーと同組となり、一次リーグ突破

《2006ドイツW杯》
一次リーグでブラジル(ベスト8)とオーストラリア(優勝したイタリアに善戦)と同組となり、一次リーグ敗退

このように並べてみると、この十数年間でサッカー日本代表は強くなったのかなっていないのか、このデータだけでは判別できないですね。

前回報告した本においてセルジオは、Jリーグチームの力がアジアの中で相対的に落ちていると言っています。これからしばらく、日本サッカーは苦しい時代が続くのでしょうか。
次回W杯で日本はアジア予選を突破できるのか。そこがまず大きな壁です。
コメント
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