弁理士の日々

特許事務所で働く弁理士が、日常を語ります。

次原悦子氏と中田英寿氏

2006-09-01 00:00:22 | サッカー
文藝春秋9月号で、次原悦子氏が中田英寿について語っています(私だけが知る中田英寿の孤独)。

中田英寿が所属するサニーサイドアップの次原悦子社長が、中田から引退の決意を伝えられたのは昨年の末でした。
引退の決意を固めた理由は正確には推測できないものの、
「もしかすると、私たちがその時、交わした言葉が一番大きな引退の理由かもしれません。
「二十年やってきて、ようやく分かったんだけどさぁ、オレは団体スポーツに向かないんだよ」
「そんなこと、今頃気付いたの!」」
といっています。

中田が19歳の時、次原悦子とサニーサイドアップが中田のマネジメントを引き受けます。次原は「私もまだ二十歳代で、会社の規模も現在の十分の一程度のものでした」と書いています。次原とサニーサイドアップの発展の歴史は、中田のマネジメントと軌を一にして進んでいたのですね。

「振り返れば、彼のビジネスセンスは、ウチの会社に多くの財産を生み出しました。彼からでるアイデアもありますが、一番多いのは、彼の疑問や不満を何とかして解決しようとした努力が、いつの間にかビジネスにつながっているというパターン。」
として、いくつもの事例を挙げています。

中田のマスコミ嫌いについては、「あの事件」という表現で、フランスワールドカップ本戦前、朝日新聞がオフレコの彼の発言を「現代奇人伝」として記事にしてしまい、中田が右翼の攻撃にさらされた事件を上げています。
中田の高校時代の映像を見ると、マスコミに対して機嫌良くしゃべっています。中田をマスコミから遠ざけた朝日の態度は残念でした。

中田のサッカーセンスの進歩について
「昔、彼に「あなたのライバルは誰?」と聞いた時、「小学校の時の自分」と答えたことがあるんです。「あの頃は、プレーしていても、スタンドの上から見ているようにピッチ全体を見ることができた。」と。
 それが年をとるごとにピッチでのプレーは上達するけれど、スタンドからの目線が“下がって”きて、ついにはピッチにいる自分だけになってしまっている。一時期、それが彼の悩みだったんです。ところがここ二、三年、最近またその感覚が戻ってきたというんです。
「スタンドから見るようにピッチを俯瞰することができるようになって、完璧なサッカーを頭で描けるようになった。」
 でも、ついに彼の理想のサッカーは出来なかった。それは、彼自身の体力や技術が原因なのではなく、サッカーが団体スポーツだから。そのギャップが彼を苦しめたんだと思います。
 理想のサッカーが見えているから、自分を追い詰めなければならないし、周りを責めたくもなる。そして先ほども書いた彼の言葉が出てくるわけです。
「オレは団体スポーツに向いてないんだよ」
 そうやって導き出された答えが、現役引退だったのではないでしょうか。」

中田が人とのコミュニケーション能力をも身につけていれば、すばらしいキャプテン、すばらしい指導者になっていたのでしょうに、本当に残念なことです。
コメント (6)
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