パンセ(みたいなものを目指して)

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面白そうな「論語」

2018年01月07日 17時50分20秒 | 

何かの書評を見て興味を持ち、現在読んでいるのが「シュメル」人類最古の文明 小林登志子著
その中で何故か「論語」の話が出てきた
(シュメルでも存在した)徳政令が話題の章で、李氏篇の一節が引用されている

「国を有(も)ち、家を有つ者は、寡(すく)なきを患(うれ)へずして、均(ひと)しからずを患ふ。
 貧しきを患へずして安からざるを患ふ」
国は貧乏であっても、そんなことは心配する必要はない。問題は、国内において物が平等に分配されているかどうかであって
もし平等に分配されていないとしたら、それこそ大変なことだ

と中国史の市古宙三氏の解説が紹介されている
そしてその後 

古来より社会の安定を求める思想があり、安定した社会が成立する条件のひとつとして、
その社会を構成する人々の貧富の差が大きくないことが挙げられる。貧富の差が拡大すると社会不安を招き
政権崩壊にもつながりうるので、貧富の差の拡大を防ぐ為に為政者はしばしば現状回復を試みた。
「徳政令」もそのひとつである。

と本文は続いている
「徳政令」の話はさておき、これは今で言う「格差」があるのはよろしくないということではないか
「論語」にはこんな話もあるのか、と驚きを覚えた
「論語」といえば「温故知新」とか「不惑」とか、「友遠方より来る、、、」しか頭に浮かばなかったが
こんな話があるとは、、意外だった(知らないだけのことだが)

それで今日、映画「嘘八百」を見た帰りに書店に立ち寄って、この本を求めた

 
高校時代には「論語」などは覚えるだけで大して興味がなかったが、今、少しばかり社会や人間のことがわかってくると(?)
なかなかおもしろそうと感じるようになる
この格差はよろしくないという考えは、ピケティの「21世紀の資本」にもそれとなく書かれていた
それは「頑張ったものが報われる」とされる現世利益の自由主義・資本主義に少し意義を唱えるものだ
(現世利益はウェーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」に解説されていたような記憶があるが、、、)

中国の思想というのは理屈を積み重ねて知の体系をつくるというのではなく
あくまでも自らの体験をベースに現実的な対処法を示すように思われる(老荘は少し違うかもしれないが)
だから歳を重ねると自分の経験に結びつきそうな部分が連想できて面白いと感じるのだろう

ところで江戸時代は武士が政治を仕切っていたが、藩校では武芸のみならず四書五経(論語が入っている)が学ばれていたようだ
つまりは政治のエリートとなるような人物は「論語」から現実の世界に役立ちそうな知恵をえていたし
それらが判断の基準となりえていたかもしれない(教養として)
武士特有の何処か物事を大上段に構えた思考もあったかもしれないが、
この座学の勉強もそれなりに影響していたかもしれない(と勝手に想像する)

さてここで現代の政治家さんたちを考えると、彼らは政治的なシステムの専門家であったり言葉(詭弁)の専門家であったりする
しかし判断の専門家か?といえば、正直なところ田舎の小市民でも疑問符がつくと判断せざるを得ない 
そこには「全人格的な知」孔子が達した世界に似たものを感じさせる何かがない 
現代の政治家さんはこの論語の文章を読んで果たしてどんな感想を持つだろう
 


 

コメント
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