得意のどうでもいいこと
大相撲の人気が復活したようだ
稀勢の里や高安の日本人が活躍すれば理由もなく嬉しいと感じるのは
視野を広くして偏見を持たず国や出身地に限らず応援すべき
との正当な意見があるのは分かるが、どうしようもない自然の感情かもしれない
ところで、神事っぽい印象のある相撲だが、
なぜ京都と相撲との結びつきの印象が無いのだろうとの考えが浮かんだ
昔からのこと、神事的なこと、、とくれば京都もしくは奈良と連想するが
何か相撲は京都には合わないイメージがある
相撲の初めは「日本書紀」や「古事記」にも書かれていて
奈良には相撲の始まりに関係する野見宿禰の銅像がある神社があるとか
だったら、京都でなくても奈良でも相撲が盛んであってもいいと思うが
昔の都である地区ではなくて、相撲と言えば東京(江戸)のイメージがある
それで少しばかりネットで調べ物をすると、相撲は確かに儀式として
平安時代にも行われたようだ(知らなかったな)
その後の時代では、織田信長は相撲が好きで、上覧相撲を開催し勝ち残ったものを
家臣として召し抱えた
江戸時代ころになると相撲を職業とする人たちが生まれ勧進相撲が行われるようになった
との説明が、日本相撲協会公式サイトに紹介されている
雷電とか谷風など名前を聞いたことのある力士は、江戸と結びついている
結局、神事をまとっているが大相撲は「江戸」のイベントだったということのようだ
花よりダンゴではないが、神事より勝負事のほうが単純に一般受けしたのかもしれない
そうなのか、、と一人勝手に納得しているに過ぎないが
なんか、もやもやが消えたスッキリした気分
ところで京都ではなく大阪だったかもしれないが、新撰組が
大相撲の力士たちと喧嘩をした話がある
今で言う巡業の際だったのか、それとも定期的に行われる相撲の力士との
諍いだったのだろうか
ホント、どうでもいい話