パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

むき出しの感情、表現                                                                                                                                                                                                                                                     

2017年02月05日 08時53分16秒 | あれこれ考えること

世界中を引っ掻き回している大国のあの人
どんなに外からあれこれ言おうとも、アメリカ人が
法的に彼を選んだ事実は消しようがない

ところで彼の発言とか表現をさわりだけを見たり聞いたりしていると
一言で言えば「品がない」
それは「むき出しの感情をそのまま表現している」からだ
それがテクニックとして用いられ効果的かどうかは
わからないが、そういう手法を選択している時点で
彼の資質に対して不安を感じる

自分たちが現在市内で活動していることについて
もっと広がりを持たせるために、広報の仕方、それに伴う
表現についていろいろ話題にのぼることがある
それは、もう少しきつい表現をしたほうが一般的には
わかりやすいのではないか、、という提案だ
一見客観的なように見える表現はまどろっこしくて
一体何が言いたいかわからない、それよりは感情に直接響く
スッと入っていける表現をしたほうが良いのではないか
との提案がそれだ
それはある意味、割り切り、切り捨て、断言がなされるために話が
単純化され分かりやすくなる
そしてそれは多分ある一部の人達には容易に受けやすい(かも知れない)

なかなか広まっていかない現実を経験していると
方法論としては、それもありかなと思いつつも
どうしても安易な割り切りについてはブレーキをかけたがる自分がいる
それは特に筋だった理由ではなく、もっと別の突飛な理由からだ
その理由とは「美しくない」

「美しくない」という個人的な感覚、好みが自分の判断の基準を
意外なところで左右している
これは自分が日本人として育ってきたせいなのかもしれない
おそらく日本人はものごとをストレートに表現するよりは
そこはかとなく暗示するとか連想させるとか、感じさせるほうを
「美しい」とか「好ましい」と感じていて、あまりにも直接的な表現は
無粋だとか品がないとして 使いたがらない
この傾向が根っこにあってブレーキをかけさせているのかもしれない

ところが現代という時間は、時間の経過が 必要以上に速い
あれこれ想像させるより要点をまとめて表現する能力が重要視される
そこには「美しい」というより「効率」が優先される
もちろん、的確に要点をまとめた表現は「美しい」と感じることが
無いとはいえないだろう、しかし、その時の「美しい」と感じる感覚は
普段感じている「美しい」という感覚とは少し違ったニュアンスのものになりそうだ

この個人的な感覚にすぎない「美しい」という判断は
そうは言うものの現実的にはかなり役立っている
(自分は出来ないが)美しく整頓された部屋は心地よい
雑草の生えていない庭は心地よい、、などなど
それは部屋が整理整頓されているとどれだけ効果的かという面倒な話以前に、
気持ち良いかどうかという感情の判断に よっているが
それが実生活でもかなり役立っている

つまりは、「美しい」とか「美しくない」という基準による判断は
思いの外人間生活がうまくいくためには機能しているのではないか
ということ

むき出しの表現では平安時代は「無粋なもの」として
男どもは目的を達成できなかったようだ
現在でも多くの人が「むき出しの感情や表現は美しくない」
と思うようになることが望ましいと思うけれど
とは言うものの、新聞の週刊誌のセンセーショナルなタイトル(無粋の極みのような)を
つい拾い読みしてしまうのもまた紛れもない現実
人間さまはややこしい存在だ

でも国のトップにあるひとは
やっぱりそれなりに「美しい」行動をして欲しいものだ
これは遠い彼の国のことではなく、この国においても、、

(いったい何が言いたいのか、、
 よくまとまらなかったが、いつものこと ま、いいか)
 

 

 

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