ぜーんぜん出てこない2CVの話題。
まあ、それだけ何も無く過ごせている証拠なわけですね。
ところで、本館のページで詳しく書いているのですが
「字が多すぎて読むの面倒なんだよう」という方にざっと
説明しますと、1948年から実に1990年代の初めまで
ほとんど姿を変えずに生産され続けたとんでもない古典車です。
僕のは1987年製ですが、知らない人には戦前のクルマだと言われました。
むべなるカナです。
このクルマの成立した事情が好きで、まずこの2CVを説明するのに
この話からします。
「第一次大戦終戦で疲弊したフランス。
当時のシトロエン副社長が地方を訪ねて驚いた。
パリ市内はクルマで溢れているというのに、
そこでは未だに手押し車が荷物を運んでいたからだ。
そこで彼は早速エンジニア達にある条件を提示し、
それをクリアするクルマを作るように命じる。
●可能な限り簡潔につくる
●乗員4人が無理なく乗れる
●50キロのジャガイモが運べる
●かごに満載した卵をどんな悪路でも割らずに、50キロ出せる
エンジニア達は素晴らしい頭脳でこの難問と闘い、
そして大戦を挟んだ1948年に、ついに2CVは登場した。
でも時の大統領は、2CVをみて言葉を失った。
お世辞にも美しいとは言えない、ブリキ細工みたいなそのクルマを。
だが、このクルマのターゲットである農民たちは、
このクルマの価値を真っ先に見いだした。
2CVはやがてフランス全土を埋めつくした」
そうなのです。誰もが乗れて、誰もが所有できるアシとして、
このクルマは開発されました。設計思想がとても優しいのです。
これらの思想が生み出した結果、
「簡潔でタフな構造、広い室内、高い実用性、素晴らしい乗り心地」
を持つことが出来た2cvが、何十年も生きながらえた理由もうなずけます。
「2CVはくるまにあらず、それそのもの」
とあるシトロエンのデザイナーがそう言ったそうです。
まさしく、その言葉がぴったりです。
>>といいつつ天の邪鬼な僕は、この2CVの派生車種である
アミやディアーヌにも心を奪われる毎日なのです。とほほ。
(あ、他のクルマにも、ね^^;)
>>やっと東京も本格的に寒くなってきました。
この車、暖房あるにはあるのですが(無いと言えば無い...)、
基本はブランケット装備です。
こんなナイナイづくし・あるのは快適な乗り心地と椅子だけ
というこの乗り物、やはり捨てがたいのです。
まあ、それだけ何も無く過ごせている証拠なわけですね。
ところで、本館のページで詳しく書いているのですが
「字が多すぎて読むの面倒なんだよう」という方にざっと
説明しますと、1948年から実に1990年代の初めまで
ほとんど姿を変えずに生産され続けたとんでもない古典車です。
僕のは1987年製ですが、知らない人には戦前のクルマだと言われました。
むべなるカナです。
このクルマの成立した事情が好きで、まずこの2CVを説明するのに
この話からします。
「第一次大戦終戦で疲弊したフランス。
当時のシトロエン副社長が地方を訪ねて驚いた。
パリ市内はクルマで溢れているというのに、
そこでは未だに手押し車が荷物を運んでいたからだ。
そこで彼は早速エンジニア達にある条件を提示し、
それをクリアするクルマを作るように命じる。
●可能な限り簡潔につくる
●乗員4人が無理なく乗れる
●50キロのジャガイモが運べる
●かごに満載した卵をどんな悪路でも割らずに、50キロ出せる
エンジニア達は素晴らしい頭脳でこの難問と闘い、
そして大戦を挟んだ1948年に、ついに2CVは登場した。
でも時の大統領は、2CVをみて言葉を失った。
お世辞にも美しいとは言えない、ブリキ細工みたいなそのクルマを。
だが、このクルマのターゲットである農民たちは、
このクルマの価値を真っ先に見いだした。
2CVはやがてフランス全土を埋めつくした」
そうなのです。誰もが乗れて、誰もが所有できるアシとして、
このクルマは開発されました。設計思想がとても優しいのです。
これらの思想が生み出した結果、
「簡潔でタフな構造、広い室内、高い実用性、素晴らしい乗り心地」
を持つことが出来た2cvが、何十年も生きながらえた理由もうなずけます。
「2CVはくるまにあらず、それそのもの」
とあるシトロエンのデザイナーがそう言ったそうです。
まさしく、その言葉がぴったりです。
>>といいつつ天の邪鬼な僕は、この2CVの派生車種である
アミやディアーヌにも心を奪われる毎日なのです。とほほ。
(あ、他のクルマにも、ね^^;)
>>やっと東京も本格的に寒くなってきました。
この車、暖房あるにはあるのですが(無いと言えば無い...)、
基本はブランケット装備です。
こんなナイナイづくし・あるのは快適な乗り心地と椅子だけ
というこの乗り物、やはり捨てがたいのです。
例えばジープのように、兵器は機能第一の美があるでしょうし、ビートルは大衆の欲求を満たすための削り込んだ美がありますが、どちらも個人的にオプティミスティック以上の強さ、エグさを感じてしまいます。
2CVのゆるゆる感とは少し違うのかな?
でしたっけ?
ラテンの車に興味が出始めた頃、確かCG誌でたくさんのアヒルに囲まれた2CVの広告を見て感激しました。
存在そのものに血の通ったくるまとはこう言うものかと・・。
技術が発達した今でも血の通った暖かいくるまは生れ続けていけるはず・・そう願っています。
地方で手押し車を押す貧しい農民達の為に開発された車だったんですか!その設計思想が本当に優しさに溢れていますね。
私のシトロエンとはまるで共通点が無いように一見見えますが、乗る人に対する優しさ、思いやりが感じられる所は、2CVの頃から変わらず今にも受け継がれているのかもしれませんね。乗ると何故か癒される感覚は他車ではなかなか味わえない部分だと思っています。
2cvは、エグいほどに機能実用主義が
貫かれています。
jeepは軍用ですが極めつけの実用車、
2cvはいうならば極めつけの民具車とでも言えましょうか(笑
でもビートルと違い、そこにゆるゆるさや
おもちゃぽさがあるのが仏車らしいところ
だと思います。
しのぶくんさま>
ポルトガルでした。でもわずか数年で
終わってしまったのは、さすがに90年代の
エミッションコントロールや安全性に
対応できなかったからなのでした。
いまの車はマーケティング主導で
作られてしまっていますので、暖かさが
感じられる車は減ってしまいましたが、
でも仏車はまだまだ
「人をここちよくさせよう」というやさしさ
にあふれている気がします。
モアイさま>
エグザンティアも、DSも、2CVも、
姿形は違えど通っている血は同じだと
思っています。
その基本は、エンジニアリングが
人間のため、という方向に向いていること
ではないかと...
ハイテクのためのハイテクに陥っていない
こともまた。