ベイエリア独身日本式サラリーマン生活

駐在で米国ベイエリアへやってきた独身日本式サラリーマンによる独身日本式サラリーマンのための日々の記録

アクラ・レストラン

2022-12-12 02:12:48 | 食事
 アクラ・レストランとはマンハッタンのハーレム地区にあるアフリカ料理屋である。2022年もサンクスギビングは孤独であったので、マンハッタンへ行ってみることにした。前回はブルックリン周辺だったが、今回の滞在先は昨今ずいぶんと治安がよくなったとされるハーレム地区にしてみた。ハーレム地区といえば何といってもアフロ・アメリカン・カルチャーなので、食事は彼らの大衆食堂へ行ってみる計画だ。とはいえ一日目は到着時間が遅く、町の様子を見ないままウロウロすることに不安があったので、適当なインド料理屋でタンドリーチキンを買って宿に戻って食べた。アクラ・レストランに行ったのは二日目の夕食時だ。



この食堂の詳細は以下の通りだ、参考にしてもらいたい。



①立地
セントラル・ハーレムのメインストリートは125番通りで、アポロシアターやカジュアルブランド店などが並んでいて賑やかだ。ホールフーズ・マーケットなんかもあって、比較的富裕層的な雰囲気もあるが、通りには投げ捨てられたゴミが多くてきれいな印象はない。それにすぐそばではストリートファッションの黒人が露店をやっていたり、歩いていたりするので慣れない日本人にはやはり少し怖い印象もある。アクラ・レストランはその125番を2ブロックほど南に外れた、アダム・C・パウエル通り沿いにある。店の前にはもはやマンハッタンのシンボルと言ってもいい、落下物防止用の仮設アーケードが設置されていている。勇気を出して扉をあける。



②中に入る
中は左側が客席テーブルで、卓には黒人男性が数人座っている。一人客もおり、テレビに映るW杯サッカーの試合を真剣に見ている。ナイフフォークを使わずに手で食べている男もおり、ローカルアフリカンな空気がある。右側が注文コーナーで、ガラスで仕切られたカウンターには出来合いの総菜が器に入れられて並んでいる。カウンターには給食当番のような恰好をした大柄の黒人のおばさんがいて、彼女にこの総菜から好きなものを注文して入れてもらうスタイルのようだ。筆者は主にDMVにて黒人女性に非道く高圧的な態度で接されて傷ついた過去があるため、緊張が走る。



③注文する
しかしおばさんは、決してにこやかとは言えないが親切だった。言葉が聞き取れずに聞き返しても嫌な顔せずに答えてくれ、注文方法を『単品ずつよりもごはんとセットにすると安いけど・・』などと教えてくれる。結局、赤い液体に入った魚と豆のスープ、白米、それに鳥の砂肝を煮込んだものを注文することができた。注文を終えると奥へ進み料金を支払う。ここには黒人の若者店員が数人おり、アジア人客には愛想がない。ちなみにカードは使えず現金払いだ。


④味
筆者はテイクアウトで注文した。ここで一人で食べるには勇気が足りないという点、そして何より酒類がないという理由が大きい。宿に持ち帰り、小さなテレビ台に食事を並べて晩さん会の開始だ。まずは魚と豆のシチュー、この赤いソースは(たぶん)パーム油独特な香りがあるものの見た目ほど辛さが強くなく、魚や豆本来の味が伝わる素朴な塩味だ。魚は鯉のような肉厚な川魚風ルックスで、味は淡白な白身で悪くない。“サイドメニュー”と説明された鳥砂肝は緑色ソースで煮込まれている。これも塩味メインの優しい味で、生姜風味が効いて臭みが除かれているようだ。ただ下処理がされておらず噛みれない繊維が不快だ。どれも白米とよく合う。白米のほかに赤い豆ごはんなどもあったが、白米にしておいてよかった。ビールとワインをゴクゴク飲んで、ひとりアフロナイトを楽しむことができた。



アクラ・レストランはガーナ料理ということだ。見た目や味の印象はハートフォード市のパブス・アフリカンレストランとよく似た印象だ。よくよく考えるともともとハーレム黒人街は、南部から職と平等を求めてやってきた人によってできたはずで、彼らは母国の文化をほぼほぼ失っていたはずだ。そう思いガーナ共和国について調べると、2019年だけで100万人規模の人がガーナ国外へ移り住んでおり、そのうちの20%が北米という記事も見られた。ここ最近マンハッタンへやってきた人たちが多く、奴隷として連れてこられた人々とは異なり母国の文化を強く残している。こういった新規移民とネイティブ黒人との関係はどうなのだろうと思うところがあったが、新規移民もハーレム地区に移り住んでいるようなので、“同じ肌の色”ということで少なからず同朋意識があるのかも知れない。

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