ベイエリア独身日本式サラリーマン生活

駐在で米国ベイエリアへやってきた独身日本式サラリーマンによる独身日本式サラリーマンのための日々の記録

ホームレスの女

2022-01-15 21:35:07 | 生活
 ホームレスの女とは、筆者の長屋周辺にいる一人の女ホームレスのことである。彼女は筆者がベイエリアに舞戻ってきた2021年1月にはすでにここにいたので、おそらくこの1年をずっと宿無しで生きていることになる。だが決まったねぐらや居場所を持っていないようで、見かける場所はいつも違う。コインランドリーの前で寝ていたり、スシ屋前のバス停横に居たり、セブンイレブンの前に居たりする。悲しいことに彼女はほとんど気が狂っているので、誰も彼も彼女を相手にせず素通りする。だから時々、実は彼女は筆者にしか見えていない妖怪なのかという気になってしまうが、れっきとした実在するニンゲンだ。



この女ホームレスとの思い出は以下のとおりだ。参考にしてもらいたい。



①カリフォルニアのホームレス
筆者の長屋周辺はホームレスが多い。自動車専用道路の橋の下や防音壁の裏の植栽帯にはたいてい彼らの住処らしきものがある。スーパーマーケットや交差点にはだいたい物乞いをする人々が立っている。2021年の統計調査によれば、カリフォリニア州には16万人ものホームレスがいるとのことだ。調査の方法や基準などが違うので正確な比較とはいえないが、日本全国のホームレスが4千人弱(厚生省調べ)ということだから、アメリカの惨状が伺える。とはいえ寄付文化やキリスト教文化(教会による援助活動)などがあるので、日本よりもホームレスに生きやすい環境があるのも事実であろう。それでもその日の食うものに困り、夜露を凌ぐ場所もないといった人々を目にするのは辛いものだ。あまり語られない、自由の国の陰の部分である。



②ホームレスの女
ホームレス女の年齢は不詳だ。だがおそらく40~50代で、まだ老いを感じさせない風貌をした、あまり黒くない黒人だ。小柄で筋肉質のがっしりとした体形で、歯が無い以外には不健康さはない。ゴミと区別がつかないもので山盛りになった買い物カートといつも一緒だ。そして彼女の周辺はとても臭い。彼女はまともに会話ができないのだが、ニンゲンの接近には敏感だ。ニンゲンの接近を察知すると、きまって空に向かって大声で喚き始める。でも決して目を合わせない。本当は何かを伝えたいのだろうか、かつてニンゲンに与えられた恐怖とそれでもニンゲンに期待する救済の狭間でパニックになっているのか、ただ単に存在を誇示しているのかはわからない。が、とにかく彼女の狂った反応が、 “ニンゲンの存在” に反応して起きていることに何かもやもやするものが筆者にはあった。



③菓子や水を恵む
筆者は勤務先の同僚たちと比べると明らかに職務能力(基礎体力等も含めて)が乏しい、それでも彼らと同級の給料をもらうべく、上役にはできるだけ媚びへつらい、雑事を引き受け、暇な時でも人の目を気にして働くふりに専念している。だから職場での嬉しいことも悲しいことも他人本位の部分が大きい。その所為だろうか、一見ニンゲンのしがらみから物理的にも精神的にも解放されたかのような彼女を、それでも尚ニンゲンの存在を意識している彼女を、興味深く思ったのだ。そして筆者はちょいちょい菓子や水を彼女に恵むようになった。とはいえ筆者が恵みものを持って近づいても、彼女はチラっとこちらを見ては空に向かって喚くばかりで、全くこちらに興味を示さないふりをする。だから筆者は彼女のゴミでいっぱいの買い物カートの傍にそれらを置いていくのだ。



④だが、あるとき
だが、あるとき筆者がいつものようにペットボトルの水を車の窓から差し出したとき、彼女はしっかりとこちらを見つめて歩み寄り、笑顔でそれを受け取ったのだった。筆者は何か心が救われたような気になった。しかしその翌日に、その嬉しい気持ちのままに今度は果物を持って行ってみると、彼女はあからさまな警戒の色を浮かべ、何かを呟いて決して受け取ろうとしなかった。筆者は急に拒絶されたことがショックだったが、よく考えればその拒絶行為もまた、『こちらに何かを伝えたい』という意思がある証左であるので、何か希望めいたものを感じたのだ。ただその翌日から彼女を見かけなくなった。“ついに施設にでも入れられたのだろうか”などと思っていた。1ヵ月後に裏通りの普段行かない酒屋で彼女と再会したときには、彼女はすっかり筆者のことなど忘れたようで、空に向かって喚いていた。




 最近聞いた社会学講義のYouTube動画によれば、ニンゲンは社会の中で“演技”に忙しいとのことだ。例えば電車の中で人は、周辺のニンゲンに不安を与えないために、『人に関心のないふり』や『何かしているふり』をしていなくてはならないという。人は“自分に関心を向けてくる人”には反応しなくてはならないし、“何をしてるかわからない人”のことをたいそう恐れるからだ。だがその一方で周辺のニンゲンに対して“気づいているよ”というメッセージも送らなくてはいけないという。隣に座られると意味もなく座りなおす行為をしたりするのがそれに当たる。車内で化粧を始めたり、携帯で話されたりして不快なのは、“存在を無視された(気づかれていない)”と感じるからだそう。社会の中でニンゲンは、無意識のうちにいつもそんな複雑な運転をしており、運転が下手な人は『空気が読めない』や『マトモでない』と認定される。だから社会で生きることは疲れるのだ。だがニンゲンは孤独の方をもっとずっと辛く感じるので、運転を疎かにしないのだという。筆者はまた空に喚く彼女のカートの傍にトルティーヤチップスを置いて、酒屋を後にした。

コメントを投稿