福の小部屋

不定期日記

新撰組ツアー 京都編

2006-08-14 | 新選組!関連

日帰りで京都に行ってきました。さすがにお盆という事で行きの近鉄は満席で、予定より1本遅らせて乗る事に・・・。京都まで約3時間・・・疲れました

 

初めに向かったのは山南敬助さん達が眠る「光縁寺」へ

  

墓地へ入って行くと、大きな鬼瓦と山南さんの家紋の瓦がありました。

この家紋はこのお寺と同じだった事と、住職が山南さんと同い年と言うこともあって仲が良かったらしい。きっと見回りの帰りとか立ち寄って話しなんかしてたんだろうな~。 屯所で切腹した山南さん含め多くの隊士が眠っている。奥へ入って行ったところに、新撰組隊士の墓がありました。山南さんの墓石が大分壊れてきて文字が見えなくなっていました。 建てかえる為に募金してきました。 隣には沖田総司縁者が建てたという墓がありました。

次に壬生屯所である「八木邸」へ

 

日曜日という事もありかなりの人だった。

右の写真は、実際に新撰組隊士が毎朝稽古後などに飲んだという・・・もちろん私も飲みました。

日曜は部屋の中も見学出来るという事で、説明案内をして頂きながら見学しました。まず入った部屋に近藤勇の銅像がありました。 そこで芹沢鴨暗殺の様子を聞きました。会津藩御預の新撰組の局長である芹沢以下新見錦等はかなり悪行を繰り返していたので、会津藩より「何とかせい!=殺せ」と命ぜられた。

先に新見錦を切腹に追い込み、その後芹沢や平山などを酔わせ八木邸へ帰し、寝込みを襲った。 さすがに芹沢もこの時はパット起き、枕元にあった刀をもって立ち向かったが、隣の部屋へ行った際に真っ暗闇で、しかも机が置いてあるのを分からず、つまづき倒れたところを刺されたらしい。 この部屋の入り口上部に刀が刺さった跡が残っていました。 かなり天井なども低く、狭いこんな場所でよく刀を振り回したな~という印象です。 先月行った彦五郎さんの日野宿の方が広かった

次に隣の旧前川邸へ

八木邸を出てすぐ前で、山南さんが切腹の際、恋人明里と別れを交わしたという格子戸は今は板になっていて見ることは出来なかった。 残念!!

入り口入ってすぐ目に飛び込んできたのは、観光名所によくある顔を入れて記念撮影をする新撰組隊士がありました。 さすがに人がいっぱいで恥ずかしくて出来なかった。

ここは部屋の中は見れず、表のみで、土産ものがいっぱいあった。 ここでも刀を購入する人を見かけた。 斉藤一の短刀に竜が彫ってあってかっこよかった。 私はここで山南さんをイメージしたとうブックカバーを購入。 他にも近藤や土方・沖田などをイメージしたという柄のブックカバーが置いてあった。

  

 次に島原へ

よく新撰組隊士が遊びに来たという島原の遊郭である。

 島原の門を潜って近くの路地を右へ行くと「輪違屋」が見える。

ここに今でも近藤が落書き?した文字が板に書いてあるらしいのだが、中へ入る事は出来ない。 ここで山南さんは明里と出会った。

 

次に壬生寺へ

 

ここには近藤局長の銅像とこの左側に暗殺された芹沢・平山や切腹した勘定方の河合、池田屋騒動で亡くなった3名の隊士の墓がある。

 

次に三条大橋の繁華街まで行った。

こんな街中に見過ごしていしまいそうだが、高瀬川沿いなどいろいろ碑がある。

① ② 

桂小五郎がいた「幾松」、同じ道沿いに佐久間象山が暗殺された場所がある。そこの橋を越えて少し行くと池田屋騒動があった場所③。今はパチンコ屋になっていて、碑だけがある。 この近くに坂本龍馬が材木商・酢屋の2階を借りて海援隊の京都支部を置いていた店①があり、ピストルの練習などをしていたという。今はギャラリーとなっている。 ここから少し離れた所に龍馬暗殺があった場所(近江屋)②の碑がある。今は旅行会社になっている。

雨が降り始めてしまい、疲れてきたしだいたい見て回ったので今回はこれで帰ることにした。 行きが時間がかかった為、帰りは新幹線にした。何と京都~名古屋40分弱であった。 やはり高いだけあって速いな~

 

 


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