駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

無策無言は無能ということでは

2020年11月30日 | 政治経済
             
   新型コロナがこれからどうなるか、神のみぞ知るとはぐらかし、首相と知事が責任を押し付けあって、結局この五か月確固たることは何もしてこなかった。
 この間あったのは言い繕いの言葉と仰天のオリンピック断行宣言だけ、神様でもない菅首相がなぜ半年後には新型コロナ終息と知っているのか説明してほしい。
 新型コロナがこれからどうなるか100%正確なことは確かに神のみぞ知るかもしれないが、専門家は政治家よりも何倍も正確に予想でき、それが人間の最善手なわけで、専門家の見通しと対策を参考に手を打つ必要があった。しかし、安倍菅政権はいびつな小手先のゴーツーという経済政策に固執し、韓国や台湾でできた医療体制をまねることすらしなかった。今まで感染爆発が防げて来たのは自助によるもので、公助を担う政権は何らきちんとした指針を示さず、首相は記者会見すらしない。自分の言葉で話せないのは無能の証明と申し上げたい。

   
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日本、再発見再出発

2020年11月29日 | 人生
            

 昨夜偶然、NHKBSで日本の古民家を新潟の十日町市の里山で再生させているドイツ人建築家カール・ベンクスさん(奥さんはアルゼンチン出身)の番組を垣間見た。途中から見たので間違っているかもしれないが、子供の時から父親の影響で日本に興味を持っていたカールさん、長じて来日し日本の古民家の優れた構造や美しさを再認識し、二十年ほど前廃屋になりかけている新潟県の限界集落竹所の古民家を買い取り美しく再生させた。当初、反対した妻も竹所の自然の美しさに感動し夫婦でそこに住むようになった。
 カールさんは流暢な日本語を操り、集落の人の生活に溶け込みながら周辺の古民家をいくつか再生させて売りに出したところ、都市部から何家族もが移住してきて限界で消失しそうだった村が再生してきた。
 この竹所という村の自然の美しさは日本の田舎里山の美しさそのもので、どこかで見たことがあるなあと映像を見ていた。
 どこかで見たなあと言う日本の田舎の美しさを忘れ、優れた構造と美しさを持つ古民家を古びたと崩壊するままにしてきた日本人の中に、異国の人が入ってきて再生させているのを目の当たりにして、我々は何をしているのだと感じ、思いを形にする力の凄さ素晴らしさを見せつけられた思いがした。
 陳腐化した言い訳の常識を洗い流せば、再発見があり勇気があれば再出発出来ると強く感じた。
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推定有罪の人

2020年11月28日 | 世の中
             

   病気の診断は疑うことから始まる。物事の確かさは0%から100%までの間にあり、黒白といった二者択一できるほど単純なものではない。
 病気の診断には臨床的なものから病理学的なものまでさまざまなレベル手法があり、病気病態によって主治医が総合的俯瞰的に行っている。犯罪の裁決にも似たところがあるのではと思う。
 私は法律のことは素人だが、おそらく病気の診断に似ているところがあるだろうと思う。法律の場合は人為的な部分が多いと思うが長い歴史があり英知を集めて作り上げられたものなので、優れて妥当な構造になっていると思う。
 推定無罪は無謬でない人間のやる捜査裁判なので、間違いを防ぎ保障するために生まれた考えなのだろう。しかし、世の中には推定有罪と思われる事件がある。権力の犯罪にはそうしたものがあるのではないか。弱い者を守るための推定無罪に対し強い者を挫くための推定有罪というものがあっても良い気がする。強い権力者の中には法律を人事で捻じ曲げる者も居るのだから。
 領収書はない、名簿は捨てた。都合の悪いところは書き変えたなどという異常値が三つ揃えば臨床診断は確定で、開腹手術が断行される。権力の犯罪にも同様の診断が下ってよいと思う。そうでないと権力は権力の波及効果で証拠隠蔽したり、あるいは調べられると困る人物を恩赦をしたりする。
 勿論、100%黒と断罪はできないが、限りなく黒に近い灰色として社会は対応してよいのではと思う?。
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あなたに似た人

2020年11月27日 | 世の中
             

 
 診療時間が今までの六割くらいになって、診る患者さんの数も三割ほど減った。それでも延べ千人ほどの定期的に受診される患者さんを診ている。
 日本人はほぼ同一人種でなので、数が多ければどこかに似た人が居るものだ。高々千人ほどの患者さんでそれほど似た人が居るわけはないとお思いかもしれない。確かに並べばほとんど似ていないのだけれども、話し方反応の仕方体格などから似た印象を受ける組み合わせが十数組居る。
 人間がどうやって人を識別しているのかよく分からないが、顔だけではないのは確かで、私の仕事のように話をしたり診察したりする仕事をしていると、非常によく似た印象受ける組合わせがある。面長と丸顔、太りじしと痩せぎすを間違えることはないが、同じ面長同じ丸顔で似た体格で話し方が似ていると顔そのものはさほど似ていなくても、呼び起こされる記憶が混同して「便通はよくなりましたか」とかとんちんかんなことを言いそうになる。
 長く通っておられる患者さんを見ると瞬時に病歴家族構成話し方仕種の癖などが浮かんでくる。確かに主に顔で同定しているのだが、脳はそれだけではなく体格歩き方話し方なども参考にしているように感じる。特にマスクの時代ではなおさらだ。
 他人の空似というくらいだから、日本のどこかに似た人が居るのだろうが、狭い地域の高々千人くらいでも印象というかイメージが似ている人は結構居る。
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夢中になれるのは

2020年11月26日 | 趣味
           


 K氏と将棋を指している。週三局でもう二十局ほど指した。普段本など読まないそうだが、珍しく将棋の本を買いネットであれこれ勉強していると言う。残念ながら彼が強くなる速度よりも私が将棋を思い出す速度の方が早くだんだんハンディが大きくなり二枚落ちで指している。それでも勝てない。孫に一度も負けたことがないと豪語していたが、私には一度しか勝てない。
 ちょっと嫌気がさし始めている様子で、少し緩めて時々負けてあげた方がよいかなと思ったりするのだが、子供ではないのでそれは失礼かなと手は抜かないでやっている。今のところ将棋の夢を見るというくらい熱中しているので一週間するとまた指したくなるらしくお声がかかる。
 こちらはもう殆んど医学の勉強をしなくなったので、時間はたっぷりある。いつまで続くか喜んでお付き合いしようと思う。麻雀は小遣いがいらないくらいの強豪だったそうで、将棋は五六級の棋力だが注意深くてよく考えるので三か月頑張れば二枚落ちで私に勝てるようになると思う。
 孔子大先生が七十にして矩を越えずとおしゃった。大先生に僭越ながらそれは要するに、勉学修行の賜物というよりは単に高齢で欲が減った結果ではないかと邪推している。K氏を見て七十過ぎて熱中できることがあるのは素晴らしい思う。正直羨ましい。
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