駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

言うまいと思えど

2009年05月31日 | 世の中
 どうしてこんなお粗末な人が一国の首相なのか。中国を訪れることが煩雑で喜ばしい。厚労省分割は最初からこだわっていない。朝日の記者には説明する必要はない・・・・。
 批判には内容を吟味せず「俺はそんなことを言っていない」。と駄々っ子のようにただ反発する。解散権は総理の専権事項というのはどこから出てきたのか、これには但し書きが必要に思う。選挙の洗礼を受けた総理に限ると。
 総理でなければ捌けていて面白い方なのだろう。間違った人が間違った地位に就いたようだ。
 正直、解散の時期などもう何時でもいい。数十日の違いなど誤差の範囲。なんとか有利な時期になどと権謀術数を巡らすのは、国民を愚弄している。
 マスコミも社会の木鐸の機能をなくしつつある。マスコミが風見鶏で風向きに追随するようでは、無冠の帝王の名が廃る。もっと建設的なことを書いて欲しい。
 インターネットは功罪相半ばしても、マスコミの欠けるところを補完していると思う。一つの救いだ。
 どうも過激?なことを書いたが別に酔っているわけではない。

 
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応接を均す

2009年05月30日 | 診療
 西村由紀江のCDを聞いている。ゆったりとして、なんだか話をしているような曲が続く。
 さして仕事がきついわけでもないのだが、どうも少し疲れているようだ。今日はあんまり患者さんに親切でなかったかなと振り返る。町医者の親切というのは第一に話を聞くことなのだが、今日は話の腰を折ることが多かった。
 話を聞くのは簡単そうで難しく疲れる、正直に言えば何度も聞いた話や愚痴に近い訴えを聞くことはあんまり楽しくない。それで、疲れているとどうしても根気が続かず、じゃあとお終いにしてしまうことが多くなる。それといつもは誰にも同じように接するように気を付けているのだが、疲れてくると分からず屋親父とか独りよがりおばさんの話を身を入れて聞くことが難しくなる。
 誰にでも等しく接するのは、言うは易く行うは難しで、理解力の低い人横柄な人愚痴っぽい人突っかかってくる人に殊更親切丁寧にしないと誰にも等しくは実行不可能なのだ(善男善女には自然に十分なことができてしまう)。こちらが元気な時はそれができるのだが、疲れていると感じの悪い人我が儘な人の話を聞くのは楽ではない。
 もうひとつ困ったことは感じの悪い人我が儘な人に丁寧に応対するとそういう人が集まってきてしまうのだ。他の医院で働いたことのある事務員や看護師に先生の所は妙な人が多いと思いますと言われてしまう。言外に何とかしてくださいと言う意味が含まれている。土地柄だと思うと返事をしていたのだが、そうでもないのかなと、今では我が儘横柄な人にはある程度反撃するようにしている。そうすると驚くべき事なのだが、大人でも時間を掛ければある程度矯める事が出来るのがわかってきた。勿論、容易なことではないのだが。どうも我が儘で横柄な人は今までそれを注意されたことがなかったらしい。反撃されると驚くようだが、少しずつ穏やかになる人もおられる。これは恐らく医者にして漸く可能なことかも知れない。普通の店では客に注意することは難しいだろうから。 

 
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臓器移植の困難

2009年05月29日 | 医療
 日本で子供の脳死臓器移植を可能にしようという動きがあるようだ。医者のくせに、ようだとは何事かと怒られそうだが、もう何年も前から距離を置いて自分なりに考えてはいる。
 脳死臓器数には限りがある、誰に提供すればよいのだろうか。第三者による選別が行われるようだが、ふざけるなと言われてもサイコロを振りたくなる。
 募金を集め海外へ出て、移植を受けられた方は数多くおられる。果たして、例えばアメリカにどれくらいありがとうの声が届いているだろうか?。私は当事者ではないが、国境を越えた提供に感謝している。しかしそれを表明したことはない。逆のことが日本で出来るだろうかと思う。例えば東南アジアの方が日本へ臓器移植を希望して来られたら、脳死臓器移植を受けることができるだろうか。
 感謝して分け隔てなく他人にも施せる日本があるだろうかとちょっと気になる。
 一方、日本でどのような議論がされていようとも、現実として東南アジアでは臓器売買が行われている、それを購入し移植を受けられた方もいらっしゃる。
 違いはないと言われても、家族からの生体移植は違和感はなく受け入れられても、脳死からの移植には微かな違和感を覚えてしまう。手続きの問題?と言われても臓器移植のために特別な死が設定されているように見えるのを完全には払拭できない。だからどうだと詰め寄られても、命は誰のものかと戸惑う心には人間の都合を何処までと頭の片隅で考えてしまう。人間も機械と同じように、良い部品が手に入るなら悪い部品と交換すればいいと割り切れば、理解できるのだが。
 献血も臓器移植の一種だ。これだけ広く受け入れられているのは、提供者の負担がほとんどないからだろう。そう考えれば死んでしまった者には臓器を提供しても何の負担もないはずという考え方も成り立つかも知れない。死んでしまったんだから使える臓器は使って良いよと臓器提供カードをポケットに入れておけばよいのではないか、勿論こうした表現や考え方には抵抗を覚える方もおられるだろう。
 小児の脳死臓器移植問題は便宜的に割り切れば簡単なことかも知れない、しかし踏み込んで考えれば考えるほど難しい問題で、容易に結論はでない。成人でも現行法では脳死臓器提供が少ないので、増やそうと本人の意思表示を省略しようという考え方が出ている。これはいつか陥った間違いに連なる思考法だと危惧する。
 日本で脳死臓器移植が期待ほど進まないのには理由がある。そこを深く考える必要があるのではないか。短い時間短い文で意を尽くせないが、どちらかの為に書いたのではなく、もっと広くみんなで考えたいと書いてみた。
 
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近くて遠い、遠くて遠い半島

2009年05月28日 | 小考
 前大統領が自殺に追い込まれ、核実験が強行される朝鮮半島の国々。いったいどういうことなのだろうか、私には理解し難い。多くの日本人も驚くばかりで、よく分からないのだろうと思う。あるいは理解しようとする前にどうしようもない国と匙を投げているのではないかと危惧する。
 どういうものか朝鮮半島の歴史や政治を専門とする学者は少ないようで、いつも同じ数名の先生方が解説されるのだが、時間が短いせいか戦略に終始して歴史的背景にまでは触れられない。おそらく触れにくい面もあるのだろうと想像する。
 さて、遠くて遠い太平洋の向こうの国はどう見ているのだろう。素人の私にはヒルという人は昼行灯だったような気がするのだが。あるいはああしてずるずると引き延ばされて少しずつ譲歩するのは、優れた外交とみなされるのだろうか。余計なお世話だがアメリカには外交で揉まれた歴史がほとんどないので、外交交渉は稚拙なのではないかと思う。すぐ拳骨にものを言わせる悪い癖もある。それと韓国系の人も多いはず、彼らがどう利いているのだろうかとも思う。
 日本も鎖国を切り札にしてきたので、ねばり強いしたたかな外交力は不足しているのではと心配している。
 これは一般論だが半島には独特の文化が育つ地形的素地がある。イタリアは地中海に突き出ているので例外かも知れないが、靴の先の方にはたぶん独自のものがあると想像する。外務省ではそうした生物学的風土的な知識も講義されているのだろうか。釈迦に説法だが、外交には言葉と同じように歴史風土の知識が欠かせない。

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志向が違う

2009年05月28日 | 身辺記
 今日は半日だ。午後は総合病院に入院させた患者を見舞いに行き、あとは医師共同組合の総会と慢性閉塞性肺疾患の勉強会とに掛け持ちで出席した。午後休診といっても、夜まで予定が一杯、遊んでいるわけではない。
 遊んでいると思っている患者さんもおられ、午後診察ないようだから往診してくれという人がいる。時間的余裕の有無、病態と患者さんとの親密度で、どうするか決めるのだが、午後診察している医院もあるので、お断りすることも多い。正直に言えば、親しい患者さんの場合は無理をしても往診している。不公平かなあと思いながらも、心はそのように反応する。
 医師共同組合の総会と勉強会では出席者の顔ぶれが全く違う。役職というのは忙しくて困ると言いながら、実は嫌いではないという人が多いと観測している。政治に関わること役付であることが好きなのだ。なんだか自分は偉いと思っている様子の方もおられ、どうも馴染めない。会終了後の大盤振る舞いの立食会も顔見知りが少ないし、異論を受け付けない雰囲気で楽しくない。来年は委任状で欠席しよう、議事などすべてしゃんしゃんで終わり、一つとして質問がないことだし。
 勉強会の方はほどんどの人が顔見知りで、インフルエンザ対策どうしてる、なんだか患者が少ないけどそのせいかねなどと立ち話をする。講演内容はいつも私が使っている去痰剤AがBより優れているという話で、「先生の感覚は正しかったんですよ」と大学教授に言われ面目を施した。自分は勉強会の方がうんと楽しい。いい年をして青臭いことを言っているが、もうこれは変わらないだろう。 
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